彩凛華支える裏方たち まちマイ音更編
【音更】「第23回おとふけ十勝川白鳥まつり彩凛華(さいりんか)」(実行委主催)は、会場設営などに尽力する人たちなくして開催できない。今回の同まつりを下支えしている“裏方さん”たちを紹介する。(井上朋一)
■阿部造園社長 阿部英輝さん(56)
「生みの苦しみもあるけど、創意工夫すること自体は楽しい。自分自身が(会場づくりを)楽しめるから来場客にも楽しいイベントにできる」。造園会社として彩凛華会場で長さ約30メートルにわたる「光のトンネル」などの設営に当たった。
1957年、池田町生まれ。父親が音更町で造園会社を立ち上げたのを機に小学生の頃に同町へ移住。帯広柏葉高校を卒業後は、道内の農業団体や一般企業に勤めた後、24歳の時に家業の阿部造園に入り、造園家の道を歩み始めた。
彩凛華への関わりは同まつりの草創期から。氷を使うテント、氷柱を使う滑り台など長年にわたり会場設営の一翼を担っている。4年前から農業用ビニールハウスの骨組みを使う「光のトンネル」の施工を担当、訪れる人たちの撮影スポットとなっている。
トンネルは、園路に合わせた緩やかなカーブが作られ、出入り口と中央部では高さが変化する。「高さを変えることで(照明の)光が重なり、重層的な光のトンネルに見えるようにしている」と造園家ならではのテクニックを解説する。
毎年の創意工夫は「他の会場設営に入る業者や実行委事務局との連携なしにできない。人と人とのつながりとコミュニケーションを大事にし、今後も、毎回変化を加えられれば」と話している。
■ワタナベ工芸専務 渡辺慎太郎さん(34)
「ぼやっとしたアイデアでも、形にする過程が楽しい。寒い中の作業は大変だけど、楽しみながらやっている」。彩凛華会場内の飲食・休憩スペース前で来場客を迎えるハクチョウやヒグマ、キツネなどの「光る動物園」の製作を担う。
1980年、音更町生まれ。帯広工業高校を卒業後は、札幌市内の造形デザイン専門学校に進み、同市内の看板製作業者での勤務を経て22歳の時に家業のワタナベ工芸に入った。
同社は長年、同まつりの会場を飾る看板などの製作を担っている中、昨年から「光る動物園」の製作を開始。十勝川温泉と同まつりのシンボルでもあるハクチョウなど動物5種類の計13体を作った。今年は5体加えて計18体とした。
製作は全て手作り。モデルとなる動物の実物大写真などを参考に、太い針金を手で曲げて骨格とし、細い針金で体のラインを作って一カ所ずつ溶接。光に反射するよう針金を白く塗って発光ダイオード(LED)照明を組み付け、最後に白いネットで全体を覆う。点灯すると、動物の前身が白く浮かび上がる。
今年は、徹夜で作業を進める日も少なくなかった。「ただ、開幕して来場客が喜んでいる様子を見るのが何より。来場客が笑顔を見せてくれると、また来年も頑張ろうと意欲が湧く」と顔をほころばせている。
■新生帯広支社支社長 藤井享さん(49)
「光と音のショーが始まって観客の歓声やため息が漏れたときが、この仕事の醍醐味(だいごみ)。毎回、完璧に仕上げて観客に喜んでもらいたいと思ってやっている」。広告代理店として、プログラム作りから運営まで、彩凛華メーンショーの総合プロデュースを担う。
1964年、帯広市生まれ。帯広三条高校、北海道工業大を卒業後、東京都内の計測器メーカーに勤務。「故郷で暮らしたい」とUターンを決め、1992年に同社に入社した。
同まつり草創期から会場設営などに携わり、2000年(第9回)には光と音のショー「光の森の冬物語」のプログラムを提案。これが採用され、今回まで15年にわたり、彩凛華の骨格を支えてきた。
当初のショーは、照明の点灯を全て手動で操作。寒さも厳しい中、毎日、調整室で2時間にわたるショーを運営する大変さも、現在ではパソコン制御に変わった。発光ダイオード(LED)照明も取り入れるが、「ただ、むしろショーの質や演出を向上させる工夫はより大変になった」。
昨年はハートの形を照明で表示し、今年はアルファベット表示に挑戦。限りある予算の中、照明を配置する密度を工夫して、きれいな文字が浮かび上がっている。「今後はアニメーション表示にも挑戦したい」と意欲を見せている。
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