渋沢栄一揮毫の掛け軸発見 音更
【音更】“日本資本主義の父”として知られる渋沢栄一(1840~1931年)が揮毫(きごう)した七言絶句の漢詩の掛け軸が、十勝開墾合資会社の3代目農場長だった吉田嘉市(1927年没)の孫で、音更町柳町仲区在住の吉田幸市さん(92)方で見つかり、関係者を驚かせている。(内形勝也)
この掛け軸は、中国・南宋時代の詩人「陸游(りくゆう)」の漢詩を、渋沢栄一が揮毫したとみられる。「三農雖隙亦忽忙 稼事何曽一夕忘 欲曬胡麻愁寠雨 未収蕎麥怯新霜」の漢字が記されている。漢詩の後ろには、掛け軸の贈り先である吉田農場長とあり、渋沢栄一の雅号である「青淵」をもじった「青淵老人」と落款(らっかん)も押印してある。
帯広大谷短期大学の池添博彦名誉教授(80)らによると、この漢詩は「農作物の稔りの時期を迎えた中で、降り止まぬ雨を愁い、ソバの収穫を前に初霜の訪れにおびえている」との内容。池添名誉教授は「渋沢の揮毫した漢詩は七言絶句の詩型とみられる。勢いのある筆遣いで、毛筆には慣れていると見受けられる」と話す。
吉田嘉市は1864(元治元)年岐阜県生まれ。89(明治22)年に警察官になり、当時の総理大臣だった伊藤博文の護衛係を務めた。それからほどなくして渡道し、農業に転身した。
1910(明治43)年に十勝開墾合資会社(通称・渋沢農場)の3代目の農場長に就任。その後、音更に移住し開墾に従事。24(大正13)年には音更初の道会議員に当選したが、3年後に病に倒れ、64歳で急逝した。
掛け軸は、渋沢が吉田の労をねぎらって贈ったとみられる。十勝清水郷土史研究会の草野和好共同代表(69)は「農場長になった吉田に励ましの意味を込めて、渋沢が陸游の漢詩を贈ったと考えられる」という。
掛け軸を所有する吉田幸市さんは、吉田嘉市の本家筋の孫に当たる。祖父から父・源吉を経て、今は孫の幸市さんが妻智恵子さん(89)と自宅で大事に保管している。
他にも渋沢の還暦祝いに製作されたミニチュアスケールのブロンズ像なども所有する。吉田夫妻は「家宝としてこれからも大事にしていきたい」と話している。