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「速くなりたい」 高木美帆、長年の積み上げでつかんだ初の金 北京五輪スピードスケート

 【中国・北京=北雅貴】1分13秒19。長年、地道に積み上げてきた成果だった。「スーパー中学生」と言われて初出場したバンクーバー五輪から12年。完走した選手では最下位の35位だった少女が、オリンピック新記録を樹立し、個人種目で自身初めての金メダルをつかんだ。

 「少しでも速くなりたい、強くなりたい」一心で心身を鍛えてきた。短距離から長距離までの種目に出続けた。帯南商高時には周囲から休養を勧められても、「今、出ないといけないんです」ときっぱりと言って大会にエントリーし、1シーズンで国内外の約60レースに出場。こつこつと体力面を含む経験を積み重ねた。

 今五輪も1000メートルを迎えるまでに6つのレース、計1万2200メートルを激走してきた。そして13日間の日程を締めくくる5種目目となる最後の1000メートル。疲労は否めない中、オリンピック新記録の快走で頂点に立った。「この局面で、2周だったら頑張れるなと思えたのが一番大きかった。2周なら行けると自信があったので最初から攻めていけた。長い時間を掛けて滑ってきたからできたのかなと思う」と感慨深げに振り返った。

 冬季五輪の日本勢では1大会最多となる4個のメダルを獲得した高木美も、決して平坦な道を歩んできたわけではない。札内中から帯南商高を経て日体大1年生で迎えたソチ五輪シーズン。代表選手選考競技会では1000メートル、1500メートル、3000メートルともすべて5位で、五輪の出場を逃した。「どこかで大丈夫だろうと思っていた。甘さがあった」。体重も増え、滑りを崩していた。涙を流して落胆。会場の長野から羽田空港まで、日体大の青柳徹監督(53)の運転する車の中では一言も発しなかった。ただ、年明けの日本学生氷上競技選手権(インカレ)が帯広で行われた際は、周囲には落ち込んだ様子を見せなかったと青柳監督は言う。

 「人生を本気でスケートに懸けないと五輪には出られない」と意識を改めたと同時に、ソチ後に日本スケート連盟が立ち上げたナショナルチーム(NT)入り。翌年からヨハン・デビットコーチの指導を受けるようになった。練習内容を話し合い、NTのスタッフにも支えられながら科学的な根拠に基づいたトレーニングを身に付けて一気に成長。年を追うごとに世界のトップの座に近づいていった。

 2018年の平昌(ピョンチャン)で、女子団体パシュートの金を含む3つのメダルを手にした。「出し尽くした」後のモチベーションの低下や、北京を徐々に意識し始めてからのコロナ禍。スポーツは不要不急だとの声も耳に届いた。「それはそうだよな」と思った。それでも練習や大会に出ないといけない。気持ちが揺らいだこの4年間だった。「私にとってバンクーバーから北京まで、五輪と五輪の間の4年間はそれぞれ意味を持っている」と話した。

 “格好良さ”の意味も変化した。ソチの前までは懸命さを見せないクールなふるまいに良さを感じていた。ただ、ソチの落選の厳しい現実。姉の菜那(日本電産サンキョー-帯南商高出)は前年から「オリンピックに行きたいとずっと言っていた。自分は必死さが足りなかった」と振り返る。現在は「今まで積み上げたものを北京五輪の場で最大限発揮すること」。年齢を重ねて円熟味も増した。

 北京では専門外ともいえる500メートルの銀メダルを除いて、大本命だった1500メートルと2連覇の懸かった団体追い抜きは2位。ヨハンコーチの新型コロナウイルス陽性による一時的な離脱もあって、どことなく波に乗れていなかった。

 17日夜のメダリストの記者会見。高木美は「きょうの高木選手は格好良かったか」との質問に、「う~ん、どうなんでしょう。3000メートルが始まって1000メートルが終わるまでの間に格好良くなかったり、弱くなってしまったりした部分もあった。それでも最後まで挑みきった」と穏やかな表情で答えた。全身から安堵(あんど)と充実感を漂わせ、ほほ笑んだ。

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