伝え育てるオリンピアン~スケート王国の歩み(1)「十勝の女子選手初出場 平子美佐江さん」
スピードスケートが盛んで「スケート王国」と称される十勝。冬季五輪には4日開幕の北京大会を含め、地元ゆかりのスケート選手49人を輩出している。脈々と続く歴史の中で、指導者として第二の人生を歩む五輪出場経験者(オリンピアン)も少なくない。後進を育成し、次代へ種をまく元選手たちに話を聞いた。(松村智裕)
1968年グルノーブル大会
平子(旧姓武田)美佐江さん(78)=帯広=
海外選手の体格に衝撃
少年団指導半世紀「体続く限り」
54年前、女性としては十勝から初めて五輪に出場した。「競馬場で走り続けたり、毎日寝る直前まで本当に努力した。それを神様が見てくれた」と述懐する。三協精機で6年目。代表選考会の女子500メートルを制し、出場権を獲得した。
それまで中国の交流大会には出場していたが、世界選手権は未経験。ヨーロッパに行くこと自体が初めてだった。1968年グルノーブル五輪女子500メートル。同走選手とは大人と子どもほど体つきに差があり、「焦ってしまった。滑るというより走ってしまった」。同走選手が金メダルを獲得し、自身は25位に終わった。
同年に「やり切った」と現役を引退し、帯広へ。当時の帯広ヤングセンターで夏はプール、冬はスケートの指導を始めた。その後、現在も続く緑クラブスピードスケートスポーツ少年団を発足。出産・育児で4年ほどブランクはあるが、約50年の指導歴を誇る。
冬場のスケート指導のほか、今でも夏場は水泳を取り入れ、児童の基礎体力向上を促す。ある保護者は「教え方が上手で子どもが言うことを聞く」と話す。
緑クラブで指導したおいの平子裕基さん(39)は2010年バンクーバー冬季五輪に出場。裕基さんは現在、市内で消防職員を務めながら、クラブの指導に加わり、子ども2人もスケートを学ぶ。
健康維持のため、ウォーキングやストレッチ、腹筋などに励む平子さん。「子どもたちと接することが好き。これからも体が続く限りはスケートの魅力を伝えたい」と笑顔を見せる。
自身は24歳で引退したが、実業団の後輩となる高木菜那選手(29)や妹美帆選手(27)らについては「年齢に関係なく活躍できる。メダルを取ってほしい」と前回大会に続く快挙を期待している。
<ひらこ(たけだ)・みさえ>
1943年幕別町生まれ。幕別小、幕別中、帯広大谷高卒。三協精機(現日本電産サンキョー)時代の1968年、仏グルノーブル冬季五輪に出場し、女子500メートル、1000メートルともに25位。