十勝最高齢の山崎監督引退へ ミニバスケ西帯Jr少年団
現役のミニバスケットボール監督で、管内最高齢として活躍した西帯Jr.少年団の山崎一秀さん(76)=帯広地区バスケットボール協会顧問=が、今春の6年生の卒業と同時に指導生活にピリオドを打ち、惜しまれつつ引退する。「初めてシュートが入った瞬間、子供たちが喜ぶ顔は何ともいえなかった」。高校教諭を定年退職後、小学生にスポーツの楽しさややる気を育み続けた15年間は、山崎さん自身の生きがいだった。
(小寺泰介)
山崎さんは1937年、日高管内浦河町生まれ。順天堂大バスケットボール部でチーフマネジャーを経験し、審判を務めながら指導者としての下地を培った。卒業後は38年間、帯農高バスケットボール部で敏腕を振るい、道協会審判副委員長などとしても活躍した。
70年代に、まだ普及していなかったミニバスケットボールのモデルゲームで審判を担当して以来、「老若男女が楽しめる生涯スポーツに育て上げたい」と感じ、81年の帯広地区ミニバスケットボール連盟設立にも奔走した。
定年退職した98年春に開西少年団(現・西帯広Jr.)から依頼を受け、一念発起して監督に就任。「体も興味の関心も、基礎ができた高校生とは全く違う」という小学生への指導は、勝利至上主義のスパルタではなく、楽しさややる気を引き出すことを重視することで信頼を集めた。
「シュートが入る楽しささえ知ってしまえば、自主性が芽生えてくる。一人で不思議と何でもできるようになってしまう」。未経験で白紙の子供たちには、ゴールリングにボールが届くようになるまで、何カ月間も付きっ切りで指導しながら応援し、能力を最大限に引き出した。
「試合を楽しむには、日々のトレーニングも楽しもう」と、さまざまなスポーツや遊びも練習に取り入れながら退屈しないよう工夫を凝らした。4年間指導を受けた鈴木翔君(西小4年)も「先生は優しくて『もっとうまくなりたい』という気持ちを大切にしてくれた」と伸び伸びと楽しみながら力を付けてきた。
15年間で、巣立った小学生は男女160人。白樺学園高で2011年に初のインターハイ出場を果たした黒坂文生(当時3年)、花井摂(同)ら多くの名選手も育てた。
持病の白内障が近年悪化、夜間の外出が困難になり、泣く泣く引退を決意した。10年間ともにコートで過ごした渡邊昭彦男子コーチは「情熱ある監督がいなくなるのは寂しい。ここで身に付けた技術が中、高、社会人まで生きる指導を続けていきたい」と気を引き締める。
丁寧な指導で、多くの関係者から慕われた山崎さんは「選手の活躍をほんの少し手伝うことができたのは、人生の中で非常に素晴らしいこと」と謙虚に指導者生活を振り返った。