炭鉱跡地 廃虚に生活の匂い まちマイ浦幌編
浦幌町炭山にはかつて、十勝唯一の炭鉱が存在した。往時には約3600人が生活を営み、小・中学校はもとより高校(池田高校分校)、病院、神社・寺、警察もあった。旧協和会館では劇団が公演したり映画が上映されたり、炭坑で働く人々の娯楽を提供していた。
約35年続いた町があっという間に消え去った。浦幌炭鉱は1954年に閉山。浦幌鉱山史によると、同年11月5日に太平洋坑などの撤収が始まり、12月3日には坑内全ての施設の撤収が終了したとある。
その後、コンクリート製の2階建てアパート3棟などの住宅や学校、尺別炭鉱につながる尺浦隧道(ずいどう)などが残され、数十戸の集落となったが、67年7月31日、常室小中学校炭鉱分校が廃校になると同時に、住民が地域から姿を消した。
住民の姿がなくなってから今年で50年。かつては華やかだった集落跡を訪れた。基礎部分が残る建物も複数あるが、残されたのは3棟のアパート。周りは雑草と樹木に覆われ、外壁は剥がれて窓枠はなく、屋上には樹木が茂る。まるで幽霊屋敷で「心霊スポット」と呼ぶ人もいる。
今でも夕闇の戸口に立つと、内部にはかすかに生活の匂いがする気がした。(円子紳一)
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