100回目の甲子園~十勝と球児の夏(下)「黄金期から現在」 聖地の土 万感と重圧 1959年の第41回大会からは、地方大会の編成替えに伴い北海道大会が南北に分けられ、道内から2代表校が甲子園へ進むことになった。初めて北北海道代表校として名乗りを上げたのは、女子高から男女共学になって10年目の帯広三条高だった。 49年に帯広高で甲子園の土を踏んだ黒沢洋.. 2018 6/23