2大会ぶりの五輪狙う及川選手 「まだ燃え尽きていない」
スピードスケートの北京オリンピック日本代表選考競技会(29~31日・長野市オリンピック記念アリーナ=エムウェーブ、日本スケート連盟主催)の男子500メートルに、2006年トリノ五輪4位で池田町出身の及川佑(ゆうや)選手(大和ハウス工業)が2大会ぶりの五輪出場を狙い、出場する。わずか34~35秒で決着がつく世界。41歳のベテランは「良いレースができるように調整している。1本にすべての力を注ぐ」と静かな闘志を燃やす。
及川選手はトリノで日本勢最高順位を収めた後も、バンクーバー、ソチと3大会連続で五輪に出場。500メートルのスペシャリストとして長く日本の第一線で戦っている。
決して順風満帆なスケート人生ではない。3歳で初めて氷に乗り、池田高島小1年で大会に出始めた。高島中では2年生まで長距離で、結果が出ない中、けがを契機に短距離へ転向した。池田高から進学した山梨学院大では、成績を残せない日々が続いた。
「もう続けられる場所はないな」と思っていた4年生の日本学生氷上競技選手権大会(インカレ)で優勝。国体で成年男子500メートルで3位に入るなど表彰台に立ち、競技続行の前提で就職活動、1カ月でびっくりドンキーに決まった。
わが子の記憶に
29歳で迎えたバンクーバーは13位。引退か迷ったが、所属先を大和ハウス工業に変えて続けた。ソチで一区切りを付けるつもりだったが、本番では「良いレースでもないし、だからといって大きな失敗もなかった。微妙な感じ。このままでは終われない」。
17-18年の平昌五輪シーズンでは若手の有望選手が現れ、世代交代を肌で感じつつも、自身の調子は良く代表選考会も良い形で臨めた。最後のインカーブの入り口でバランスを崩して減速。失敗レースに終わったが、選考会独特の緊張感ある雰囲気を楽しめた。
「また味わいたい。妻からも子どもの記憶に残るまで滑ってほしいと言われ、会社からも『自身の気持ちを大事にしてください』と。感謝しかない」
「探す」作業が魅力
今季は股関節痛の影響で思うような滑りができていない。靴やブレード(刃)を替えるなど試行錯誤もした。バンクーバーに出場経験を持つ出島茂幸コーチの下、氷上や陸上トレーニングで調整。治療やケアも奏功し、体の痛みや動きが良くなっている。
現在は札幌に妻と5歳の長女、1歳の次女を残し、帯広で単身赴任生活。「長女は2年ほど前から、スケート選手だと分かってまねするようになった。もう少し格好良いお父さんでありたい」と笑う。
「まだ燃え尽きていない」。それがスケートを続ける原動力だ。「大変なことは多いが、続ければ続けるほど分からなくなり、探し当てようとする作業が魅力。どのトレーニングをすれば速くなるか。毎年新たな発見があり、正解はない」。29日正午前後にスタートラインに立つ。(北雅貴)