「強くなりたい」一心で ナガマツ3連勝で決勝トーナメントへ 東京五輪バドミントン女子ダブルス
【東京】東京五輪のバドミントン競技の日程が順調に進んでいる。27日は女子ダブルス・予選グループの全試合が終了し、芽室町出身の永原和可那選手(北都銀行-青森山田高、芽室中、芽室小出)・松本麻佑選手(北都銀行-とわの森三愛高出)が3戦全勝し、グループ首位で29日からの決勝トーナメント進出を決めた。コロナ禍で無観客という異例の大会ではあるが、長年夢に見てきた場。幼い頃からさまざまな壁を、永原選手は「強くなりたい」というぶれない信念で乗り越えてきた。「オリンピックという舞台を開催していただいたことに感謝している」と喜びを胸にコートに立っている。
たゆまぬ努力、夢挑む
「努力すれば必ず結果が出るわけではないが、しないと絶対に結果は出ない」。永原選手は子どもの頃から常に自身の成長を追い求めてきた。
小学2年の冬に芽室町バドミントン少年団に入団。5年生の終わりまでダブルスを組んでいた青木佑真(ゆま)さん(26)=帯広西小教諭=は、全国大会に出場する道内の選手を集めた強化練習会を今でも覚えている。実業団の選手が参加すると、臆することなく練習相手になろうと手を挙げた。「私たちは全道で最高成績は準優勝。決して1番の力ではなかった。男子も交じっていて、私は恥ずかしくて前に行けなかったが、和可那が引っ張ってくれた」と振り返る。
全道で強豪校となっていた芽室中でも、その姿勢は変わらなかった。入学当時は中心選手ではなかったが、練習はあえて当時監督を務めていた澤田初穂さん(47)=帯広第四中教頭=の前のコートにいつも立った。「普通は指導され、叱られるので嫌がりますよね。それでも少しでも見てもらおう、力を付けようという気持ちが伝わってきた。強くなりたいから、私の目の前でしか練習しなかった」と笑う。
中学2年時に青森山田高の練習に参加した。無名の存在だったが、同高の藤田真人監督は精神面と競技に向き合う永原選手の姿勢にひとめぼれした。同高や福島県の富岡高(現ふたば未来学園高)ら強豪校も加わった合同練習会にも、全く物おじしなかった。藤田監督は「何かを得てやろうとの気持ちを感じた。ぜひ欲しいと澤田監督にすぐ電話した」と懐かしそうに話す。
翌中学3年時に全国中体連でベスト16の成績を残して入学。高校でも厳しい練習に明け暮れた。指導者が不在でも全く手を抜かず、「選手の中にもう1人監督がいるみたい。怒った記憶がほとんどない」(藤田監督)。絶大な信頼感を得て、副主将を務めた最終学年は全国高校総体(インターハイ)で個人戦ダブルスと団体戦の2冠を達成。自身初の日本一に輝いた。
バドミントンを突き詰めてきた25歳。金メダルロードは道半ばで、厳しい戦いはまだ続く。永原選手は「相手も強くなっていく。会場にいない方々にも自分たちの試合を届けられるように頑張りたい」と表情を引き締めた。(北雅貴)