安全最優先つなぐ教訓 JR石勝線脱線炎上事故から10年
特急列車が脱線炎上し、乗客ら79人が負傷した「JR石勝線脱線炎上事故」から27日で丸10年。JR北海道は車輪管理の基準見直しや避難誘導マニュアルの策定などを進め、高速化や営業運転優先から安全第一への体質変化に取り組んできた。一方、事故後に入社した社員が4割を超え、島田修社長は「事故の反省、教訓を忘れることなく継承し、安全最優先の企業風土づくりに取り組んでいく」と話している。
事故後入社が4割超
会社発足以来最も重大な事故を受け、特に意識してきたことは、安全を第一とする組織づくりだ。事故の背景には、高速化や車両増結などの営業運転を優先し、安全が二の次になっていたことがあるとみている。
高速道路網の整備が進む中、「1分でも早く(目的地に)到着することが使命だった」と同社。ただ、高速運転に欠かせないメンテナンスへの投資や体制の整備を怠ったことが、事故につながったと同社は認識している。
事故後、減速運転に踏み切り、最高速度は時速130キロから「おおぞら」は同110キロに。車両や線路といった設備などへの安全投資を重点的に行うようシフトした。島田社長は「安全輸送と安定輸送が二者択一になったときは安全を優先する」と強調する。
事故が起きた5月27日を「安全再生の日」と制定。事故を風化させないため、幹部と現場社員との膝詰め対話などの取り組みを続けている。
札幌市手稲区の社員研修センターには、丸焦げとなった事故車両が展示され、原因や対策、乗客や社員の声などをパネルや動画で紹介している。島田社長は「安全最優先は現場の社員一人一人まで徹底している」と話す。
事故当時、問題視された一つは避難誘導の遅れだった。車掌は輸送指令に対し、トンネルから避難した方がよいと訴えたが、煙が入ってくるため、ドアを開けるのを待つよう指示された。その後、車内が煙で充満し、乗客が自身の判断で非常用コックを開け、車外に脱出を始めた。結果的に乗客の判断が功を奏し、死者は出なかった。
JRはトンネル内での列車火災時の処理手順や、緊急時の避難誘導マニュアルを見直した。現場にいる乗務員の判断を最優先し、乗客の避難誘導に当たることを明確化した。
この事故の後に起きた貨物列車の脱線事故や、レールデータ改ざん問題なども踏まえ、2015年には経営トップから現場第一線の社員までが、どのように考え、行動するのかを共有する「JR北海道 安全の再生」も策定した。
島田社長は「安全再生の取り組みは道半ば。手を緩めるとすぐに戻ってしまう。たゆまぬ努力を続けていく」としている。(津田恭平)
鉄路は財産、「安全」取り組んで
事故に遭遇、助け合い避難 喜多龍一道議
「乗客たちは見ず知らずの戦友」-。脱線炎上したJR石勝線の特急列車に乗車し、無事避難した道議の喜多龍一さん(69)は、今も事故の様子を鮮明に記憶している。10年が経過した事故を振り返ってもらい、事故を受けて始まったJR北海道の組織改革に寄せる思いを聞いた。
事故当日、胆振管内安平町の催しに出席するため、午後9時すぎに新得駅から乗車。最後尾1号車の中ほどに座り、ノートパソコンで作業をしていた。「ガガガ」と何かが引っ掛かってているような異音が続き、トンネル内で急停止。間もなく近くで爆発音が聞こえた。窓の外に火炎が見え、他の乗客と前の車両へ避難。「指示があるまで動かないでください」と車内放送が入った。煙が入り込み、「脱出しないか」と声を上げたが、乗客は指示を守りじっとしていた。
「トンネルは700メートルくらいらしい」「ドアの開け方を知っている」。近くの客と言葉を交わした。客室乗務員の女性2人は、慌てながらも乗客に車内販売の水を配った。待機のアナウンスを守る中、30分ほどして電気が消えたとき、喜多さんは脱出を決意した。
トンネルを出てから、保健師を名乗る女性が「たんをはき出してください」と駆け回っていた。「水がなければここにあります」。女性が持っていた水は、少ししか残っていなかった。4人がかりで重体の人を運び出すなど、乗客は知恵を出し合った。
JR北海道は民営化当初から自立が難しいとされ、基金を積み、金利で安定を図る計画が立てられた。喜多さんは「計画の見直しがなされず、長期間放置されたことが安全性の低下につながったのでは」と推測する。
2017年に設置された道議会の北海道地方路線問題調査特別委員会の委員長を当初から務める喜多さんは、乗車人数だけでなく大量輸送手段として重要な交通機関であるとの視点を設けるべきだと指摘する。「JR北海道には、道と国の未来に関わる重要な財産として、思い入れを持って取り組んでほしい」と力を込めた。(石川彩乃)
<JR石勝線脱線炎上事故>
2011年5月27日午後9時55分ごろ、上川管内占冠村の第1ニニウトンネルで、釧路発札幌行き特急スーパーおおぞら14号(6両編成)が脱線、炎上し、乗客・乗員252人のうち79人が煙を吸うなどして軽傷を負った。運輸安全委員会によると、原因は車輪の表面が急ブレーキなどで摩耗した状態で運転したため、振動で4両目の減速機を支えるつりピンが脱落。さらに4両目の減速機と推進軸が脱落し、4・5両目が脱線した。脱落した減速機の部品が6両目の燃料タンクに当たって破損し、発電機付近で出火したと推定されている。同年6月18日に国土交通省から事業改善命令が出された。