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絶滅巨大ジカだった、忠類で発掘の歯化石

ヤベオオツノジカの骨格(群馬県立自然史博物館提供)

 【幕別・札幌】1970年に忠類村(現・幕別町忠類)で発掘された歯の化石が、絶滅した巨大ジカ「ヤベオオツノジカ」のものであることが、北海道博物館(札幌)の添田雄二学芸員(42)らの調査で判明した。発掘場所の地形年代などから約12万年前のものとされ、道内最古という。

 歯の化石は2・3センチ×1・8センチ。忠類でのナウマンゾウ化石発掘調査の際に見つかった。長く、牛やシカの仲間である「偶蹄(ぐうてい)類」の歯の破片とされ、同館(当時は道開拓記念館)で所蔵していたが、詳細は不明だった。

 シカ研究が専門の群馬県立自然史博物館の高桒祐司学芸員(47)のもとに昨年夏、現物を持ち込み、高桒学芸員が形などから判定した。添田学芸員は「以前は確実な標本もなく、専門家もあまりいなかったため特定が難しかった。今回は専門家が可能性として種を絞り込んで調査したので分かった」としている。

 年代については、添田学芸員らが2008年に忠類で行ったナウマンゾウ再調査で、地形や火山灰の片大などから判定していた。

 同館によると、道内でのヤベオオツノジカの化石はこれまで空知管内由仁町で発見された角だけで、年代は約4万9000年前。同時期は氷河が発達した寒冷な時代に当たり、南方系の同シカが北海道にいた状況は謎とされていた。

 添田学芸員は「少なくとも約12万年前の温暖な時期に、ナウマンゾウなどと共に、十勝地方にまで分布を広げていたことが分かった。日本列島全体の後期更新世の大型シカ類の変遷を知る鍵になり得る」と話している。(佐藤いづみ)

 ヤベオオツノジカ 45~35万年前、ナウマンゾウなどとユーラシア大陸から日本南部に渡ってきたシカ類から発生し、1万5000年前ごろに絶滅したとされる。日本の固有種で、角の端が大きく手の平のように広がり、角までの高さは約2・5メートルに達する。

道博物館 忠類の地層再調査へ

 【幕別】町忠類晩成のナウマンゾウ発掘地から出た化石が「ヤベオオツノジカ」の歯と判明したことを受け、北海道博物館(札幌)は同地の地層を再調査する意向を固めた。同館は「遅くとも数年後には手掛けたい」(添田雄二学芸員)としている。

 再調査すれば、同館などが2007、08年に行って以来。同地は1969、70年にナウマンゾウのほぼ1体分の骨格が発見されており、さらに再調査の結果、地層から球状のくぼみなどが見つかり、同ゾウの足跡と確定されていた。

 添田学芸員によると、同地層には他に多くの足跡らしきくぼみがあることが分かっている。ナウマンゾウに交じり、偶蹄(ぐうてい)類とみられる足跡も多数あることから「足跡の特定を進め、ナウマンゾウとヤベオオツノジカが同時期に群れで十勝を歩いていたことが分かれば、後期更新世(12万6000年前~1万1700年前)研究などの前進につながる」としている。

 添田学芸員はまた、「今回の歯の判明も含め、十勝の人に研究成果を報告する機会も設けたい」と話している。
(佐藤いづみ)

関連写真

  • ヤベオオツノジカのものと判明した歯の化石。左が裏側(舌側)、右が表側(頬側)(スケールは1センチ、北海道博物館提供)

    ヤベオオツノジカのものと判明した歯の化石。左が裏側(舌側)、右が表側(頬側)(スケールは1センチ、北海道博物館提供)

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