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野村時計店が60年 若き修理人の技術力に定評

顕微鏡を使い時計を修理する勇太さん。独学で磨いた高い技術に定評がある(塩原真撮影)

 60年の歴史を持つ、帯広市内で数少ない時計専門店「野村時計店」(西2南12、エスタ帯広東館1階、野村勇太代表)で、3代目の代表の勇太さん(36)が店を支えている。前代表の父衆一さんの急逝を乗り越え、独学で時計修理の技術を磨き、今では管外からも修理の依頼があるほどの腕前が評判を呼んでいる。時計修理の担い手が減る中、iPadなど最新技術も活用して、時計修理に励んでいる。

 同店は1953年、勇太さんの祖父の故喜代光さんが、小規模な時計修理店として帯広市西5南15で創業した。82年にJR帯広駅の前身の帯広ステーションビルに出店。96年から現在地で店を営む。創業60周年を記念し、今月末まで時計を10~30%割引で販売する特別セールを展開している。

 勇太さんは帯広花園小、帯広第四中、帯広北高を卒業後、金沢工業大経営工学部へ。2001年に同大を卒業すると、工業製品・IT系商品の商社に就職し、岩手県や山梨県で約5年勤務した。仕事は充実していたが、「もともと機械いじりは好き。いつかは戻って家を継がないと」と、2007年8月から店を手伝い始めた。

 時計修理を学ぼうと、店では不要な時計を分解して練習し、父のやり方も見て覚えた。父と一緒に仕事をして4年。父は肝細胞がんのため11年9月に65歳の若さで亡くなった。

 腕が良かった衆一さんを頼った顧客もいた。衆一さんの妻久美子さん(65)は「これで店がだめになるかも知れないと思ったが、息子は主人以上のこだわりを持って修理技術を上げた。何よりも、お客さんがずっと来てくれて店が助けられた」と危機を乗り越えた。

 勇太さんの修理技術は、別の修理店で直せなかった時計も持ち込まれるレベルにまで向上。勇太さんは「父が亡くなって全部一人でやらなければならないが、お客さんから修理依頼を受けた以上、きちんと直したい。できるまで時間をかけてもしつこくやることで、技術が身に付いてきた」と話す。

 若手の修理人らしく、新しい技術も仕事に生かす。お客に時計の修理箇所を説明するときは、iPadで写真を拡大して見せる。3次元の設計図から樹脂で立体物を作る「3Dプリンター」を4月に導入、現在は勉強中だが、時計の部品作りに生かす考えだ。

 「修理に持ち込まれる時計は形見の時計など愛着のあるものも多い。長く使える時計にしようと丁寧に直している。直した時計をお客さんが喜んでいる姿を見るのがうれしい」と勇太さん。培った修理の技術で、代々続く家業をもり立てる。(関坂典生)

関連写真

  • iPadを使って時計の修理箇所を説明する勇太さん(塩原真撮影)

    iPadを使って時計の修理箇所を説明する勇太さん(塩原真撮影)

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