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輝けソチで~私たちの希望の星(4)「長島圭一郎選手」

池田町出身。日本電産サンキョー所属、日大、池田高卒。500メートルに出場。

負けず嫌い 世界の勝負師
 「明るく何か面白いことしようと考えている一方、シャイでぶっきらぼうな感じは昔のまま」。池田高スケート部の同期で主将を務めた川岸祐貴さん(31)=帯広市=は、長島選手の常に最速にこだわる勝負師としての一面と、記者会見や人と会ったときに冗談を交えて笑いを取る姿は変わらないという。

明るく部引っ張る
 スケートに取り組んでいた2人の姉を追って3歳でスケートを始めた。利別小時代は体も小さかったが、当時を知る池田高同部同期の川端文平さん(31)=山梨県富士吉田市=は「ガッツのあるスケートをしていた」と話す。

 長島選手と川岸さん、川端さんの3人がそろった高校生活。同部での厳しい練習の中でも、長島選手は明るい性格でムードメーカーとなった。

池田高スケート部で全日本ママチャリ12時間耐久レースに出場した経験もある長島圭一郎選手(後列右端)。隣から川岸祐貴さん、川端文平さん

 部活後には利別川河川敷運動公園のサッカー場でボールが見えなくなるまでサッカーなどを楽しんだ他、トレーニングを兼ねて全日本ママチャリ12時間耐久レースに出場したこともある。川端さんは「圭一郎は遊びでも負けず嫌いだった」と振り返る。

距離変更で頭角
 現在、世界でも一級品と賞賛されるスケーティングの片りんはすでにその頃からあった。1、2年生のときは長距離を専門にしていたが記録が伸びず、3年生の秋に短距離に転向。その年の全国高校総体1000メートルで頂点に立つなどすぐに頭角を現し、「きれいな滑りとセンスは抜群だった」(川端さん)という。

 優れたスケーティングの一方で努力も欠かさなかった。帯広の森スケート場での練習後、池田に戻った後も川岸さんと2人でランニングを行い、さらに1人で遅くまで部室でトレーニングに励むなど、「常に陰で努力を続けていた」(同)。

 長島選手は日大、川岸さんと川端さんは専大で競技を続けた。その大学での競技生活の中で、滑りに磨きがかかっていった。川岸さんは「高いレベルの先輩の練習を間近で見ることできる日大に入ったことが良かったと思う。高校時代は細かった体も体重が増え、力が付いていった」と力を込める。

 現在は別々の道を歩んでいるが、苦楽をともにしてきた2人は「あえて頑張れとは言わない」と口をそろえる。「一区切りついたらトリノ、バンクーバーのときにもらった池田のワインで、高校時代の同期とお疲れさま会をやりたい」。川岸さんは、いつか長島選手をねぎらうつもりだ。(宮木宗久)


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