父は沖縄に眠る~戦後74年(下)「戦いの『証言者』遺骨今も 沖縄県の具志堅隆松さん」
太平洋戦争末期、日本軍と米軍との間で激しい戦闘が繰り広げられた沖縄戦。戦没者は日米合わせて20万人を超える。今なお戦没者の遺骨は自然洞窟(ガマ)や岩陰に眠っている。沖縄県に住む具志堅隆松さん(65)は自身を「ガマを掘る人」という意味で「ガマフヤー」と呼ぶ。30年以上にわたり遺骨収集ボランティアとして、家族の元へ返す取り組みを続けている。
「ガマを掘る人」
20日には、兵庫県と京都府の僧侶らがつくる「ガマフヤーの会丹波」(長谷川紀道代表)の6人を案内し、沖縄本島最南部の糸満市束里(つかざと)で遺骨を収集した。同地は沖縄戦の終戦地で、米軍に追い詰められた避難住民や日本兵の多くが命を落とした場所だ。
民家から少し離れ、丘陵帯へ分け入ると、ジャングルに目隠しされていた岩場が姿を現す。壁面には焼かれたような黒々とした跡。既にこの一角では子どもを含む3体の遺骨が発見されている。メンバーがねじり鎌で慎重に土をかくと、人骨や手りゅう弾の安全ピン、砲弾片などが次々と見つかる。小さい破片を手に「これは頭蓋骨です」。具志堅さんはため息をついた。
「犠牲者の声なき叫びを聞く」。具志堅さんは遺骨や持ち物の状態を克明に記録している。遺骨は沖縄戦の証言者となる。
上陸した米軍を迎え撃った本島中部の遺骨は兵士で占められ、鉄かぶとや実弾を持つ完全武装の姿で見つかる。しかし、南部になると、避難住民の遺骨が多くなり、兵士は武器すら失った「敗残兵」の姿で掘り出される。悲惨な状況を伝える終戦地でも、手りゅう弾は見つかる。自決の道具として大切に持っていたとみられ、「不条理さ」を強く感じる。
遺骨は今も、ボランティア団体や個人の手により発見されているが、個人の特定まで至ったのはごくわずかだ。発見された遺骨の多くは身元不明のまま火葬され、国立沖縄戦没者墓苑(摩文仁)に収められてきた。今回の北海道慰霊団に参加した佐藤裕彦さん(79)や岡和田照吉さん(76)の父の遺骨も、親族の元に返っていない。
DNA鑑定急ぐ
遺骨を家族に返す唯一の望みがDNA鑑定。厚生労働省は2017年度から、試行的に遺族と思われる人に対してDNA鑑定の申請を広く募っている。13年からは発掘した遺骨をDNA鑑定できるよう、火葬せず仮安置するようになった。しかし、亜熱帯の沖縄では骨の劣化が早く、DNAが残っていない場合もある。具志堅さんは「遺族が希望すれば、複数部位のDNA鑑定をしてもらいたい」と訴える。
戦没者遺族の高齢化が進み、DNA鑑定の意思表示ができなくなる恐れもあり、具志堅さんは危機感を持つ。「亡くなった人は国に動員された犠牲者。遺骨収集は国の責任で早急に進めてほしい」と考えている。(塩原真)
◆特集
・父は沖縄に眠る~戦後74年 一覧
- カテゴリ特集人写真くらし一般
- タグ父は沖縄に眠る~戦後74年