編集余録「福を拾う」
散歩しながら、道路脇や畑にポイ捨てされたごみを拾う。これを続けていると、ごみを投棄する人々への怒りが募ってくる
▼ほぼ同じ場所で、同じブランドの缶コーヒーの空き缶を拾う。毎日、毎日。拾っても拾っても。恐らくこれを捨てる人は、車での通勤途中に、おいしいコーヒーを飲んで、空き缶の始末が面倒だからポイ捨てするのだろう。怒る
▼農業王国・十勝の丹精込めて育てられた作物の畑に、何で弁当の食べ殻、家庭ごみ、ペットのふん入りビニール袋などを捨てるのか。帰宅して悪臭に耐えながら有料の指定ごみ袋に分別する。怒りの感情は体に良くないと分かりつつ、やはり怒る
▼先日、水泳の恩師が急病になり、私は回復を願って寺社参りを始めた。その途中、路上でビニール袋のごみを拾いポケットに入れた。その瞬間「あっ、これはひょっとして、福(祈願成就)を拾ったのかも知れない」と思った。ごみを拾いながらの参拝を続けること約2週間、恩師が回復しつつつあると知らせが来た
▼ごみとはつまり、私たちの命と生活のために使われた食べ物や品物で、それに感謝しながら、社会のルールに従って行くべきところに行くようにするべきものだ。リサイクルで活用されれば福そのものだ
▼ごみ(福)を拾い、愛する街と畑をきれいにしながら気持ちよく暮らしたい。怒りは秘めつつ。(横田光俊)
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