8割は「町に愛着」 町民アンケート まちマイ音更編
「ベッドタウンは郷土愛が薄い」と言われるが、帯広のベッドタウンのイメージが強い音更町はどうなのだろう。町内の十勝毎日新聞販売店の協力で、町民427人を対象に町に対する愛着度などについてアンケートを行った。(丹羽恭太)
国勢調査(2010年)によると、人の出入りが多い昼の人口と常住人口(夜間の人口)の割合を示す「昼夜間人口比率」が音更は85・9で、道内自治体では下から6番目、管内では幕別町に次いで2番目に低かった。音更は全道屈指のベッドタウンと言える。
このことはアンケートでも裏付けられた。音更に住んでいる理由を聞いたところ、「帯広に近いから」と答えた人が18%に上り、「音更出身だから」の18・5%に次いで2番目に多かった。前居住地が帯広という人は35%で、このうち「帯広に近いから」音更に住んでいる人が45%、「帯広より土地や家賃が安いから」が20%に上った。「買い物に便利だから」(11・8%)、「町内で就業・就学しているから」(9%)という現実的な理由も多かった。
必ずしも積極的とは言えない在住理由が多いが、音更に愛着があるか聞いたところ実に80・3%の人が「とても愛着がある」「愛着がある」と答えた。ただし、前居住地が帯広だった人ではこの数字が74・3%に下がり、音更にずっと住んでいる人では7・7%にすぎない「どちらでもない」という回答が23%に上った。前居住地が道外の人になると、「どちらでもない」が31・3%にも達した。
元道外在住者で音更に「まったく愛着がない」という人の中には、「結婚のため仕方なく住んでいるが、田舎暮らしはもう限界です」(40代女性、在住歴9年)という悲痛な声も。
生活の各場面について、町内と帯広のどちらに行く頻度が高いか聞いたところ、「食品生活雑貨などの買い物」は94・9%の人が町内で済ませているのに対し、「娯楽・商業施設の利用」は50・1%が帯広と答え、「飲食店利用」「文化・観光施設の利用」もそれぞれ43%が帯広と答えた。「休日・余暇の滞在」も30・1%が帯広だった。
前出の女性の言う「田舎」感を醸し出している背景には、「日常生活は便利だが文化や遊びに乏しい」という町の実態がありそうだ。住民と行政が一体となって積極的に文化や遊びを創造することで、郷土愛をより深めることができるのかもしれない。
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行きつけの店 「とりせい」人気
自由回答で「行きつけの飲食店」を聞いたところ、大部分の町民が国道241号沿いの複合商業施設内にある店やチェーン店を挙げた。そんな中、本町地区の住人の回答では地区内の飲食店の名前が多く挙がった。「とりせい」(大通4)もそのうちの一軒だ。
同店は看板メニューの若鳥の炭焼きや空揚げをはじめ、手羽先、串焼きなどが売り。店主の鈴木清子さん(82)はもともと、管内で有名な鶏肉料理チェーンの創業時から厨房(ちゅうぼう)を預かっていた。40年ほど前に独立して足寄で開業。店には高校生だった松山千春さんも通い、後に「とりせいのひな皮を食べると歌がうまくなる」と言われたという。
味にこだわって鶏肉は藤田ブロイラー(音更)と決めていたが、仕入れのため足寄から通うのが負担になり、35年前に現在地に店を構えた。周囲にはより帯広に近い場所での出店を勧める声もあったが、「どこで店をやってもつぶれるとは思わなかった」という。
自信の裏には「とりせい」の味は自分で作ったという自負と、その味を守り続けるための並々ならぬこだわりがある。鶏肉だけではなく、炭は釧路管内弟子屈産のオニシラカバやナラの炭、米は新潟産コシヒカリと仕入れ先は一貫。
仕込み作業は今も清子さんが目を光らせる。店を切り盛りする次女の大木清美さん(56)は「基本をきちんとやり続け、同じ味を出し続けることは本当に大変」と母親の姿勢に敬服する。
「通りすがりに立ち寄りやすい場所でもないので、お客さんには迷惑を掛けている」と清美さんは言うが、清子さんは意に介さず。「おいしければ来てくれる人は来てくれる。にぎやかな場所は嫌いなので、生活できるくらいにお客さんが来てくれるここが一番」と笑う。
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お薦めスポットは「十勝が丘展望台」
音更町内のお薦めスポットを聞いたところ、1位は28・3%の人が推薦する「十勝川温泉」。以下、柳月スイートピアガーデン(27・4%)、道立十勝エコロージーパーク(22・6%)などが続いた。
そんな中、自由回答で多かった答えが「十勝が丘公園・展望台」(町十勝川温泉)。公園には直径18メートルの花時計「ハナック」を中心に、広い芝生広場やアスレチック遊具などがあり、見て遊んで楽しめる。
公園を上がってすぐの展望台からは、眼下を流れる十勝川と温泉街、雄大な十勝平野と日高山脈を一望できる。夕日のスポットとしても有名だが、夜景や星空も美しい。
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故郷で開業「恩返しを」
木野東クリニック院長
後藤幹裕さん(39)
「十勝大橋から十勝晴れの空を見て、美しい光を浴びていると、帰ってきて良かったと実感する」
昨年12月、十勝大橋近くの木野大通東2で開業した。これまで外科、救急医療、内科など幅広い分野で積んできた経験を生かし、総合診療医を目指す。診療科目は内科、消化器内科、外科、肛門外科と幅広い。訪問診療や夜間・休日診療にも可能な限り応じる。
釧路市生まれ。1歳から中学卒業まで音更町在住。実家は今も町内にある。旭川医大卒後業後、同大第2外科に入局し、道内の関連病院で研修。「医療の幅を広げたい」との思いから4年前に医局を離れ、関東の病院で一般内科、内視鏡を中心とした消化器診療などに従事した。
開業して2カ月。小・中学生時代に乗っていた拓殖バスの車内放送で、自院の広告が流れるのを懐かしくも面はゆい気持ちで聞く。「子供のときにお世話になった音更に恩返しがしたい」と話し、「そのためにも地域の人たちが何でも相談できて、家族目線で診られる医者であるように心掛けている」と、穏やかに語る。
妻と小学生の1女2男の5人暮らし。
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宇八郎顕彰 町発祥の地
本照寺に碑
宝来地区から十勝川温泉に向かう道道77号沿いの北側、本照寺(下士幌北2線)の境内に「音更町発祥の地碑」と「大川宇八郎顕彰碑」が並んで建っている。
音更開拓の祖・大川宇八郎(1855~1937年)は1880年、和人として初めて音更に定住し、農業とアイヌとの交易で身を立てた。音更の馬産の先駆者でもある。後からの入植者の面倒見が良く、柔らかな物腰でアイヌからの信頼も厚かったという。
顕彰碑は開町60年の1960年、発祥の地碑は80年に建立され、宇八郎の功績を今に伝える。碑文には「先人の偉業のうえに今日の音更町があることを忘れてはならない」とあるが、ここを訪れる人は少ない。地域の歴史を伝え、学ぶことが郷土愛を育む第一歩になると思うのだが。
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