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仕事も育児も…渇き永遠 蜷川実花さんトーク

共に仕事に携わる鈴木さんを相手に、仕事や展覧会の魅力について語る蜷川さん

 道立帯広美術館で作品展が開かれている写真家の蜷川実花さんが12日に来帯し、帯広市内の北海道ホテルで催されたトークショーに出演した。蜷川さんとの仕事に数多く携わるプロデューサー・ディレクターの鈴木心(しん)さんを相手にトークを展開。仕事に育児に全力の日々や、作品や撮影への思いなどを語った。トークの様子を紹介する。(文・大木祐介、写真・小山田竜士)

 鈴木 実花さんはアーティストや写真家、映画監督でもありますが、一方で親でもあるところは、皆さんにも共通し、共感できる部分があると思います。平日の流れについて、説明をお願いします。

起床は5時半
 蜷川 午前5時半に起きて弁当を子ども2人分作るのですが、どちらも好みにうるさくて、毎回、種類が違うものを二つ作っています。そうしているうちに6時に上の子が起きてくるので、朝ご飯を作ります。ちょっとゆっくりしたいと思った頃の7時10分くらいに、下の子が起きてきます。撮影や打ち合わせは午前10時くらいからなので、一息つこうとする頃にはもう仕事に出なければなりません。

 子どもたちは午後5時、6時ごろに帰ってくるので、それまでには仕事を終わらせます。シッターさんにも手伝ってもらう部分もありますが、午後9時ごろまではドタバタと面倒を見ています。また、母親に子どもの面倒を見てもらい会食に出かけることが、週に数回あります。この会食で重要なコミュニケーションもあります。いろいろインプットをして午前2時ぐらいには帰宅。朝の5時半にはまた起きて…という具合になります。

 鈴木 子育てと仕事の両方を、どちらもやりたいこととして全部やっているところが恐ろしいと思いました。なぜ、全部やりたがろうとするんですか。

 蜷川 何かに満足するということがあまりないんです。過去には「蜷川さんは海水を飲んでいる。飲んでも飲んでも、その渇きが潤うことは永遠にない」と言われたこともあります。多くの人から評価されるのはうれしいけど、それが最終目的ではなく、アーティスト活動に関してのゴールはないんです。そして子育ても面白い。

 鈴木 蜷川さんの会社では過去、夏休みに軽井沢でバーベキューをやったこともありました。休むというよりは、まるで仕事のようにフルパワーでいろんな所に行くという、常に「オン」のような状態でした。そのような生き方は、どこから始まったのでしょうか。

トーク前に帯広美術館の会場を実際に見学した蜷川さん(写真右、12日午後4時ごろ)

「個性」の恐怖
 蜷川 いつからでしょう。でも、小さい頃から「何かしなきゃ」という焦りが多かった。恐らく「蜷川幸雄のお嬢さん」と言われていたことの影響もあると思います。5、6歳の頃から、「私ってなんだろう」みたいなことを考えていたのを覚えています。

 鈴木 そうではない人が、自分でどちらに進んでいこうという道しるべを見つけるには、どうしたらいいと思いますか。

 蜷川 全員が表現者や発信者である必要はないと思います。今の世の中って、「人と違う個性が素晴らしい」というのが先走り過ぎていて、かえって恐怖心になっていないかと思うことがあります。生活することに重きを置いて生きることも立派なことだと思います。

 鈴木 女性であることの強みは。

 蜷川 仕事現場の女性は今は増えた方とはいえ、それでもまだ男性に比べて数が少ない。数が少ないからこそ、その視点が個性になります。取ることができなかった市場を取れたり、個人としては得をしています。

 鈴木 不利なことは。

見方次第で
 蜷川 何をもって不利とするかだと思います。例えば、子育ては仕事に必要な時間を多く取られてしまいますが、母親の得られる多幸感は圧倒的なものがあります。不利かどうかは、ものの見方の角度次第だと思っています。

 鈴木 そう考えることに当たって、両親の影響はありますか。

 蜷川 私が生まれた時は母の方が父より稼いでおり、自分が5歳になるまでは父が主夫として私を育ててくれました。その経験もあり、「男性だから、女性だから」という考えはないかもしれません。

 鈴木 その父に育てられたことでの影響は。

 蜷川 精神的にも経済的にも自立した女性になるようにと、促されていました。それから、「皆が右に行っても、自分が左だと思ったら、1人でも左に行けるような人間になりなさい」と言われていたことを覚えています。

 鈴木 特別展では父を題材にした章もあります。「あのコーナーは演歌だ」とお話ししていましたね。

心の揺らぎまで写したい
死と生、一つに

 蜷川 「いろいろな人に刺さる、誰もが共有できる」という意味なんです。

 鈴木 章の終わりでは死について悲しいことではなく、自然な流れであることのように描かれています。

 蜷川 人が死に続けているから今の自分たちがいる。子どもが生まれたタイミングと、父の死んだタイミングが合い、その時、すべてが一つの大きな生命体であるように思えました。また、あの写真を撮っていた時は父の目のようになっていました。「この景色を父は二度と見ることができないのだな」と思うと、コンビニに映る光でさえ、きれいに思えるほど、世界を美しく感じていました。

 鈴木 セルフポートレートの章ですが、その前のポートレートの章の過剰なまでの装飾と比べると、演出されていないです。

 蜷川 実はコンプレックスの塊で、自分を撮るときはよく見せようとはしないんです。逆にカメラが向こうの人を向いているときは、仕事である以上、絶対に美しく撮りたい。そうなると、どんどん装飾していって…。それが自分を印象付けるものになったのかもしれません。

 鈴木 最初の花の章に関連して、撮っている写真と自身の名前がつながっていますね。

語りきれぬ「花」
 蜷川 「実花」という名前は、母が「実も花もある人生を」と思いを込めて付けたそうです。ただ、それが花を撮影する理由につながっているわけではありません。どうして花を撮るかは、言語化できないです。

 桜の季節は特に忙しいですね。例えば自分が80歳まで生きたとしたら、桜はあと30回くらいしか撮れないことになります。そう思うと、年々撮る量が増えていっています。

 鈴木 普通の人が撮る桜の写真との違いとは。

 蜷川 桜の写真は特に難しいですね。どう撮ってもきれいに撮れてしまいますが、そこに自分の気持ちは入りづらい。

 鈴木 桜と言うよりは自分自身と向き合っているようです。

 蜷川 自分の鏡なんですね。花そのものだけでなく、心が揺さぶられたことまでも含めて、写真に写し込みたいと思っています。

 鈴木 写真集と写真展の違いについて。

ここだけの体験
 蜷川 特にこんな時期に、わざわざ実際に会場に来て見てもらうのなら、そこでしか体験できないことを必ず用意すべきだと思っています。インスタレーションの形でやったり、空間そのものをつくりたいという思いを初期から持っています。一方で写真集は写真の組み合わせで、その見え方や持つ意味が無限に変わってきます。ありとあらゆるストーリーをどのようにも組めますので、実は映画の編集よりも難しいです。

 鈴木 最近、はまっているもので皆にお勧めしたいものはありますか。

楽しさ見つける
 蜷川 清少納言。ギャルですよね。「朝露が葉っぱに乗っかっているのがきれいで楽しい」といった歌など、いろいろな事を肯定的に捉えていく、そのポジティブさへの共感度が高い。そうやって面白いことや楽しいことを見つけ、紡いでいくことは今、重要なことなのではと思います。

 鈴木 最後に、写真を撮るに当たり、どうしたら楽しく撮れるようになると思いますか。

 蜷川 何かを残したい、誰かに見せたいなどポジティブなことを考えて撮影しますよね。「楽しいことないかしら」と探しに行くと、結構見つかるものです。そう思いながら撮っていくと、写真だけでなく、人生も楽しくなると思います。

<にながわ・みか>
 東京都生まれ。写真家、映画監督。木村伊兵衛写真賞など数々の受賞歴を持ち、デザイン、ファッションの分野でも活躍する。監督映画に「さくらん」や「ヘルタースケルター」など。

<蜷川実花展-虚構と現実の間に->
会期    12月6日(日)まで
会場    道立帯広美術館(帯広市緑ケ丘2)
開館時間  午前9時半~午後5時
観覧料   一般1300円、大学生500円、高校生以下無料
問い合わせ 道立帯広美術館(0155・22・6963)


◆蜷川実花展について
勝毎電子版特設ページ
蜷川実花公式ホームページ
蜷川実花展帯広Instagram
蜷川実花展帯広Twitter

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