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押切美沙紀、全てを出し切った7分1秒17「自分を誇りに思う」

 【中国・北京=北雅貴】楽しさも苦しかった出来事も、全てを詰め込んだ7分1秒17だった。押切美沙紀は、高速リンクで行われた2015年のワールドカップソルトレークシティー大会(米国)で出した7分1秒93を6季ぶりに更新。「自分の積み重ねてきたものを、全て出し切れた。自分自身を誇りに思います」。ゴール後は満足そうな笑顔になった。

 スタートから積極的に飛ばすタイプ。今五輪と同じ低地のエムウェーブ(長野)のリンクで、国内最高記録を出した昨年12月末の大会よりも速いラップを4200メートルまで刻み続けた。最後の3周はラップタイムを34秒台に落としはしたが、粘りに粘った。上体を揺らす苦しいフォームになりながらも、懸命に足で氷を押して前に進んだ。最終周は前周よりも0秒22上げてゴールした。

 14年のソチ五輪で1500メートル22位、団体追い抜き(チームパシュート)は4位に入った。15年の全日本距離別選手権では1500メートルで当時の国内最高記録で優勝。平昌(ピョンチャン)五輪へ向けて順調に見えた。ところが16年に股関節痛に。回復できないまま迎えた18年の同五輪は5000メートルで9位。パシュートのメンバーからも外れた。

 本来は独特の高い声で仲間を力いっぱい応援するタイプ。中札内中時代の指導者の勝見了さん(51)=鹿追中教諭=によると、リンクサイドのどこにいるかすぐに分かったという。ただ、平昌のパシュートの金メダルには複雑な思いを感じた。「自分には価値があるのだろうか。自信が持てなくなった」。けががなかなか癒えないこともあり、心身の不調に陥りスケートから離れることを決意した。

 ハワイに行くなどリフレッシュを図ったが改善には至らず。翌年には祖母の高橋礼子さん(79)や母の春美さん(55)らに「選手をやめる方向で考えている」とこぼしていた。

 それでも才能を惜しむナショナルチームのヨハン・デビットヘッドコーチから「すごいポテンシャルがあるのにやめるのはもったいない。一度休んでも続ける価値はある」と説得された。周囲の支えもあり、リハビリとトレーニングに向き合い、20年に復帰を果たした。「2年間離れたことで、原点のスケートの楽しさや大切さを改めて思い出せた」と振り返る。

 さまざまな挫折を乗り越えて迎えた北京。元世界記録保持者で、五輪で2度金メダルを獲得した「憧れの選手」のマルチナ・サブリコワ(チェコ)と同走した。「オリンピックの舞台で一緒に滑れたのを含めてすごく楽しいレースだった」と話した。

 インターハイの500メートルで2連覇を果たすスプリンターだったが、富士急に入ってから中長距離に転向。「昔は500メートルだったが、今こうして5000メートルの選手になった。練習したり努力したりすれば何でもできるんだと感じた」と穏やかに笑った。

 今大会はパシュートのメンバーに入っている。「私は4番手だが、チームが勝つために自分ができることがあれば、100%貢献したい」と力を込めた。

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