70年経て追悼 平和の誓い新た
父戦死のニューギニア 帯広の岡本さん訪問
「風化させない」思い強く
帯広市大正の岡本金作さん(75)は、太平洋戦争下の1944年にニューギニア(現・パプアニューギニア)で戦死した父玉雄さん(享年25)を慰霊するため、日本政府主催事業の一員として10月に初めて現地を訪れた。幼い頃に別れた父の記憶はないが、「心の整理が付いた。戦争は悲惨で、二度と起こしてはいけないと伝えることが、遺族の使命だと改めて感じた」と語っている。
玉雄さんは大正で農業を営んでいたが、43年に日本軍の航空通信隊員として、日本から約5000キロ離れた南太平洋にあるニューギニアに派遣された。44年4月22日にアイタペ地区で、マッカーサー南西太平洋方面軍司令官率いる米軍の攻撃を受けて戦死した。東部ニューギニア戦線は激戦地で、日本軍約12万人が戦死した。
岡本さんが3歳の時に戦地へ派遣されたため父の記憶はなく、手元には軍服姿の写真が1枚残るだけ。育ての親で、母と再婚した義理の父が2013年に亡くなったことで気持ちが一区切りし、政府主催の「戦没者遺児による慰霊友好親善事業」に参加した。
同事業には全国の戦没者遺児の代表22人が参加し、10月12~19日に現地を訪れた。アイタペを含む8カ所の慰霊所をめぐり、祭壇に花や遺影などを飾り、追悼した。アイタペはスコールによる河川増水で陸上から近づけず、飛行機による機上遥拝(ようはい)となったが、「来ましたよ」とつぶやいた岡本さんは涙が止まらなかった。
父が亡くなった付近は低い木があるだけの草原で、隠れるところはなかったと感じた。現地は未舗装の道路が多く、橋がない地方では車で川を渡った。さびた日本軍の機関砲が山の高台に残され、戦争の面影を伝えていた。
平和を願い友好を深めるため、現地の小学校で子どもたちと交流。岡本さんは日本の新聞でかぶとを作りプレゼントし、現地の高齢者は日本兵から習った日本の民謡を歌い、歓迎した。
事業に参加し、日本遺族会の資料からニューギニアでの父の詳しい行動が分かるなどの成果もあった。きれいな海が印象的な現地を巡り、岡本さんは「戦争は勝者も敗者もなく、みな犠牲者と痛感した。遺族が高齢化する中、戦争を風化させてはいけない」と思いを強くしている。(池谷智仁)