宇宙へ向かい30年 大樹町
大樹町が宇宙産業誘致など「宇宙のまちづくり」を始めて、今年で30周年を迎える。近年は注目度が急上昇。「宇宙のまち・大樹」は全国区になりつつある。町を挙げて夢を追い掛け続けてきた歴史を、写真と年表などで振り返る。(関根弘貴)
期待の新射場
大樹が宇宙航空研究開発機構(JAXA)の研究施設がある「銀河連邦」に加盟した2010年以降、宇宙への道は一気に加速した。12年にIHIエアロスペース(東京都)がデータ収集用カプセル「i-Ball」で大気圏再突入時の画像のデータ取得に成功。受信拠点は町多目的航空公園などで大樹と宇宙がつながった瞬間だった。
小惑星Taiki
13年にはJAXAが大気球実験で高度世界記録を更新。太陽系の小惑星に「Taiki」の名が付き、商業目的初の民間ロケットの打ち上げも成功した。14年には“オール北海道”で大樹での宇宙港造成を目指す「北海道スペースポート研究会」が設立。
政府の宇宙政策担当閣僚(当時)が初来町し、自民党内で大樹がロケット新射場建設候補地にも浮上した。航空宇宙分野における大樹の存在感と注目度は高まっている。
3人“宇宙町長”
宇宙に向けた大樹の歩みは1985年に始まった。3人の“宇宙町長”(野口武雄、福原勉、伏見悦夫各氏)を中心に、着実に一歩ずつ宇宙に近づいてきた。
町史などによると、町は同年春、道を通じて北海道東北開発公庫(現日本政策投資銀行)が掲げた「航空宇宙産業基地構想」の情報をキャッチ。太平洋に面した平たんで広大な土地など、有利な立地条件をアピール材料に、誘致運動を展開し始めた。
92年に文部省宇宙科学研究所(当時)がヘリコプターで行った実験を皮切りに、ロケット、日本版無人スペースシャトル、ジェットエンジン、大気球など数多くの航空・宇宙関連の実験が行われてきた。
2001年には高度20キロに飛行船を滞空させて高速通信・放送サービスに活用する「成層圏プラットフォーム構想」の拠点にもなった。
滑走路3千メートルに
伏見町長は未来に向けて、これまでの歩みを進める考え。「町多目的航空公園内の滑走路を3000メートルに延ばしたい。ジェット機が着陸できるようになり、さまざまな効果が周囲に波及する。航空宇宙産業の誘致などにもつながる」とさらなる夢を思い描いている。