「こん身のレースやり切れた」 高木美帆、疲労困憊も力振り絞る 北京五輪スピードスケート
【中国・北京=北雅貴】ゴールしてタイムを確認した瞬間、高木美帆は大きくガッツポーズ。さらに右拳を再び突き上げて喜びを爆発させた。「けっこう苦しいレースが続いていたので、『やったぜ~』みたいな感じの気持ちでした」と笑った。
「持てる力を振り絞る」と臨んだ今大会7つ目のレース。500メートルと同様、スタートに集中した。最初の200メートルを全体トップタイの17秒60で通過。その後の1周は「500メートルのバックストレートをイメージした力強いが伸びのある滑りだけを考えていた」とスピードに乗った。
600メートルを通過した後の最初のカーブ以降は「もう疲労でいっぱいいっぱい。ヨハン(・デビットヘッドコーチ)から言われていた疲れても滑りを変えるなと言われていた。氷をしっかり押さえた良い滑りだけに集中した」。歯を食いしばりながらも、スケーティングを乱すことなく最後の1周を唯一の28秒台で周回。最大の長所の粘り強さを大舞台で存分に発揮した。
いかにタフな高木美でも今までにない疲労困憊(こんぱい)だった。特に15日の団体追い抜きの後に「内蔵がギリギリだと感じた」という。「せきが出て、食事ものどは通るが、胃の中でうまく処理できていない感じ。内側の疲労は初めて感じるぐらいのものだった」。2日間、体をどうにか持たせようと、少しでも食べ物を口に入れ、1000メートルのこの日は、直前までゼリーを食べて補った。苦しみながらも圧勝劇。「やり切れたという強い達成感がある。金メダル以上にこん身のレースができたのがうれしかった」と笑った。レース後は、ヨハンヘッドコーチと抱擁すると、感情が一気に高ぶり涙が止まらなくなった。
札内中3年時に出場したバンクーバーの後に進学した帯南商高で、当時の監督だった東出俊一さん(65)=帯広大谷高社会科講師=と、ジュニア時代に日本スケート連盟の指導者として高木美を教えた、ソルトレークシティー五輪1万メートル4位の白幡圭史さん(48)=現帯南商高スケート部監督=らと共に、体重移動の際に片足の乗る時間を長くするフォームの改造を始めた。白幡さんは「10年少しを掛けて完成されたと言っても良いのでは。洗練されたフォームになった」とし、「昨シーズンぐらいから脂肪も落ちた一方で、筋肉量は増えている。だから効率良く力を氷に伝え推進力につながっている。一歩のストライドは間違いなく長くなっている」と感慨深げに話した。
高校、大学、ナショナルチームでの長年の体づくりも実った。東出さんは「筋力がないとできない技術もある。体幹などウエートトレーニングを継続した結果」とたゆまぬ努力を称賛した。中学生までのサッカーで強い下半身、ダンスでは股関節の柔らかさを磨き、くじけない精神力も相まって成長を続けた。
今回の北京五輪は、これまでの4種目で銀メダルが3つ。悔しさや驚き、うれしさなどさまざま感情を味わってきた。1000メートルのこの日の朝、姉の菜那から「美帆、銀メダル4つでも快挙らしいよ」と言われて笑った。五輪新記録での最終種目の優勝。長くハードだった3度目の五輪を、積み重ねてきた経験を生かし、満足のいく内容で有終の美を飾った。