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裕次郎記念館のマンホール手に入れテーブルに 帯広の有田さん

「毎日眺めては元気をもらっています」。マンホールに手を置き、いとおしそうに話す有田さん

 帯広市内の有田みよ子さん(75)の自宅に、重さ約100キロのテーブルがある。小樽市の「石原裕次郎記念館」(2017年8月閉館)の敷地内にあったマンホールを有田さんが譲り受け、加工した後、テーブルとして使っている。ファンとして60年以上、石原裕次郎に心を寄せてきた有田さんの“究極のグッズ”となり、毎日元気をもらっている。

 昭和を代表する俳優・裕次郎との出会いは有田さんが中学生の頃。主演映画「俺は待ってるぜ」を見て一気にとりこになった。以来、出演作品や楽曲には欠かさず触れ、のめり込んだ。「“どこが”というよりも全てが好き。そこに理屈はない」と熱く語る。

 グッズ収集はしていなかった有田さんだが、1987年に裕次郎が亡くなり、思い出を手元に残したいと集めるようになった。裕次郎最後のファンサービスとも言われた、東京・国立競技場での二十三回忌にも足を運んだ。現在自宅には、イベントで手に入れたワインボトルやミニチュアカーなどが並ぶ。

 裕次郎記念館にも年に4回以上は足を運んだ。足しげく通ったことで、館長の浅野謙治郎さんとも交友が生まれ、閉館の時には感謝の思いを込めて花束を贈った。

 有田さんがマンホールに目を付けたのは、記念館が取り壊し作業中だった2018年5月。何か思い出に残る物はないかと足元を見ると、ヨットの絵と裕次郎の名前が刻まれたマンホールがあった。

 すぐに欲しくなり小樽市水道局に連絡したが、「石原プロ(石原プロモーション)の物だから」と断られた。そこで有田さんは、石原プロ所属で館長だった浅野さんの許可をもらい、その後、土地所有者らからも承諾を得た。承諾取り付けの際は、札幌に住む有田さんの弟の米澤智嗣さん(65)の協力も得た。

 取り外し工事などを終え、自宅に届いたのは6月下旬。3カ月かけて自分の手で磨き続け、加工してテーブルに仕上げた。「閉館は寂しかったが、記念館の思い出の一つが家にあってうれしい」と話す。

 このマンホールを個人で所有しているのは有田さんだけ。「亡くなってからもこんなに愛される人は他にいない。毎日このテーブルで書き物をすると、夢や元気がもらえる」と目を輝かせている。
(細谷敦生)

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  • 「毎日眺めて元気をもらっている」といとおしそうに話す有田さん

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