大樹から挑戦「晩成プロジェクト」が依田勉三の墓参り
十勝の開拓の祖、依田勉三(1853~1925年)の没後100年を迎えた12日、大樹町民有志による「晩成プロジェクト」(米山博子代表)のメンバーら約10人が勉三の墓がある帯広市内の帯広墓地を訪れ、しのんだ。
勉三は1853年に伊豆国那賀郡大沢村(現静岡県松崎町)に依田家の三男として生まれ、83年に晩成社を率いて下帯広村(現帯広市)に入植。農場建設や牧畜、稲作、バター生産など幅広い事業を手がけ、1925年12月12日に市内の自宅で没した。
「晩成プロジェクト」は、晩成社が大樹町に牧場を開いたことから、そのチャレンジ精神に学んでいこうと、没後100年を迎える節目の今秋に発足した。大樹町議会議長で酪農家の齊藤徹さん(68)を顧問に迎え、町商工会の職員や町社会教育委員など約20人が所属する。10月には、同プロジェクトの第1弾として「120年前のサイロの姿を追う」をテーマに、05年に町内に造られた北海道最古の地上式コンクリートサイロ跡を訪れるなどした。
12日は、米山代表(66)や齊藤さんらメンバーのほか、依田家ゆかりの親族で帯広市在住の土屋哲雄さん(82)夫妻を招いて約10人が参列。勉三の墓に献花し、一人ずつ手を合わせた。
米山代表は墓石に向かって手紙を読み上げ、「何度も挑戦する勇気や、夢や希望を抱いた前向きな気持ちを受け継ぎ、違う挑戦ができたらとプロジェクトの構想が生まれました。あなた(勉三)の大器晩成から私たちの『大樹晩成』へ、挑戦の志をつないでくれたことに感謝します」と、プロジェクトの始動を報告した。
今後も、大樹町を舞台にさまざまな活動に挑戦していく予定。(北崎諒子)




























