「一緒に戦う仲間」高木姉妹 切磋琢磨し より強く 北京五輪
【中国・北京=北雅貴】女子団体追い抜きで2大会連続のメダルを獲得した高木菜那選手と美帆選手。メダルの色は望んでいた金ではなかったが、姉妹でもあり仲間でもある2人は世界の頂点を目指して一緒に戦い、互いに思いやり、励まし続けてきたからこそ金色に負けない輝きを放っている。
2010年のバンクーバー五輪は美帆さん、14年のソチは菜那さんのみが出場。それぞれが悔しい思いを抱えてスケートに向き合い、前回18年の平昌(ピョンチャン)で姉妹そろっての念願の五輪の舞台に立った。
メダルが1つも取れなかったソチの年の夏、所属先の垣根を越えて日本スケート連盟が発足させたナショナルチーム。美帆さんは初年度から、菜那さんは16年から参加した。年間300日を超える合宿などで共に汗を流し、菜那さんにとって「美帆は姉妹であると同時に、一緒に戦う仲間」となった。
昨年末の北京五輪代表選手選考競技会の最終日。菜那さんは個人種目での代表を決められないまま1500メートルに臨んだ。失速を恐れず、果敢で積極的に攻めた。膝のけがで苦しんだ平昌以降の4年間、リハビリとともに個人種目の強化に懸命に取り組む姉の姿をそばで見ていた美帆さん。次の組での滑走を控えていたが、「この大会に限っては自分のレースと同じぐらい大事」と珍しく気になった。
姉の気迫を込めた滑りに「心に響くものがあった。姉が最後の(1500メートルの)1枠をつかみとったことがうれしかった」と喜んだ。その後、「めっちゃ姉妹ネタになっている。恥ずかしいな。あまりこんな話は好きではないけど」と照れ笑いしたことも。菜那さんも「美帆がいてくれたからこそ自分も強くなれた」と感謝する。北京五輪の団体追い抜き1回戦後に、翌日に500メートルを控えた妹のために「美帆はあすレースがあるので」と短い時間での取材を報道陣に要請した。
今回の団体追い抜き決勝は、菜那さんの転倒という予想外のアクシデントに見舞われた。美帆さんは「パシュートで転ぶというのは、(本人の)1人にかかる思いがどうしても強くなってしまう。私は十分に理解しているが、背負う必要はないと思っていても、本人はそうはいかないというのも長く過ごしていると感じる」と気遣った。
切磋琢磨(せっさたくま)してきた6年間。菜那さんは前回金メダルのマススタート、美帆さんは平昌銅メダルで今回は優勝を狙う1000メートルに出場する。楽しいときも苦しいときも共に過ごしてきた2人。北京五輪はまだ終わってはいない。