「伝統技術を伝えたい」 伊勢式年遷宮副棟梁の宮大工菅原さん
国宝や重要文化財、社寺などの伝統建築を手がける「宮大工」の菅原雅重さん(41)が、生まれ故郷の帯広市内に社寺設計建築「おかげさま」を設立し、十勝管内の社寺の修繕などを手がけている。伊勢神宮の第62回式年遷宮(2013年)では外宮の副棟梁(とうりょう)を務めた菅原さんは、「伝統の技術を受け継ぎ、学んだ技術や仕事を伝えていきたい」と前を見据えている。
帯広市出身の菅原さんは柏小、第六中(現翔陽中)、柏葉高を経て順天堂大(東京)へ。卒業後の進路に悩む中、偶然一冊の本「現代棟梁・田中文男」と出合い、宮大工を志した。
田中文男さん率いる眞木建設(東京)の門戸をたたき、何度も弟子入りを断られたが、熱意が届き修行を始めた。宮大工の技術・技法は師匠から弟子へと口伝で継承され、2、3年とされる一般の大工の約3倍の長い修行を経てようやく一人前と認められる。「かやぶき屋根を拭いたり、土を運んだり。最初は手伝いでした」と振り返る。
4年半が過ぎたとき、多くの文化財修復を手がける風基建設(東京)で研修。ここで刺激を受け、「より高い技術を身につけたい」と、京都の社寺建築、細見工務所に弟子入りを志願し、入所した。
「歩き方一つでも怒られる。褒められることはまずない」ほど厳しい日々だったが、辞めたいと思ったことはなかった。「うまくなりたい、良いものを作りたい」という一念で修業に励み、貴船神社や籠(この)神社など数多くの作業に携わり、実力を高めた。
その5年後に、先輩の棟梁から式年遷宮の話が舞い込んだ。式年遷宮は20年に1度、伊勢神宮の正殿など65の建物を造り替える。内宮、外宮ともに7、8人の宮大工で班を作り、棟梁の下に副棟梁が付く。全国から約60人の宮大工が集まる約6年間の一大仕事だ。
材料のヒノキは作業場の近くの池に4年漬け込んだ古木。棟梁が印を付ける「墨付け」を行い、副棟梁ら宮大工たちが刻んでいく。これを繰り返す。「伊勢は見えないところも特にこだわる。刃物の痕は残してはいけない」ほど、高い精度が求められた。
一大作業を終え、15年に帯広に帰郷。「帯広が好きだし、大工として設計もできるようになりたかった」。1年間設計を学び、昨年4月に「おかげさま」を設立した。社名には「人のおかげを忘れず、そして太陽がないと陰はできない」との意味を込めた。
管内の社寺の修繕などを行う作業場には、毎日研ぐというノミが光る。「北海道の社寺は寒いけど、それは(社寺の造りが)本州から来たから。木造でしっかりと温かい作りにし、十勝の木もうまく使っていきたい」と菅原さん。学んだ伝統の技術と心を、十勝の文化財に生かしていく意気込みだ。(松田亜弓)