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動物園のあるまちプロジェクト

特別編

ナナが遺してくれたもの~共に歩んだ56年~

 おびひろ動物園(柚原和敏園長)のアジアゾウ「ナナ」(雌、59歳)が4日夜、天国へ旅立った。半世紀以上にわたって動物園のシンボルとして来園者に愛され、たくさんの思い出を残した。寝たきりとなって闘病した46日間はゾウとしては異例の長さで、展示飼育係らが必死の介抱を続けた。動物園関係者やファンから“ナナさん”と親しみを込めて呼ばれたナナの歩みをたどる。
文/松田亜弓、映像/村瀬恵理子

〈4〉ナナの死を未来へ

 雌のアジアゾウ「ナナ」は2011年に50歳となり、寿命60年とも言われるゾウとして高齢になった。13年に開園50周年を迎えたおびひろ動物園では、14年にラクダ「ボス」、16年にカバ「ダイ」が死に、園の“古株”が徐々に姿を消した。ナナの老後についても、向き合う必要が生じてきた。

 18年、帯広図書館で国内動物園のゾウ飼育を考えるトークイベントが開かれた。おびひろ動物園の柚原和敏園長と天王寺動物園(大阪市)のゾウ担当西村慶太さんが意見を交わした。

 天王寺のアジアゾウ「春子」は14年、老衰で天国へ旅立った。66歳の高齢で、その晩年は映画になった。イベントで上映された映画には、獣舎で倒れた春子を内臓を圧迫しないようクレーンで起こそうとし、春子がなんとか立とうと足を動かす場面が映し出された。

 イベントではナナの老後の過ごし方についても話題となり、柚原園長は「近い将来必ず亡くなるときが来る。そういうときを想定しなければいけない」としつつ、施設改修などには費用も掛かる現状も語り、「できることをしてあげて、長生きしてほしい」と話した。

ナナの前で記念写真を撮る来園者(2017年)

 いつか来るそのときは、突然だった。

 今年1月19日、ナナは獣舎内で倒れたまま立てなくなった。倒れたゾウの多くは内臓の圧迫から1日も持たないことが多く、展示飼育係たちは少しでも痛くないように必死に介抱した。

 ナナはその後、寝たきりで食べたり、排泄したりできるように。朝から晩まで展示飼育係たちが足を運び、果物を口へ入れ、痛くないように小まめに敷きわらを変えるなどケアした。

立ち上がれなくなったナナ

 おびひろには天王寺のようなクレーン設備はなく、立たせるのは不可能だった。機器設置には億単位の予算がかかり、工事などを考えるとナナにストレスを与えてしまう恐れもあった。「なんで立たせられないのか」という意見も寄せられたが、「できるだけのこと」をして静かに見守ることを園は選択した。

 日本動物園水族館協会のアジアゾウ計画管理者で、多くのゾウを飼育する上野動物園のゾウ担当乙津和歌さんによると、ゾウが倒れた際の対応は、「起こせる施設、設備がある園は、ゾウが倒れたらまずとりあえず起こそうという作業をする」と説明する。ただ、通常の生活に戻れることもあるが、それも少し余命が伸びる程度で死亡するという事例が多いという。

 ナナは横たわったまま46日間暮らし、3月4日に天国へと旅立った。乙津さんによると、子どものゾウが足の障害で横たわったまま数年生きた例はあるが、高齢ともいえるゾウが長期にわたって生きた事例は国内では恐らく初めてという。

 ナナの担当を10年務め、最期をみとった冨川創平さんは配属された当初、先輩飼育係から「ナナはあんたがみとるんだよ」と言われたことを覚えている。「いつかは起きない日が来る。そのときは突然で、どうやったらナナが楽になるか、職員みんなで考えて」。ナナの下には歴代の担当らが訪れた。冨川さんは「最期は大変でごめんね、もうちょっと楽に逝かせてあげられたら良かった」、元担当の伊藤眞實(なおみ)さんは「死に方までナナに教えてもらった。今まで本当に感謝している」と話した。

 動物福祉や動物園の存在意義が変化した時代を生きたナナ。たくさんの思い出を来園者一人ひとりに残したおびひろの“誇り”であり、一方で変わりゆく動物園の課題を示した。

 ナナがいなくなったおびひろ動物園は今、空き獣舎が年々増え、動物は減っている。老朽化が進み、動物福祉や繁殖には適さない獣舎が多く、新たに受け入れられない動物もいる。獣舎整備には多額の資金がかかり、市民理解や将来を見据えた計画作りが必要だ。

 帯広市は19日、寒冷地や地域の動物を中心にした園作りなど、今後の動物園のあり方を示した計画を決めた。ゾウはもういないが、今も暮らす動物、これから来る動物のために、何ができるのか。動物たちと身近に会える「動物園のあるまち」は当たり前ではない。暮らす市民も、貴重な命を預かる責任を感じ、一人ひとりが考えていく必要がある。

国内アジアゾウの年齢ランキング

〈3〉時代で変わる飼育法

「妹」の死 寂しさ配慮

 おびひろ動物園のアジアゾウ「ナナ」(雌)が12歳のときに来園した「ノン」(雌)は、推定6カ月の赤ちゃんゾウだった。ノンの世話に手を掛ける様子を見て、ナナは焼きもちを焼くことも。狭い獣舎では離して飼うこともできず、「最初は構ってほしいと鳴いていた」とゾウ担当だった伊藤眞實(なおみ)さん(73)は振り返る。

1992年 冬には雪玉を作って遊んでいた(左から)ナナとノン

「ノン」と23年間

 2頭は年月とともに仲良くなり、「けんかは見たことない」と柚原和敏園長。ナナの後をノンがついて歩く、妹のような存在になった。23年間共に暮らしたが、1996年にノンが心不全で急死。前兆はなく、突然の死を市民らは悼んだ。

 ナナは再び1頭となり、その後、同園に新たなゾウが導入されることはなかった。伊藤さんは「昭和のゾウは雌ばかりで1頭飼いが多い。気性が荒い雄は飼いにくく、昔は繁殖を考えてなかった」と話す。

 時代も動物商からナナを買った当時から変化した。ワシントン条約などの保護規制や、野生から動物園に移すことに社会的理解が得られにくくなっていた。同園のゾウ舎も老朽化し、動物福祉の声も徐々に高まる中、多頭飼育や繁殖の場とすることは不可能だった。

 ノンの死はその後のナナの生活に影響を与えた。以前よりも展示飼育係に構ってもらおうとするようになったのだ。掃除が終わったときや餌を与えた後、展示飼育係が背を向けると座り込み、「そばにいてほしいと伝えるようになった」と柚原園長は振り返る。

 その度にブラシで体をこすり、声を掛けた。遊び相手を探すように来園者に鼻水を飛ばし、さみしさを紛らわせるようになった。この頃から、ストレスで体を揺らす「常同(じょうどう)行動」も多く見られるようになった。

触れ合い大事に

 飼育方法もノンと暮らしていた77年から「間接飼育」に変わっていた。それまでの「直接飼育」は餌や掃除を同じ空間で行っていたが、全国的に柵越しに扱う「準間接飼育」や別室に移動させてから作業する「間接飼育」へと飼育方法は移り変わっていった。

 飼育中の事故が相次いだためで、ナナも展示飼育係がけがをしたことがきっかけだった。それでも歴代の担当はナナがさみしがらないよう、時間が空けばブラシで体をこするなど触れ合いを続け、信頼関係を築いていった。

 ナナは展示飼育係が信頼できるのか、試すこともあった。

 直接飼育の時代を担当した伊藤さんは、ナナと真剣に向かい合った日々を思い返す。室内で脚に鎖を巻く際に脚をわざと上げて邪魔をするナナを毅然(きぜん)と叱り、10歳頃のやんちゃな盛りのときはほとんど休まずに接した。

 かっぱを着たまま暗い獣舎に入って驚かせてしまい、けがをした経験もある。伊藤さんは「けがをする飼育員はだめ。ナナのせいじゃなく俺のせい。飼育の全てをナナに教えてもらった」と振り返る。

2019年海の日のイベントではスイカを自分で割り上手に平らげた(おびひろ動物園提供)

2019年海の日イベント 大好きなスイカに満足げな様子のナナ(おびひろ動物園提供)

 同園の歴史と共に年を重ねてきたナナ。2000年代に入ってからは、狭い獣舎で1頭で暮らすことに対して、動物愛護団体などから批判も聞かれるようになってきた。

 人々の意識も変わる中、高齢となって昔ながらのコンクリートの獣舎に暮らす姿に、来園者からも「かわいそう」という声もあった。40歳を過ぎ、ナナの老後のケアを考える必要性も徐々に出てきた。

2020年2月21日 起き上がれなくなって35日目、飼育員の懸命な看病は46日間続いた(おびひろ動物園提供)

ナナの声を聞く

起き上がるナナ

寝ているナナ

〈2〉ベテラン飼育員とナナ

 おびひろ動物園(柚原和敏園長)で半世紀余りを過ごし、4日に天国へ旅立ったアジアゾウ「ナナ」(雌、59歳)。多くの市民にとってゾウといえばナナであり、「ナナさん」と親しみを込めて呼ばれた。一方、時代と共に動物園の存在意義が変化し、動物福祉の考えが広まる中、老朽化した施設で1頭で老後を送る姿には賛否もあった。多くの思い出と共に、ナナが動物園と市民に残した課題を考える。

フォトムービー

ナナの食事

娯楽の王道 園外まで列

 「ナナ」は、おびひろ動物園が開園した翌年の1964年、道内では円山動物園(札幌市)に次いでインドから仲間入りした。全国各地に動物園ができ、東京オリンピックに沸いた時代。体高120センチほどの子ゾウは、市民に温かく迎えられた。

 当時の動物園は“娯楽施設”で、ジェットコースターなどの遊具も一緒に設けられた。野生動物保護などの概念はまだ強くなく、ゾウやホッキョクグマなどの希少動物を世界中から購入できた。ナナも動物商を通じて帯広にやってきた。

1964年 来園してまもない頃、仮設獣舎で過ごしていた 3歳

1967年 来園者に碁盤乗りを披露 6歳

背に子ども乗せ

 交通網が今ほど発達しておらず、娯楽も少ない中で、「昭和40年代はすごく人が入った。ゴールデンウイークは隣の児童会館まで人が並んだ」。元職員で開園当初から約45年間、ナナを担当した伊藤眞實(なおみ)さん(73)は、当時の人気ぶりを振り返る。

 獣舎から出ることのなかった近年と異なり、かつてのナナは比較的自由に園内で生活していた。来園当初は子どもたちが“馬乗り”して遊んだり、綱引きをしたこともある。70年にはナウマンゾウの墓参りに、忠類村(現幕別町)へと出向いた。冬の閉園中は園内を散歩。「掃除中に遊ばせていたら、車のバックミラーをいじっちゃって。楽しそうだったけど、放し飼いはできなくなった」(伊藤さん)。

1970年頃 冬季閉園期間中に園内を散歩したことも

1970年 ナウマンゾウの墓参りで旧忠類村(現幕別町忠類)を訪れたナナ

1973年 開園式でナナに乗る当時の飼育員・伊藤眞實さん

 賢く、碁盤乗りなどの曲芸も覚えて来園者を楽しませたナナだが、外の獣舎の縁を歩いて堀に落ちるといううっかりな一面も。ゾウは一度学んだことは忘れないとも言われるが、ナナは程なくして再び「『パオーン』と鳴いて落ちていった」(同)。ナナはおとなしくクレーンで引き上げられたという。

 来園の翌年にゾウ舎ができるまでは、屋根だけの簡易獣舎で過ごした。暖かいインドから来て寒さは大丈夫だったのだろうか。

冬でも屋外で

 同園では70年当時、ほぼ全ての動物を十勝の冬に慣らすため、耐寒訓練を行っていた。室内獣舎では太陽の光を浴びられず、ライオンやトラがくる病になってしまったのがきっかけだ。

 ナナも数時間は外で過ごし、「少し額の毛が濃くなった」(同)。園では冬も健康に過ごしてもらうために、たらいに消毒液を入れたお湯で足のひび割れを防ぎ、耳にはワセリンを塗るなどケアを尽くした。

2007年 イチョウの木をバックに 46歳

2019年 これまで大きな病気をすることもなく健康だったナナ。雌では国内最高齢だった

 「寒い日でも外に出たがったなあ」。90年代、2000年代に飼育を担当した柚原園長がそう振り返るように、冬でも元気だったナナ。1973年には“妹”ができた。アジアゾウ「ノン」の来園だ。その後、時代と共に、ナナを取り巻く環境や飼育法は変化していく。

〈1〉市民から愛されたナナ

 4日夜、天国へ旅立ったおびひろ動物園(柚原和敏園長)のアジアゾウ「ナナ」(雌、59歳)。半世紀にわたり来園者を迎え入れてきた園一番の古株で、シンボル的な存在だった。動物園の歴史と共に歩んだナナは、人々にたくさんの思い出を残した。

 1961年にインドで生まれ、推定3歳で来園。小さな子ゾウは甘えん坊で賢く、ハーモニカ吹きなどの芸もすぐに覚えた。小学生の写生会では一番の人気者で、休日はナナに会おうと多くの人が来園した。

来園当初、仮設獣舎で暮らすナナ。体もまだ小さく、来園者と触れ合う機会も。獣舎はこの年に完成した(1964年)

 ゾウは40歳を過ぎれば高齢とされる中、病気を患うこともなかった。道内では釧路、旭山(旭川市)、円山(札幌市)で2006〜08年に相次いでゾウが死に、18年に円山に4頭が来るまで約10年間、ナナが道内唯一のゾウとなった。

 59歳のナナは人間に例えると100歳を超える“おばあちゃん”。気が強かった性格も年を取るごとに丸くなった。10年前から担当の展示飼育係を務める冨川創平さんは「『じゅるじゅる』と鳴き声で話し掛けてきて、それに相づちや鼻をなでたりして応えた。ナナの伝えたいことが何かをいつも考えていた」。

 起き上がれなくなった1月19日まで、食欲も落ちず様子も普段通りだった。高齢によって体形が骨張ってきたり、寝る時間が増えたりの変化はあったが、前兆はなかったという。

 老朽化した獣舎で、ナナを再び立たせることは難しい。結果として血管が圧迫され、逆効果になることも考えられた。倒れたゾウは自らの重みで内臓が圧迫されて死ぬとされ、「数時間か数日で死んでしまうだろうと覚悟した」と話す。

 「もう食べることもできないだろう」と思い、スーパーで一番高いオレンジを買い、搾り汁を飲ませようとした。口元にオレンジを持っていくとナナはあっという間に食べ、「パオー」と鳴いた。慌てて餌を取りに戻って与えると、喜んで完食し、その様子に冨川さんは「涙が止まらなかった」という。

 市民らから届いた果物も全部食べた。「大好物のフルーツをたくさんもらって。最期まで幸せだった」。寝返りは打たせられない中、どうしたら楽になるのか-。倒れた体の下にわらをたっぷり敷き、スタッフ総出で試行錯誤した。

 日ごとに衰弱は進み、目の焦点が定まらない時も出てきた。食欲もなくなり、4日午後8時半ごろ、体に震えがあった。鎮痛剤の準備をしている時に息が徐々に浅くなり、眠るように息を引き取った。

 冨川さんは「お疲れさまという気持ち。ゾウという動物は本当に独特で、巡り会えたのはうれしい」と話し、涙ぐんだ。

おびひろ動物園 ナナの歩み

ゾウを見る親子。動物園で半世紀以上を過ごしたナナは3、4世代にわたって市民らから愛され、道内外にファンも多かった(1973年)

1973~96年までは雌のアジアゾウ「ノン」と一緒。ノンのお姉さんのような存在だったが、ノンの来園当初は展示飼育係にやきもちを焼いたという(1984年)

ゾウは40歳を過ぎたら高齢に入るといわれている。少しずつしわが目立ち、歯も少なくなってきたが、ナナは病気もすることなく元気に暮らしていた(2008年)

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