夢の道はアメリカに続く あれから20年~再びグアテマラへ(14)
自分が20年前のボランティア時代にホームステイしていたハワイ村の家は、当時20代だった長兄から小学生だった末娘まで男女7人きょうだいのにぎやかな家庭だった。家族はヤシの葉で屋根をふいた大きな母屋に住み、自分は庭の隅に建てられた小さな小屋に住んでいた。特別に貧しいということではなかったが、大きい兄たちは特に定職はなく、村内の建設や土木工事を手伝ったり、マングローブ林の運河で魚やエビを捕ったりと自由な感じで暮らしていた。ハワイの強烈な日差しがじりじりと照らす暑い砂地の庭先で、開いた魚を干していた風景が懐かしい。
9年前に日本からハワイ滞在2日の弾丸旅行で来た時は家の様子はほぼ昔のままだった。ところが今回久しぶりに訪れた家は「あれっ! 家を間違えた?」と最初思ったほど激変していた。まず低い生け垣だった家の外周には壁ができていて中が見えない。扉を開けて中に入ると、砂地が広がっていた庭が緑の芝生に変わり、なんとそこに屋根付きの立派なプールができているではないか! プールサイドにはログハウス風のバーベキュースペースときれいなトイレもある。よく見ると母屋も一回り大きく建て直されていて、旅行者向けの賃貸ロッジとなり、家族は自分の小屋を増築した庭の片隅に住んでいた。
記憶の中の風景とのギャップにしばらく言葉がなかったが、よく聞くときょうだいがほとんど独立して家を出たために空いたスペースを活用し、投資をして宿泊ビジネスを始めたという。いったいどこからそんなお金を?と不思議に思って聞くと、2番目の兄がアメリカに渡り、向こうで働いて送金してくれたとのこと。ディミトリー(みんなディミーと呼んでいた)という名のその兄は口数こそ少ないが誠実で力強い、頼りになる男だった。ボランティア時代は村の巡回訪問や子どもたちとの海岸清掃、環境教育などを手伝ってくれ、9年前には再会をとても喜んでくれて一緒にビールを飲んでギターを弾いて歌を歌った。どうやらその翌年に単身アメリカに旅立ったらしい。もちろんビザなどない、不法移民だ。
アメリカの不法移民問題は、トランプ前大統領がメキシコとの国境に壁を建設するなどニュースになっていたので日本でも知っている人は多いと思う。豊かなアメリカで働いて稼ぐことを夢見て不法にアメリカに入国する中南米、カリブ諸国の人たちは数千、数万人とおり、グアテマラ人も例外ではない。アメリカにさえ入国できれば賃金はグアテマラの10倍以上で仕事はいくらでもあり、単純労働でも月5000ドルを稼ぐことも夢ではないという。そうして不法入国したグアテマラ人は現在150万人に上るとされ、彼らがグアテマラに残った家族に送るお金(移民送金)も年々増え続け、2022年は18億4000万ドルに達した。これはグアテマラのGDPの19%に相当する額で、移民送金は今やグアテマラ経済を支える一大産業となっている。
しかしアメリカ入国の道は厳しく険しい。グアテマラとアメリカはメキシコを挟んで地続きだが、トランプの壁があるように簡単にメキシコ・アメリカ間の国境は越えられない。ビザのない不法入国者は一般的には「コヨーテ」と呼ばれる仲介業者(裏は麻薬組織とつながっているとされる)に7000~1万ドルと言われる大金を払い、国境越えを依頼する。砂漠を延々と歩いたり、川を泳いで渡ったりして途中で死ぬ人もいる。昨年6月にはテキサス州で放置されたトレーラーの密閉された貨物室からグアテマラ人7人を含む50人の不法移民が遺体で見つかる悲劇も起きた。途中のメキシコで強盗に襲われて身ぐるみはがされることもあるようだ。夢の道は命懸けの道でもあるのだ。
ではグアテマラ・メキシコ間の国境はどうやって越えるのだろうか。まあ長い国境線なので山の中などに抜け道があるのだろうと思っていたが、昨年国境地帯を訪れてびっくりした。そこは大きな川が国境線で、税関や入管施設を備えた立派な橋がかかっているのだが、川を見るとタイヤを繋げた筏(いかだ)が無数に両岸を行き来している。人だけでなく、明らかに違法(密輸)な商品が大量に堂々と運ばれている。近くに行くと船頭が「5ケツアール(約100円)で対岸まで送るよ。乗ってみないか?」という。興味はあったが不法入国になりたくないので断ったが、メキシコに行くだけなら簡単なようだ。別の場所ではロープからぶら下がった椅子(スキー場のリフトのようなもの)で川を渡っている姿も見た。どちらの視察も地元の警察官が同行していたのだが、彼らも何も言わず、黙認された日常風景のようだった。
移民はグアテマラ人だけではない。グアテマラは中南米から陸路でアメリカを目指す際には必ず通る場所にあるので、あらゆる国の人が通過していく。最近多いのはベネズエラ人、ハイチ人、ホンジュラス人など。少数だが中国人などアジア人もいる。その国の経済、社会情勢と関係するのだろう。首都の旧市街の中央公園に行くと、アメリカを目指す途中のベネズエラ人らが集団で滞在しているときがある。途中で旅費が足りなくなったのか、「助けてください」というようなことを書いた紙を手に座り込んでいる人もいる。ホンジュラスとの国境を訪れた時は、入国施設の横を普通に歩いて通っていく人たちの姿があり、ザル状態だった。ホンジュラス側に強制送還されるケースもあるようだが、おそらくグアテマラ当局としては移民の目的地はグアテマラではないので、無事に通過してくれれば問題ないというのが本音なのではないだろうか。
一度、庶民的な都市間長距離バス(椅子が壊れ、車内の荒廃がすごかった)に乗って地方から首都に向かっていた時、ホンジュラス国境につながる道との交差点で、20人ほどのハイチ人集団が乗り込んできた。赤ちゃんを抱えた女性や子どももいる明らかな移民で、全員のパスポートの束を手にしたガイド役らしき男性はスペイン語を話すが、ほかの人たちの言葉は分からない。バスの車掌と運賃や両替についてもめ始め、「困ったな~」と思っていると、間もなく検問所でバスが止められライフルを持った警察官が乗り込んできた。集団のうち何人かが取り調べのために降車させられ、何と一緒にいた自分もパスポートを持っていかれて「バスから降りろ」と命じられた。グアテマラ政府発行の身分証明書を示し、旅行者でも移民でもないと説明したら席に戻してくれたが、どうも中国人の移民と間違われたようだった。首都に無事着いた彼らは夜の闇に消えていったが、今頃どこでどうしているだろうか。
円安で経済的には厳しくなったとはいえ、気軽にディズニーワールドに行ったり、大谷選手の活躍を見に行ったりとアメリカ旅行に行ける日本人には想像しにくいが、アメリカに入国するために故国の生活を捨て、命を懸ける人が世界にはたくさんいる。厳しい道のりを乗り越えて無事に入国できたとしても、不法入国者は再び自国に戻ることはできない。二度と家族と直接会うことはできない片道切符だ。先日ハワイ村を訪れた時、20年前から知っている年配の女性と話していると、「最近息子がアメリカに渡った」という。しかも「飛行機で」と言う。「へえ、ビザを取って正式に行けたんだ」と驚いたら、「いやいや、不法入国だよ」と言って見せてくれたのは、息子から送られてきたエンジン付きパラグライダーの写真。そう、その「飛行機」で国境を越えたのだ! アメリカのどこかの町で笑顔を見せる息子の写真を見せながら、女性は「でももう帰ってはこられないね」と少し寂しそうに言った。
今回グアテマラに来て一番悲しい話を最後に。ホームステイ家族だったディミーはアメリカに渡って数年後に、木を伐採する仕事をしていて高所から落下して亡くなった。家族が後に聞いたところ、命綱も付けてもらえず、本人は嫌がっていたのに無理に作業を強いられて事故が起きたという。搬送のサービスがあるらしく、遺体はハワイ村に戻り、母の手で故郷の墓地に埋葬された。亡くなったことで、もう二度と会えないはずだった家族ともう一度会えたんだと思うと、複雑な気持ちがした。自身と家族のより良い生活を求めて、どんな思いで村を後にしたのか、共にビールを飲んだあの夜、どんな将来を思い描いていたのか。聞いてみたかったなと思いながら、一緒に歩いた砂浜が見える墓地で静かに眠る彼に手を合わせた。