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そこで得たものは?新しい世代へ あれから20年~再びグアテマラへ(20)

小林 祐己

JICAグアテマラ事務所企画調査員

 年末に中学生の娘と息子がグアテマラに遊びに来ることになった。自分の任期も来年3月までなので、せっかくの機会に、なかなか来ることのない、お父さんが働いた国を知ってもらいたいと呼んだのだ。どこに連れて行こうかと考えるだけでも楽しいし、どんなことを感じてくれるだろうと思うとワクワクする。2人は海外は初めてではないが、以前は幼くて無邪気な時代だった。今回は中学生なので中身はもう大人に近いし自分というものができている存在だ、一生覚えていてくれる体験になればと願っている。

 自分は中学生の時、テレビで海外特派員がニュースを伝える姿を見て、「海外で記者として働くのは面白そうだな」と思ったのが、漠然ながら記者という仕事を志したきっかけだった。ただ、大学時代に周りの友人が留学したり、バックパックの旅に出たりしても、自分は外国に出ようとは思わなかった。海外に行こうと思ったのは、国内で新聞記者をしていた32歳のとき。仕事をする上で何かが足りないと感じ、「視野を広げたい」という理由でJICAの青年海外協力隊に参加した。実践英語を身に付けたいという思いもあったけれど、任地がグアテマラとなり、それまで全く縁のなかったスペイン語になってしまったが。

 そうして遠いグアテマラに来て、そこで得たものは何だったのだろう? 当時の隊員間で寄せ書きした文集のようなものが残っている。今読むと少々恥ずかしい青臭い文章ながら、その時の自分の思いがつづられている。「グアテマラに暮らして分かったこと。日本から遠く離れたこの国でも、人々が喜んだり悲しんだりして日々暮らしているという事実。~もし旅行者として来ていたら、美しい民族衣装や珍しい料理、日本と違う文化風習に目を奪われて、気が付かなかったかもしれない。住んでみて初めてわかった、当たり前の事実。~違いを知るのも大切なこと。でも一番大切なのは誰にでも同じ。『知らない異国だけど、きっとそこには自分と同じように毎日を楽しみ、時に悲しんで暮らしている人々がいる』ただそれだけを、わずかでも、頭の隅に想像することができれば」

 この文章の最後は、「誰がアフガニスタンにクラスター爆弾を降らせ、イラクに劣化ウラン弾を落とせるだろう」とさらに青い主張で締められている。当時はイラク戦争やアフガニスタン紛争が起きていた。例え良く知り合う同胞の国でも爆弾を落とせることは最近のウクライナ戦争でも実証済みで、現実社会ではそんなことは理想論でしかないのは十分理解しているが、ジョン・レノンのイマジンにあるように、みんながそう思えばという願いは捨てたくはない(昔の自分の文章を青いと書いたけど、年をとってもあんまり中身は変わってない)。ちなみに自分は忌野清志郎のファンなので、彼が邦訳して歌ったイマジンをぜひ聞いてほしい。なかなかの名訳だと思うし大好きな曲だ。

 いつもながら話が脱線したが、簡単に言うと、「はるばる外国まで来たがやってることは日本と同じだった」というのが前回のオチだった。この感覚は20年ぶりに仕事をしにグアテマラにやってきた今回も変わらない。前回はハワイ村でのんびり暮らす村人たちの日常にどっぷりはまり、今回は都市で忙しく働く人々と日々を共にして、「みんな毎日頑張って生きておる!」としみじみ思う。赤ちゃんが生まれたり、子どもが入学試験に合格してハッピーになったり、家族が大けがをしたり、職場で怒られてブルーになったり。そういう時間を共有させてもらいながら、「日本と全く同じだなあ」と感じている。こう書くとなんだか自分はせっかく外国に来ても感動のない無関心な人間みたいだけど、もちろんたくさんの異なる風習や文化に触れて面白く暮らしつつも、本質は同じだという意味だ。

 なので、子どもたちにも特に「将来は日本を飛び出て外国に行ってほしい」とは思わない。外国に行かなくても、日本国内で自分が生きていることに価値を感じ、周りの人たちとの関係を大切に思えるのならば、わざわざ遠くまで行かなくても十分だと思う。逆に自分が所属する場所があることは素晴らしいと思うし、その場所で社会に貢献できたら最高だと感じる。その意味で海外協力隊から帰ってきて、その後は日本国内で社会を良くしようと頑張っている人を見ると尊敬の思いを抱く。もちろん外国でその国の発展に寄与することも大切なので、それはそれぞれの選択だ。自分の場所がどこかは自分で決めればよい。年末にグアテマラに来る自分の子どもたちには、将来にその決断をしていくための判断材料の一つとして、今回の旅が何かを残してくれたらいいなと思う。


 今回のコラムは最終回として、最初のお題だった「この20年で何が変わり、変わらないのか」に答えようと思っていたのに、何だかオヤジ臭い話になってしまった。20年もたてばITや経済面など社会の変化はたくさんあるが、人々の暮らしはそんなに変わりはなかった。協力隊員として新たにグアテマラに来た20~30代の若者に「20年前に隊員でした」と話して、「えー、そんな昔! 自分は小学生でした」みたいな反応が返ってくるたびに、そんなに昔話でもないんだけどな~と苦笑する。社会の流れの中で実は20年なんて短いのだが、人の人生においては長い期間だ。子どもは大人になり、若者はおっさんになる。そうして新しい世代の日本人がまたグアテマラに来て、新しい世代のグアテマラ人が日本を知っていく、この時代をつなぐ動きこそが一番大きく、大切な変化なんだろうと感じる。

 グアテマラでボランティアをした協力隊員は延べ800人以上に上るという。その一人ひとりの人生にそれぞれのグアテマラでの経験が刻まれ、今もどこかで生きているはずだ。そしてこれからも、短い人生の貴重な時間を使って、何らかの思いを抱いてグアテマラなど外国に来る新たな隊員たちがいる。この20年間で50代の正真正銘のおっさんになってしまった自分は好きな記者の仕事に戻りたいと思いつつ、もう少し新しい世代をサポートする仕事をし、自分の視野ももう少し広げたい(まだ言ってる!)と考えている。お父さんもまだまだ頑張らなければいけないのだ!(おわり)

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