インタビュー編(6)「でこぼこ」に寛容な共生社会へ 市民団体「障害児も地域の普通学級へ・道北ネット」 平田永代表
【ひらた・はるか】
滝川市出身。旭川市在住。長男の和毅さんが2歳の頃、自閉症・知的障害と診断を受ける。和毅さんは特別支援学校へ通わず、地域の小学校の特別支援学級に在籍した。中学校では普通学級で皆と共に過ごし、本人の変化を目の当たりにする。インクルーシブ教育の実現を目指し活動。「―・道北ネット」は2016年設立。障害児の父母や教員、旭川市議、道議などで構成し、会員約70人。49歳。
-障害のある人たちが日本では分けられている。
私たちの世代は、小学校に入学したら障害児はもう校内にいなかった。養護学校が義務化(1979年)された後、軽い障害の子はいても、いるなら同じことができるとみなされた。できないなら、あちらの学校(養護学校・学級)へ行くべきという目線が教員はもとより、生徒にまであった。
長男が、障害児の通う幼稚園と一般の幼稚園を行き来した時期があった。なぜ分かれてしまうのだろうと違和感が湧いた。日本の社会の現在地は、そうした園や特別支援学校・学級があり、「あなたの子のためにあるものなのに、なぜそちらに行かないのか」と思われる。先生たちに迷惑がかかる、子ども本人が付いていけずにかわいそうだなどと言われる。社会のルールと世間の道理があるが、後者がいつの間にかルールになってしまっている。
-障害がある長男の育ちを見て、感じてきたことは。
小学校へ上がる時、特別支援学校は最初から想定していなかった。ただ、地域の小学校へ行くにも普通学級には入れず、特別支援学級で教員に付いてもらうことになった。普通学級の子どもたちとなるべく多く触れ合わせてほしいと希望を伝えるのが精いっぱいだった。
国連が採択した障害者権利条約に日本が批准したのは2014年。批准に向けて国内法の整備・改正の動きがあった。
長男の就学時は、障害のある子の就学先の決定に関わる学校教育法施行令(1953年施行)が改正される(2013年)前であり、教育委員会や学校が決める形だったからだ。とはいえ、その施行令の第22条の3(注1)が今も障害のある子どもたちの就学先決定の基準になり、「こういう子は特別支援学校へ行くべき」と言われる根拠になってしまっている。
(注1)学校教育法施行令第22条の3・・・視覚障害者なら「両眼の視力がおおむね0・3未満もの・・・」、聴覚障害者なら「両耳の聴力レベルがおおむね60デシベル以上のもののうち、補聴器等の使用によっても通常の話声を解することが不可能・・・」などと定めており、知的障害者、肢体不自由者、病弱者についても障害の程度の基準を明記している。
だが、この考え方は、障害は個人に起因するものであり、改善し、克服することをその本人に求める障害の「個人モデル」だ。障害者権利条約の批准国では考え方が変わっており、障害のある人が能力を発揮できないことは、個人が克服するものではなく、社会や環境が整備されれば取り除けるものとする「社会モデル」になっている。学校教育法施行令はこれに反している。
この規定と関連する教育制度という仕組みが残っているから、親たちもそれが適切だと思ってしまう。ニーズがあるという言い方もされてしまう。
長男の育ちを見ていて、友達同士の学びや遊ぼうとする内発的意欲、言葉の習得、友達から注意されたり、怒られたりし、会話やいろんなことを学ぶ姿があった。学校は社会の縮図であるから、社会で生きるためには一緒にいる方が伸びると感じた。普通学級が最高の学びの場だと考え、小学校時代は支援学級から普通学級への変更を何度も頼んだ。結局、その意見を受け入れてもらえなかった。
彼らの多くは、息子を権利の主体としてではなく、障害児として慈悲の眼差しで接している。特別なニーズを満たしてあげているという恩恵的な姿勢がある。だが、生まれてくる問いは、多くの障害のある生徒の一人ではなく、「ヒラタカズキ」としての社会性や自立とは一体何なのかということだ。
学校では、特性のある子はしかるべきレールがあって、中学校は特別支援学校へ行き、就労の道を歩める状況を作ろう、技能を身に付けようとなる。慈悲や善意のまなざしが、いかにその人を障害者にしているかを認識する必要がある。
障害があるから、選ばせてもらえないとは暴力的なシステムであるということだ。子どもが学校にアクセスする時、障害も含めたその子の特性によって学ぶ場を分けることは、結果的に差別になってしまうことを意識しなければならない。
自立とは、友達と触れ合いながら、社会性を身に付けることだろう。どういう風に人と接して身の置き所を理解するか。助けてほしい時に助けてと言えるかが大切だ。私たちも自分の力だけでできないことがある。依存先を増やすこと。たった一人でなく、いろんな友達が隣にいて、必要な助けの内容によって、頼りにさせてくれる相手も変わる。
実際に、特別支援学級に在籍していた小学校時代は、支援員がぴったりと付いていて、友達は目をかけなくなっていた。支援員が友達との壁になり、関係が希薄だった。だが中学校でずっと普通学級で過ごし、支援員も近くにいない状態になると、友達との関係ができていった。授業に入るのに最初は戸惑いもあったが、同級生たちが長男のことを「障害者じゃなくなっていった」と言っていたことが印象的だった。
障害のある人について語る時、たいていの人は悲壮感を含んで話したりするが、長男の中学時代の担任にはそれが全くなかった。
-インクルーシブ教育は何をもたらしてくれる。
まずは障害がある子がいる環境を体験することだろう。世の中にはいろんな人がいるという現実を知ること。障害者権利条約に沿ったインクルーシブ教育と文部科学省が言う「インクルーシブ教育システムの構築」は対峙するものだ。前者は学校という範囲で考えると、大人が子どもへ向けるまなざし、障害へのまなざしや姿勢、態度が鍵になる。そして本当の目的は共生社会の実現だ。インクルーシブ教育を推進することは、それ自体が目的ではなく、共生社会へ向かうための過程にすぎない。
今の世の中に欠けている部分のアンチテーゼでもある。欠けているのは寛容のなさ。何かあったら駄目。一律さや均一性を求める社会だ。何かあることが前提の社会へ転換できるだろう。
社会は多様な人の集まりだ。集まる以上、何かが起こることを前提とする方が自然ではないか。だが、何もないことや一律さ、均一性を求められるのが、今の日本の社会の姿だ。
人間には「でこぼこ」がある。その違いをまずは尊重すること。そしてその「でこぼこ」によって社会にアクセスできない、しづらい「壁」が存在していたら、本人を含め、関わる多くの人でその環境を変更、調整し、壁を取り除いていくこと。それがフルインクルーシブ教育の最大の特徴だ。
その「でこぼこ」を知りたくない人はどうすればいいのかと問われるかもしれない。日本は民主主義の国のはずだ。ルールになっているのは「多数決」だと思いがちだが、それは一つの手段に過ぎない。本来の民主主義は、互いの違いを知り、認め合うことをルールにした社会のことを指す。違いを知らないと認め合うことはできない。ならば違いがある人が一緒にいないと分からない。
対話し、この教室や学校、地域、社会、国をどういう風にしていくべきか。いろんな人の特性を実際に体験しないと、知ることも考えることもない。その体験をするのが学校ではないか。
長男が中学3年のころ、学校祭で生徒が自由に企画して発表する場があった。級友たちと長男が舞台に立ち、学校生活をコントにしてひとしきり笑わせた後、うちによく遊びに来る男子生徒2人が語り出した。
友達が「カズ(長男のあだ名)は幸せなんです。カズ、幸せだよね?」と呼びかけ、長男もオウム返しにすると大爆笑。そこで動画を流して、長男が学校生活を送っているところ、運動会の様子を流して、「一緒にいるのは互いに貴重なこと。廊下で会ったらぜひカズにあいさつして」と呼びかけた。
なぜそんな発表をしたのかと後で聞くと、違う学年の子たちが長男を避けて廊下をすれ違う姿を見たからだと話してくれた。友達たちは「先入観を持ってほしくない」「一緒にいるのがおかしいと思われるのは悲しい」と言っていた。先生や誰かにやれと言われたことではなかった。
これこそ文科省が掲げる「主体的で対話的な深い学び、アクティブラーニング」ではないのか。誰もが一緒にいることでそれが実践された。今の特別支援教育はその芽を摘んでしまっている。自発的、主体的に考えが湧くのは、異質なものがなければ生じにくい。子どもたちは今、それを持ちづらい環境に置かれている。インクルーシブ教育は、対話的、主体的な深い学びをもたらしてくれる。
-文部科学省はなぜ分離教育をやめない。
世間の道理の中で騒動が起こることを恐れているのではないか。社会には道理が脈々と生きているから、それを踏み外すとハレーションが起こる。特別支援教育をやめて、インクルーシブ教育にするぞと言うと、現場の秩序が乱れることへの恐ろしさがあるのだろう。
新型コロナウイルスの感染拡大時、ある大臣はロックダウンのような強制でなく自粛要請を素直に受け入れる国民を見て、「日本は民度が高い」と言った。同調圧力を利用したに過ぎないのではないのか。
同調圧力が生じやすい国民性を前提とした場合、「障害」や「障害者」をテーマに語るとどうなるか。
条約や法律といった社会のルールが、世間の道理、感性である「障害は個人に起因する」という考え方によって矮小化される。障害特性を持った人の人権を保障し、社会的障壁を取り除こうとしても、本人が頑張って障害を改善・克服することが美徳であり、正義であるとされて、世間の道理が優先される。
政治が恐れるのは「自由」の承認によって生じる「秩序」の乱れだ。秩序維持のために空気を醸成し、そこで生ずる同調圧力を利用し、その秩序の枠からはみ出るものを最小化する。障害者を取り巻くこの状況が、国の責任ではなく、国民の意思として定着しているのが現在地だろう。
障害者を不幸だと思い、不幸にしているのは社会の感性や慣習だ。優生思想の下、障害がある子どもたちが学校に通えない時代があり、障害児を生んだ親は強制不妊手術をさせられた。そんなことが脈々と生きている社会だ。
文科省はグローバルスタンダードなインクルーシブ教育に転換すると、小中段階の学校教育が持たないと思っているのかもしれない。先生たちの感性も大きく転換しないと 障害の個人モデルから社会モデルへの転換は果たせない。
私も理解するまで、すごく時間がかかった。学校は障害の克服を前提に話してくる。障害特性のある子や親が普通学級にアクセスしようとした時、両親は子どもを苦しめているんですよと言われ、どうしても個人モデルに引っ張られる。
私たちの世代も養護学校義務化になってから小学校に入学しているので、健常者と障害者が分離された今の社会の構造しか体験しておらず、障害の社会モデルの理解に至りづらい。
インクルーシブ教育は、学校で起きているさまざまな事象の発生を抑える環境設定、一つの糸口である。だが、目の前にあるのにつかもうとしていない。この教育には緩い空気が流れる。良い意味で仕方ないよねという空気が醸成される。障害がある子がいると、そうならざるを得ない。だが、それによって誰もがいやすい環境になる。この雰囲気が乏しいことが、不登校やいじめ、自死につながっていないか。インクルーシブ教育が解決できるかもしれない。
何かがあっても大丈夫、という寛容さが育まれるということだ。緩くなれば先生方も肩の力が抜けて楽になる。誰に対しても許容範囲が広くなる。担任が恐れるのは学級崩壊だが、こうあらねばならないとの意識がどんどんほどけていく。そんな寛容さが今の世の中になく、学校教育にもない。そこで育った子どもたちが大人になっていくのが果たして良い社会を作るのだろうか。
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