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インタビュー編(2)「点数学力」からより良く生きる学びへ 北海道教職員組合 道東総支部 新村浩三書記長

高田 英俊

十勝毎日新聞社 編集局整理部

【しんむら・こうぞう】
 音更町出身。十勝の町村の小学校で普通学級、特別支援学級の担任を13年勤める。組合専従となって6年目。組合として「共生共学」をうたい、十勝、釧路、根室、網走の道東一円の各支部を束ねる。41歳。

 -十勝の小中学校の特別支援学級の在籍率が全国でも突出して高い。
 支援してもらえるならと親子の抵抗感が薄れ、ハードルが下がったのかもしれない。合理的配慮の一つとして、肢体不自由の子がクラスにいて、教室が2階にあった場合、エレベーターがないため、車いすのまま乗れるエスカレーターを整備した例があった。

 普通、特別支援の各学級の担任だったころ、在籍の子ができる限り一緒にいられるよう配慮するにはどうすべきかと先生たちと互いに相談して考えた。保護者や本人の意向も踏まえている。

 北海道教職員組合としては、多様性のある集団の中で共に生き、共に学ぶことを「共生共学」と呼んでいる。設備などは確かに予算が関わってくる。国際的にはインクルーシブ教育が目指されており、我々もそれを目指している。教員の定数配置は国が決めているが、自治体の中には独自に支援員を厚く配置する体制を整えているところもある。

 -在籍の子どもが増えた要因に考えられることは。
 学校自体が学力テスト、いわゆる「点数学力」への偏りが強くなっている。勉強についていけないと、「在籍だね」という誤った考えに陥ってしまう。全国的にいじめが増え、不登校が過去最多となっている。いじめは認知の幅が広くなっていることも一因だが、これらの問題は特別支援学級の在籍の多さとまったく無関係ではないと考えている。

 テストや受験を無視はできないが、そこに特化しすぎているのではないか。子どもはいろんな子と共に学んでいける。特別支援学級の子も一緒に学ぶことで、周りの子もそれが当たり前になる環境を作っていきたい。

 学校は本来、民主的社会の主権者を育てる場所。今ならLGBTQや外国籍の子たちがいる学校が増えている。発達障害も含めて障害がある子も同じ。多様性を包摂できる学校を作るのが大切だ。

 障害がある子どもたちが大人になっても地域で暮らしていくことを望むならば、なおさら皆と一緒にいるのは当たり前だ。在籍しなくても一緒に学べる環境が整備されれば問題はなくなる。組合としては在籍者数が減っていき、結果として皆と一緒に学ぶことにつながるのが良いと考えている。

 -支援が必要な子どもたちとどう向き合う。
 組合は障害者を医学モデルではなく、社会モデルでとらえようと特別支援教育制度が始まる前からずっと発信してきている。その子にとっての障害となる事象を取り除くことを考えている。

 例えば、次に何をするのか見通しが立たないとすごく不安になる子がいる。授業の順序を先に黒板に書いてあげる配慮は、その子はもちろん他の子たちにも助かる。また、色覚異常を抱える子どもがいるかもしれないと想定して、チョークの色を普段から工夫することもある。

北海道教職員組合 道東総支部 新村浩三書記長


 -十勝には複数の病院で、児童精神科医に診てもらえる環境がある。
 保護者の発達障害への認知度が上がって受診しているのだろう。ただ、「診断」イコール「別の学び」ではない。家庭や学校でどうサポートしていくかだ。

 -子どもの障害種別を差配して、人員増を図ってきた教員もいる。
 組合としての取り組みではない。ただ、普通学級の担任は元々、クラス内に特別支援学級の在籍の子がいても、「自分の担任の子どもではない」とは考えない。複数の教員がいられる体制の整備を進めることによって、どんな子も一緒に学びを進めていきたいと考えたのだろう。

 -普通学級の担任の中には、手がかかる子に特別支援学級へ入るよう勧めることがある。
 教員ごとに対応が分かれるだろう。その子にとってどういう環境がいいのか。関わる人たちが話し合って決めるのが重要だ。校内で子どもの実態について学年をまたいで普通、特別支援の担任らの交流会議がある。私自身は、子どもの在籍を勧めたことはないが、学習や友達関係に子どもが悩んでいる場合には、どうするかと保護者と共に話し合ったことはある。

 例えば、教室を飛び出す子がいる。「その子が悪い」ととらえてしまうとそこで終わり。大人が、「今の教育条件や環境が変わるべきなのか」の視点に立てるかどうかが大きい。大人がその視点に立てれば、自然に周りの子ども達も、その子を責めるのではなく、「あれが嫌だったのかもしれないね。今度はこうしたらどうだろう」という考えを持つこともできる。

 一方で、教員は現状、多忙すぎて、対応も気持ちも回らない。なぜそんな行動をとるのかを考えないといけないが、教員の多忙さの嘆きの声を聞いていると、本当に身につまされる思いになる。

 -現場での苦しさはどこにある。
 小学校での私自身の経験だが、20代前半の独身の頃、放課後に少年団の指導を手伝っていた。午後6~7時に終わってから、採点や次の日の授業の準備。遅ければ9~10時に帰る。

 同じ学校に育児休暇明けの先生がいた。定時に帰っていたので、仕事をいったいいつやっているのかと聞くと、子どもの迎えがあるから、まず早く帰り、子どもを寝かせてからか、子どもが起きる前の夜中3~4時にしていると言っていた。

 私は教員の仕事はやりがいがあり、楽しいと感じている。だが結婚して子どもができて、結局この先生と同じように働いている。

 学校現場の一番の問題は、授業の準備や子どもの対応のための時間がほとんど設けられていないことだ。1日がきつきつで終わり、勤務時間外にそれらをやらざるを得ない。日中に授業をしなくてもよい時間を作れれば、採点や翌日の準備、子どもへの対応やその準備ができ、働き方は改善できる。

 どの教員も「子どもにもっとこんなケアをしたい」と考えているが、やることが多すぎて時間が作れない。子どもへのサポートができなくなることが現実に起きている。

 -教員の定数増を訴えてきた。
 全国規模で組合は昔からずっと言っている。少人数クラスの実現を本当に長年訴えて、やっと35人学級が小学校で段階的に実現されるようになった。人員は予算の問題だろう。今は悪循環だ。大学生が教育実習に来ても学校現場の働き方が余りにきつくて、教員志望をやめる人、教員になっても早期に辞める人がいる。

 文部科学省の勤務実態調査は、22年度は月間の残業上限である45時間を超えている人が多いが、前回調査より改善していた。これはコロナ禍期間中の調査であり、いろんな学校活動の制限があったからで、残業時間が減ったのではないだろう。文科省の政策効果とはつながっていない。

 組合は2020~22年の3年間、毎年9月に「勤務実態記録」を集計し、ホームページで公表している。北海道教育委員会には改善を働きかけている。とはいえ、それは小手先のこと。現実に教員の数が足りない。インクルーシブ教育推進やいじめ、不登校への対応を考えると、定数にメスを入れることに尽きる。

 -文科省はなぜ予算を割かない。分ける教育を続けたいのか。
 結局は医療モデルなのだろう。障害がある子どもがいたら、個人の問題としてどう解決していくかという発想にしか立っていない。障害者が生きていくのに、学校や社会がサポートできるかどうか。それを家族だけで解決しようとするのでは、家族もしんどいだろう。学校なら担任1人で見てというのも厳しい。

 予算については、付けると結果が求められるからではないか。分かりやすいものでなければならず、特に行政はなぜこのお金をここに使ったのかと説明を求められたら、説明しなければいけない。その時に困る。

 だが教育は効果が数字や点数で見えにくい分野であり、逆にそういう尺度だけで見てはいけない分野だろう。道教委や文科省も予算をかけたいと思っていると言う。でも財務省からはエビデンス(証拠、仮説の検証結果)を求められる。

 では点数や学力を高くするために習熟度別のクラス編成の方がいいのではという話も出てくるが、それはインクルーシブ教育に逆行する。習熟度別は、突き詰めると多様な考えが生まれなくなる。

 すると、学びとはいったい何だろうという問いになる。受験のためだけの「点数学力」から、より豊かな生き方のための学びという発想に立つべきではないか。そうすれば、インクルーシブ教育も合わせて進められるだろう。

(「連載・子どもを分ける学校」インタビュー編は、電子版で毎週月・金曜日に無料配信します。教育や共生についての多様な意見を紹介します)  

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