インタビュー編(4) 大切なのは排除しないこと 行き詰まった教育の打開を 市民団体「どの子もともに普通学級へ!ともに歩む会」 吉田淳一事務局長
【よしだ・じゅんいち】
宮城県南三陸町出身。大学卒業後、1986年から十勝の町村の小学校9校で計34年間勤務。普通学級の担任を25年、特別支援4年、専科(総合学習、書写、理科実験)を5年務めた。誰もが同じ教室で一緒に学ぶべきと活動する市民団体「どの子もともに普通学級へ!ともに歩む会」(1987年発足)の事務局長。全国にネットワークを持つ「障害児を普通学校へ・全国連絡会」の北海道の世話人。67歳。
-十勝で特別支援学級に在籍する小中学生が増えてきた。
発達障害が社会的な風潮で助長され、ちょっと個性的な子らに診断が下されていった。親も他の子と違うことに余りにもナーバスになりすぎている。診断を受けることで自分の育て方が原因ではないと安心できる側面があるかもしれない。
育て方のせいにするのは違和感がある。発達障害そのものが不明瞭で、基準が不明確なものだ。十勝で診断を受けて特別支援学級に入る子が増えてきたのは、道立緑ケ丘病院があるからだろう。近くに頼る所があるから診察に行く。医師らは子どもにどんどん発達障害のラベリングをしてきた。
例えば著名な精神科医、野田正彰さんは、そもそも精神病や発達障害は医学的根拠のない仮説だと唱えている。かつての精神医療は十分に時間をとったカウンセリングで患者へアプローチしていた。
だが最近は米国精神医学会(APA)のチェックリスト「DSM(精神疾患の診断・統計マニュアル)」に基づいており、製薬会社がリストの作成に影響を与えている。すぐ診断を下し、薬を処方する。非常に安易だと批判が起きている。仮説で診断した病名が一人歩きする危険な状態で、子供に向精神薬を処方している。以前に勤めていた放課後デイサービスに通う子どもたちの多くが薬を飲んでいた。
普通学級にいる潜在的な発達障害児がどれだけいるのかの文部科学省の調査は、あくまで現場の担任の感覚に過ぎない。その割合が高まってきたという数字(2002年=6・3%、12年=6・5%、22年=8・8%)も普通学級にいる子の親が心配する要因になっただろう。
-増えてきた過程での教育現場の問題は。さらに文部科学省の通知による影響は。
今の教育課程(教える内容)、教科書は膨大な量であり、一人の教員が教えるのにそれなりの労力と時間が必要だ。対して子供たちは多様性が豊か。対応していくのは大変だ。教員の手が足りなかったのは事実だが、いわゆる「十勝方式」(注1)で子どもの在籍を取っていく手法は人権上どうなのか。主導していた教員の一人とは激論を交わしたことがある。
(注1)十勝方式・・・国が定める教員配置は、特別支援学級の児童・生徒8人までは教員1人。9人になると教員2人目が付く。ただ、同学級は子どもを7つの障害種別(知的障害、肢体不自由、病弱・身体虚弱、弱視、難聴、言語障害、自閉症・情緒障害)に分類する。各障害種別に児童・生徒が1人でもいれば、教員を1人付けられる。本人と保護者の同意は前提だが、障害種別をどれにするか考慮し、差配することで、子どもに対する教員の数を増やし、手厚くケアしようとした。
そもそも同じ場で学ばせたいという方向は一緒だったが、手段には同意できなかった。そうして増えた特別支援学級の子どもたちは、次は文科省の通知が出たことで半分以上分けられていくことにつながる。結果的に分離される子が増えることになる。
学校現場での同学級の運用は、緩やかにできるところもあったが、半分以上という四角四面のやり方を当てはめて締め付ければ、子どもへのケアを手厚くしようとしたことが裏目に出てしまう。インクルーシブ教育から離れていくのに、暗たんたる気持ちになる。
特別支援教育で子どもに合わせてあげるべきと主張する先生は、実は本当に真面目だからであると知っている。ただ、最近、衝撃を受けたのは、ある小学3年生の子の発達段階に合わせるという理由で、1日のうち何時間かを幼稚園に連れて行き、幼稚園児と交流させていた。管理職も認めていた。人権侵害であり差別だが、そう感じていない。本気で良かれと思ってやっている。これが、今の特別支援教育が生み出したものではないか。
特別支援学級で小学5~6年の算数を習えなかった子がいた。中学へ進学して普通学級で学んでいるが、数学が分からなくてとてもしんどい。その子に合わせてレベルの低めの学習をさせる。限られた学校のテストや心理テスト、知能指数(IQ)検査だけを通じて、その子のレベルなど測れるものではない。
-文科省は「一人一人の教育的ニーズを踏まえた学び」とうたう。
「個々のニーズに応じた教育」と言いながら、ニーズをどう把握するのかをまとまった形で見解を示していない。個々のニーズという言葉だけが一人歩きしている。皆、その言葉に弱い。どうやってニーズを把握するのか。結果的に親は病院に頼る。教育が教育でなくなり、医療に支配されている。
そもそもニーズを把握できないならば、特別支援などできない。もうこの制度は破綻している。小中学生の10%以上が在籍しているなら、それ相応の政策や制度が必要だろう。今の特別支援教育の制度が始まった時、国は在籍する子どもがこれだけの数に上ってくるとは想定していなかっただろう。
現在、旧優生保護法に基づいて、かつて強制不妊手術を迫られた人たちが訴訟を起こして続々と勝訴している。今の子どもを分ける教育も、分けられた人たちが声を上げて、教員や学校のしたことが人権侵害だったと訴える社会になるかもしれない。現状に忸怩たる思いだ。
教育の個別最適化と言われるが、これは情報通信技術(ICT)に絡んだコンピューター用語だ。これには人と人が学び合う視点がない。個人の能力に合わせてコンピューターが自動的に出題する。個々人は知識を習得できるかもしれない。だがそれは本当に生きた学びになるのか。個別最適化とは、今の全国学力テスト、学力向上運動の一つの帰結点でしかない。
-学力向上運動の現状は。
今年、教育関係者などが学力向上に向けた対策を話し合う会議で、全国トップレベル2県の教員と全国学力テストの話をした。A県の教員は「やってしまった」と告白した。もうこれから先、首位を保ち続けないといけなくなる。B県の教員も同じ心情を吐露した。
実は彼らは、全国学力テスト前に模擬訓練をしていた。ほとんどの学校でやっていたそうだ。特別支援学級の特に知的障害の子たちには、受けさせていないのが真実だと言っていた。十勝でもこうした実態はある。
ある町のある小学校では知的障害の子を排除していた(注2)。現役の教員だったころ、国のお金でやっている、全員受けさせるべきと声を上げていた。その小学校では教員が勝手に個々のニーズやレベルを判断して6年生の子に3年生用の学力テストを受けさせていた。これが個別最適化の実態だ。
(注2)全国学力テストの対象・・・文科省は対象から特別支援学級の知的障害児や下の学年の学習内容を学んでいる子を除外している。
できない子に受けさせていいのかという声があるのは事実だ。だが、できなくても誰しもに受ける権利があるはず。問題を解けなくても、こんな問題があると知ることができる。本当にインクルーシブ教育を実践している学校は、障害がある子も等しく受験しながら、全国平均を上回る結果を出している。私が知る教員が担任をしていたクラスにもそんな例がある。
-現場ではどんな実践ができるのか。
ある小学校で、1年生のころほぼ完全に特別支援学級にいた子がいた。毎時限5~10分勉強し、残りは遊んでいるようだった。2年生になって私が担任になったのを機に、保護者に相談し、本人も「皆と一緒にやりたい」と言ったので、クラスに入るようになった。
読み書きが不十分で、自分の名前も二文字くらいしか書けず、数字の概念もまだほとんど持てていなかった。その子にも分かるように問題を出したりしていた。
ある日の作文の時間にその子が大きな声で「私も書きたい」と言い出した。どうしようかと思い、最初は聞き書きをしてあげて、何が好き、どこへ行きたいとか簡単な内容を書いた。その後、皆が作文を発表する時にまた、「自分でやりたい」と言った。一緒に読んであげると言ってくれたクラスメートがいて、隣でひそひそと読んであげて、その子がなぞるように大きな声で発表した。
子供たちを一緒に置くことで、現場で方法を発見していった。この子の読み書きへの関心はその後、ぐっと上がっていった。2年生が終わる頃にはゆっくりだが、黒板からノートに板書ができるようになった。作文も自分なりの文字でマス目を埋め、発表時も自分の内側から湧いた言葉で発表できるようになった。2年の算数では九九を習う。いつの間にかこの子が大きな声で九九をそらんじる号令係になっていた。
こうしたやり方は一緒に学んでいく中で編み出せたものだ。その子にとって学習の刺激になり、別室でやるとできない何十倍の知的刺激を受けて、すごく伸びていった。この過程では周りの子もいろんな学び方、多様性があると知る絶好の機会になった。
教科書通りのやり方ではたどり着けない領域であり、個々のニーズに応じた教育とか個別最適化の教育からは絶対に生まれない。これが子供たちが学び合うということ。教員も子供たちと一緒に何かを作ることができたと感じられる。こうした例は周りにはたくさんあった。
-いろんな事例から実感してきたことは。
大切なのは排除しないこと。必要な時もあるかもしれないが、何らかの特性がある子、特徴的な子を医療や福祉に安易につなげてしまわないことだ。クラスの担任が受け入れる姿勢を持てば、子どもたちも分かり、同じ仲間として受け入れていくし、自然とフォローし合う関係ができていく。
現状を見聞きしていると、すぐに医療や福祉につなげざるを得なくなっている。一方で、学力偏重主義が非常に幅をきかせているから、できる、できないで子供たちが分断される状況がますます深まっている。
その行き着く先がいじめや不登校、自殺であり、すべて過去最多になっている。今の教育の在り方の根幹が問われている。分けない、学び合う教育によってしか、この危機的な状況は乗り越えていけないだろう。
インクルーシブ教育は障害児だけのためのものではない。現在の行き詰まった教育を打開していくためのもの。苦しんでいる子、命を救っていくものだと思う。教育現場でブラックな環境で働き、苦しんでいる教員も含めて救えるものだ。
-有識者の中には、障害児でも特に知的障害の子は、皆と一緒にこだわって分からないまま座らせておくのは本人に残酷との意見がある。
それこそ先の小学2年生の例だ。一緒にいさせることだけでの正解はないかもしれない。知的障害がある子を難しい勉強の中に放り込む「ダンピング」をしてしまうと、打開の方法は見つからない。ただし、「その子がかわいそうだ」という見方をしている限り、打開法はない。そういう子もいていいんだと受け入れていけば、さまざまな解決策が生まれてくる。
だって社会はいろんな人がいて成り立っているでしょう。家庭も地域も社会も。学校だけが、特定の子が同じ場で学べないなんてことはない。子どもがいる場所は、成長するにつれて学校だけではなくなる。社会に混ざっていく。学びの場で分けてしまうと、本当の学びの豊かさからはどんどん離れていく。
-インクルーシブ教育へ傾倒していったきっかけ、理由は。
学生時代に、障害者の運動に関わる人との出会いがあった。当時は重度の障害者が自立して生活しようとする動きが生まれていた時代でもあった。そんな人たちの在宅支援や介護活動に参加していた。
養護学校が義務化されたのが1979年。当時、大学生であり、反対運動に関わっていた。賛成派はこれで教育からこぼれ落ちる子がいなくなると言っていた。発達保障を信奉する人たちだ。以前は就学猶予という形で学校に行かず家にいる子どもたちがいた。
ところが養護学校義務化は結局、日本の分離教育が強化されるきっかけになった。就学猶予の子どもたちに加えて、普通の学校、学級にいた障害がある子たちが養護学校へ移っていった。そこから「養護学校」や「特殊学級」が「特別支援学校・学級」に名前を変えただけで、今の特別支援教育、分離教育につながっている。数十万人の発達障害の子どもたちを特別支援教育の対象に組み込むことになった。
学生の頃、障害者の人たちの生の声を聞いていた。「生きる場、学ぶ場を分けないで。それは障害者差別だ。差別しないで」。そんな言葉から湧いた気持ちが、今も私の内にある。
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