勝毎電子版ジャーナル

勝毎電子版

子どもを分ける学校(7)「普通に見えたのに、駄目だった」 不登校は発達障害へ配慮足りず

高田 英俊

十勝毎日新聞社 編集局 整理グループ

 発達障害の認知度が高まり、「やる気がない」「怠けている」と片付けられがちだった子どもたちの特性への理解が進んできた。だが依然、教員の不足や配慮の足りなさからか、不登校になる子たちがやまない。学校で困る子どもの事例は、教員が子どもへ向けるまなざしを問うている。

 「睡眠障害になって今この時間も家で寝ています。私はそのまま出てきました」。不登校の中学3年の長男について、坂本美智代さん(46、仮名)は語り始めた。平日の午前10時過ぎだ。

 長男は就学前から多動傾向があった。注意欠陥・多動症(ADHD)だと推察されたが、児童精神科医は自閉スペクトラム症(ASD)だと見極めた。帯広市への転入は小学4年。以前は道内の他地域で普通学級にいながら、週8時間まで個別指導を受けられる通級指導教室を利用していた。帯広の小中学校には原則、通級がないため、普通か特別支援かの二者択一を迫られた。

 長男の知能指数(IQ)は平均値以上だったが、4指標別では視覚推理と言語理解に大きな差があった。坂本さんは「目で見る情報は入る。だから逆に音の情報が後回しになる」と息子の特性を語る。学級担任が3回言わないと伝わらない状態だったという。

取材に答える坂本さん


 国は2026年度までの10年間で、通級を利用する子ども13人につき、教員1人を配置する方針を定めた。移行期である現在は通級をニーズに応じて開設しても、教員が必ず1人配置されるとは限らない。学校現場も教育行政も確実に1人配置される特別支援学級へ在籍させるよう傾きがちになる。

 坂本さんは帯広市教委に通級の開設を頼んだが、担当者は、入りたい子が何人いるか分からないため設けられないと返答したという。市教委に方針を尋ねると、「国が10年計画で基礎定数化する。市民の要望には耳を傾けている」と答えた。ただ一方で、通級を求める人の数はそもそも調査していない。

 ASDの子は環境の変化に弱い特性があるとされる。長男は当初戸惑っていたが、問題ないだろうと教員らの助言があり、普通学級を選び、支援を受けるのを諦めた。坂本さんはADHDと診断されている小学3年の長女のことも不安だ。勉強には特に問題がなく、授業時数の半分以上を特別支援学級で過ごす必要は感じられない。だが通級がないために、同学級の在籍にせざるを得ない。

 長男の成績は、学年で20位台だった。変調を来したのは、中学2年の秋に部活をやめてからだった。

 坂本さんによると、サッカーを始めたのが小学5年と周囲より遅く、技術の低さをチームメートにばかにされたという。顧問の言うことも十分に聞き取れずに叱られたり、周りの子の「あいつ空気が読めない」との言い分がくみ取られたりしたようだった。

 部活は学校の宿題をこなすのが条件。提出する強制力がなくなり、乱れていった。やるべきことが明確ならできたが、自ら課題を見つけて取り組む「自主学習」は始めようとノートを広げても30分、何もできない。成績は急降下した。

 「友達関係も宿題も自分のせいと言われるかもしれない」と坂本さんは自嘲気味に言う。だが一方で、スクールカウンセラーや教頭にも息子の特性は伝えていた。「もう少し発達障害への理解や合理的配慮があれば違ったかも」。校内の教員同士で本当に情報が共有されているのかと疑念が湧いた。

 「中2までは順調。いつか症状が出るかもしれないと心配だった。普通に見えたのに、結局駄目だった」

■情緒学級からさらに「別室」へ 感覚過敏で集団入れず
 帯広市内のある小学校は、情緒学級にも入室できない子どもたちがなんとか登校できるようにと別室登校の教室を設けた。ここで学ぶ児童は7人。児童らの親たちによると、うち5人が「完全に繊細なタイプ」と言う。

長女について語る富田さん


 富田郁子さん(39、仮名)の長女は4年生。幼稚園の頃から感覚過敏の傾向があった。期待を膨らませて小学校に入学したが、最初の夏休みが来る前に不登校になった。1年時の担任には、感受性が強く、感情や音、視覚など環境からの刺激に敏感な子を指す「HSC(Highly Sensitive Child)」ではと言われた。傾向は当てはまっていた。

 担任からはとにかく登校させてと言われ、毎日付き添った。誰もが下校した後に行く「放課後登校」も試した。送っていくと娘は別れ際に嫌がり、葛藤が湧いた。1カ月ほど続くと、長女は朝、家で泣きわめき、暴れて母親をたたいた。歯を磨き、風呂に入るなど普段の生活習慣も嫌がるようになった。富田さんは長女のことを思う。

 「学校は集団行動の場。『前へならえ』で、少しはみ出すと怒られる。真面目で心を痛めやすくて、他の子への注意でも、自分が言われているように聞いて、どんどん苦痛になってしまっていた」 

 2年からは情緒学級で学んだが、1日1~2時限の短い登校で、母は教室内で見守った。同学級に在籍する子は各学年10人ほどいるというが、その輪にも入るのも難しい。何気ない生活音を拾って気になる過敏だった。今春から情緒学級のさらに「別室」での登校へ移った。 

 筒井清美さん(43、仮名)の5年の次男も同じ「別室」に通う。療育施設の勧めがあり、入学時から支援がある情緒学級に在籍。ただ授業の大半は普通学級で受けた。登校を渋り始めたのは3年の秋からだった。

 振り返ると、厳しい担任だった。筒井さんによると、作文指導で枚数が足りないと読まずに突き返したらしく、筒井さんの次男は漢字で書ける字も、分量を満たすためにひらがなで書こうとした。習い事で忙しい別の子が課題を提出できないと、皆の前で叱り、保護者が事情確認の電話をすると、「習い事をやめさせれば」とにべもなかったという。

 筒井さんはこの時期に仕事が多忙で、朝は次男の登校前に出勤した。「つらい時に一緒に過ごせず、構ってあげられなかった」と悔やむ。

 次男は4年時に別室登校を始めたが、「もうすっかり自信をなくしていた」。すでに別室にいた女子児童とも関われず、さらに隣の別室で独り学んだ。黒板に書かれた予定はほぼ全時限が自習。「帰りたくなるのも無理もない」と悟った。特別支援児童が増えすぎて、教員の手が回っていなかった。

 5年生になった次男は給食時だけ登校、9月の半ば以降、2週間休み続けている。

「次男がつらかったであろう時期に構えなかった」と悔やむ筒井さん


 二人の母親が問うのは、教員が何を目指しているのか、または学校とは何の場なのかだ。

 筒井さんは、「物事がこうあるべき」「最良の答えは一つ」と志向する担任が気になった。「方向性や答えががっちりだと、子どもがついていくのはしんどい」。欲しいのは先生のこだわりよりも「それぞれの子を認めていく目線」と訴える。

 課題を毎回期限通りに出せずとも、「先生のルール。全部従うこともない」と達観する保護者もいたが、筒井さんは「ちゃんとできなければ駄目と思って息子と接した。先生に合わせない考えができたら良かったのかも」と振り返る。

 点数や目に見えることを大事にする先生がいる。反対に、先生になってつらいことに「成績をつけること」を挙げた人に共感した。子どもを成績に収まらない目で見つめてくれていると感じた。

 富田さんの長女は、2年時から個別指導で学ぶと、学習の進度は速まった。余裕ができた時間で遊びを取り入れてもらえたことで生き生きした顔を見せた。だが普通学級の担任は「皆が頑張って勉強しているのに」と甘えている子のような視線を向けたという。

 短時間登校でも長女なりに頑張っていた。家庭では評価し、励まそうと努めた。だが遊びの代わりに大量の計算問題を課された長女は、その時のつらかった気持ちを今も口にする。富田さんが悲しさをにじませる。

 「子どもにはでこぼこがあり、皆が一律じゃない。でもやっぱり先生はゴールをそろえたい。私は励ましにくくなる」

■登校すれば「オール5」 習ってない漢字使えない
 十勝の中学3年生、浅井真子さん(15、仮名)は5月の終わりから学校に通っていなかった。小学6年から中学2年はほぼ欠席無し。成績は全てAかオール5だった。波が現れてきた要因は、幼少時からの発達のでこぼこだった。

浅井真子さんの小学6年から中学にかけての通知表は、全てAかオール5だった(浅井さん提供)


 母の恵さん(45)によると、1歳半健診で発達に半年の遅れがあると言われ、2歳まで言葉が出なかった。だが幼少時以降、発達・知能検査で知能指数(IQ)が139と「非常に高い知能」とされる数値ばかり出た。半面、視覚推理や言語理解など4指標の間で40近い開きがあった。差は15以上で大きいとみなされる。

 指標間の差が大きくても発達障害があるとは限らず、小さくても日常生活に困りごとがある人もいる。真子さんは小学校低学年までに「高機能広汎性発達障害」(知的障害を伴わない発達障害の総称)、「感覚過敏あり」、コミュニケーション能力や共感性に乏しい「アスペルガー症候群の傾向」、平均より著しく高い知的能力を持つ「ギフテッド」と所見されてきた。
 
 小学校では情緒学級に在籍したが、大半の時間を普通学級で学んだ。自宅の壁に貼ったポスター「小学校で習う漢字」を見ていて、小学1年時には3~4年で習う漢字を覚えていた。

 だが恵さんによれば、担任に作文で「習っていない漢字は使わないように」と言われ、書けなくなったという。担任がクラス全体に問いを投げかけると、すぐに答えが分かり、口に出すと「空気が読めない」と言われたという。3学期から不登校になった。

 小学2~4年時は放課後デイサービスなどを転々とした。通知表には不登校や病気で授業が受けられなかった場合の「\」(斜線)が並んだ。高学年では運よく普通、特別支援の両担任とも「優しくて、相性が良かった」(恵さん)ため、学校へ戻れた。

 中学も在籍は情緒学級だが、勉強はでき、学級委員になり、部活でも主将になった。「完璧すぎて、順調に見えた」と恵さんは言う。3年になった春、修学旅行へも行った。

 真子さんはその少し後、歩けなくなり、目がうつろになった。小児科医は「身体的に異状はない。(自律神経の失調である)起立性調節障害のグレー」と言い、道立緑ケ丘病院で「鬱(うつ)状態の適応障害」と診断された。特性に合った支援が受けられず、ストレスがかかって発症する「発達障害の2次障害」だった。

浅井さんが娘の登校歴や発達障害診断歴を書いたメモ


  元々、集団内に入るのが苦手だった。

 恵さんは真子さんを就学前から療育施設に通わせ、誕生日会、ミニ運動会、焼き芋大会などイベントに連れて行った。だが集団に入ると耳をふさいだり、逃げていた。食べ物に興味を示さず、離れて行って一人で砂いじりをした。

 不登校となってから、真子さんは母に「中2の冬からもう難しくて・・・。疲れていたんだ。修学旅行も頑張ろうと思って行った」と無理していたことを打ち明けた。

 通う中学校では情緒学級の担任や支援員の不足感が強かった。国が特殊学級時代から何ら変えていない「特別支援の各障害種別学級の生徒8人までは教員1人」の配置は機能していないように見えた。情緒学級の生徒が学年の通常4クラスに1~2人ずつ入ると、同学級担任や支援員は2クラスにしか入れない。

 小学校では情緒学級でも、中学校では普通学級へ戻したいと希望する保護者は多い。同じ教室で同じ内容を学んでいないと成績の評価がしづらくなる。高校受験に向けて、学力や内申点が気になる。

 恵さんは、真子さんが普通学級で学ぶのに不安がぬぐえなかった。班ごとの学習や議論があると、コミュニケーションに難がある娘が友達を傷つけないかと気をもみ、誰かに付いて欲しかった。情緒学級の教室で学習しても、担任や支援員は1対1で教えられるほど人数がいない。

 10月半ばに前期の通知表が出る。真子さんは試験しか受けていない。オール5からどこまで落ちるのか。高校受験を控えて真子さんは「当日のテストの点数だけで(帯広)柏葉(高校)へ行きたい」と話しているという。
(この記事の続編(8)、(9)は10月15日までに配信します) 

 特別支援教育に関する記事へのご意見・ご感想、取材協力などは(kpost@kachimai.jp)まで。

記事のご意見・ご感想
深掘りしてほしい話題はこちらへ

かちまい投稿ポスト