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1万2000キロ離れた思い出の国へ あれから20年~再びグアテマラへ(1)

小林 祐己

JICAグアテマラ事務所企画調査員

 2022年4月、長年新聞記者として働いた十勝・帯広を旅立ち、約1万2000キロ離れた中米・グアテマラ共和国に降り立った。この国は2002~04年にJICA(国際協力機構)青年海外協力隊のボランティアとして2年間を過ごした思い出の地だ。あれから20年。「いつかもう一度」との思いがかない、今回も再び2年間、今度は仕事として、グアテマラの人々と暮らせることになった。日本ではあまりなじみのないこの国では、どんな人たちが、どんな暮らしをして、どんなことを考えているのだろうか。そしてこの20年で何が変わり、変わらないのか。日々、生活する中から見えた、グアテマラという国の魅力と現在を伝えたい。



昔と今、変わったのは何?
 「グアテマラってどこ?」。出発前に必ずと言っていいほど聞かれた質問だ。コーヒー好きな人を中心に名前は知られていても、なぜかアフリカの国と思っている人も何人かいた。そういう自分も20年前に青年海外協力隊の合格通知(当時は郵送だった)を開けたとき、初めて任地「グアテマラ」という文字を見て、「どこ?」と慌てて世界地図を開いたのを覚えている。

メキシコの南に位置するグアテマラ


 正解は中米で、メキシコの南。と言ってもメキシコの南側がどんな形か知っている人も少ないので、「北米大陸と南米大陸の間のくびれたところ」と説明すると、「あー」と納得してくれることが多い。北海道の約1・3倍の面積に、約3倍の1660万人が暮らす。隣国メキシコ同様にスペインに征服された歴史から、主な公用語はスペイン語だが、かつてこの地に一大文明を築いたマヤ民族の人々が多く住み、22の言語と独自の文化が息づいている。

地方のウィピル店。カラフルな織物が並ぶ

                              
 そう、グアテマラの観光的な魅力の多くは、この先住マヤ民族の文化と結びついている。有名なのがウィピルと呼ばれる色彩豊かな民族衣装。民族や地域ごとに異なるデザインの織物を見るのは旅の大きな楽しみだ。自然も豊かで火山や湖などの景勝地も多い。スペイン統治時代の建築が残る歴史都市や、密林内にそびえるマヤ文明の巨大ピラミッド遺跡などの世界遺産もあり、欧米を中心に多くの人々が訪れる観光国という顔も持っている。

マヤ文明の世界遺産・ティカル遺跡

                                
 一方、20年前に自分が暮らした場所は、首都から100キロ以上離れた太平洋に面した小さな村で、スペイン統治の歴史もマヤ文明も身近ではなかった。でも海とマングローブ林に囲まれた自然豊かな土地で、アウトドアが好きな自分には最高に楽しい場所だった。砂浜に産卵に来るウミガメを保護するARCAS(アルカス=グアテマラ野生動物保護協会)というNGO(非政府組織)に所属し、村落開発普及員という肩書きで、村の生活改善や自然保護、環境教育などの活動をした。子どもが6人いる大家族にホームステイし、2年間どっぷりと村人と同じ暮らしを満喫させてもらった。

 前置きが長くなったが、そんな魅力多い国、グアテマラに再びやって来た。今回は首都にあるJICAグアテマラ事務所で職員(企画調査員)として働く機会をいただいた。「20年ぶりに戻ってきました」と言うと、グアテマラ人にも在住日本人にも驚かれることが多い。特に若い人は「えっ(そんな昔!)」という反応をする。そして今度、よく聞かれるのが「グアテマラは20年前とどう変わった?」という質問だ。さて、実はこれに答えるのが難しくて悩んでいる。

 誰もがスマホを持ち(20年前はアンテナがビヨーンと伸びる四角い携帯だった)、WhatsApp(ワッツアップ、SNSの一種)で連絡を取り合っていたり、スーパーやレストランのレジで「日本より進んでいるのでは」と思うほど電子決済が導入されていたり、車の数が爆発的に増えていたり、大きなショッピングモールがたくさんあったりと見た目の変化はたくさんある。ただ、人々の生活自体が以前とどう変わったのか、豊かになったのか、そうでもないのかと考えると、この半年間で明確な答えは見つかっていない。本当は相手が「なるほど」と深くうなずく答えを返したいのだけれど。

今も昔も派手なバスが庶民の足

                                 
 日本でも20年前と社会がどう変わったかと聞かれると、意外と変わっていないと思う人も多いだろう。ネットを中心としたテクノロジーの変化は著しいが、経済は停滞し、給料は上がらず、生活はより厳しくなったという声もある。一方で在宅勤務などの働き方改革、女性の社会参加などが進んだと感じる人もいれば、まだこの程度かとも思える。コンビニが増えた? 子どもの数が減った? 世代やライフステージによって変化の感覚は違うだろう。「20年間で何が変わったか?」の答えに正解はなさそうだ。

 しかし自分の場合、今回グアテマラに再び来て、この質問に答えにくいもう一つの原因があると気がついた。それがこの国の社会格差の問題だ。1日の支出額が必要額(1日3ドル)に満たない「貧困率」は全体で59・3%、先住民だと79・2%(JICA、21年)というグアテマラでは、10%程度の富裕層が富の50%を占めていると言われる。20年前に地方の村に住んでいたとき、海岸沿いに立ち並ぶプール付きの豪華な別荘群を見て、「これは誰が持っているの?」と村人に聞くと、「首都の金持ちが週末だけ来るんだよ」と言われた。

グアテマラの市場の風景

                                        
 そして今、自分は首都の高層マンションが立ち並ぶ一角に住んでいる。周囲には日本でも知られる有名ブランド店や高級レストランが並び、銃を持った警備員が守る塀の中のエリアで、日本と変わらない、豊かな暮らしが営まれている。豊かとは物質的な意味で、これが「10%の暮らし」かと驚くことは多い。海辺の村のヤシの葉の小屋に住んでいた20年前と、警備員に守られた都会のマンションに住む現在では、比べる土台があまりに違いすぎる。なので変化が分かりにくいのだ。しかし、両方から見てこそ分かることもあるだろう。時の流れによる変化だけでなく、この国の大きな貧富の差の中からも、「20年前とどう変わったのか?」の答えを探していきたい。

商業施設が並ぶ首都・グアテマラシティ


 30代だった20年前、「記者として視野を広げたい」と新聞社をいったんやめてグアテマラに来た。その経験はその後、十勝の内外で取材をし、たくさんの記事を書く中で生きてきたと思っている。50代を迎えた今、もう一度自分の世界を広げようと再び来たこの国。格差や犯罪の多さなど課題は多いが、もし「20年前と変わらない良いところは?」と聞かれたら、こちらは迷わず「人の温かさ」と答えるだろう。前回の2年間は、村の家族や友人、ボランティアの仲間らに恵まれた素晴らしい時間だった。だからこそ、また来たのだ。さて、この2年間はどんな出合いと経験が待っているのか。期待を胸に、新鮮な気持ちで毎日を過ごしている。

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