2024年4月号

特集/ときめきのプリン&愛しのシュークリーム

日本酒ことはじめ(7)「酒造りの面影」

2014年4月3日付の十勝毎日新聞より。往年の十勝の地酒ラベルを紹介する帯広市図書館の展示会の様子

 取材を進める中、かつて十勝で造られていた地酒の銘柄を知って興味津々。酒文化が息づいていた当時の様子を調べてみました。

いくつ知ってる?こんな銘柄ありました
 最盛期には10以上の酒蔵が存在していた十勝。十勝ブランドの数々を紹介します。

<広尾>
「千勝」 広尾酒蔵組合が1912(明治45)年ころから販売

<帯広>
「金清水」 白浜酒造店(大通8)、1895(明治28)年創業
「鬼殺」「富士川」「晃邦」 小川晃邦(東1南10)、1900(明治33)年に工場を造る。その後西1南6に移転(小川銘造)
「菊天狗」 酒井啓太郎(大通4)、1912(大正元)年から製造
「亀の露」 帯広酒蔵(東2南7)、1915(大正4)年設立
「名門」 名門酒蔵(のちの「北の鶴」)、1957(昭和37)年設立。

<清水>
「きよ泉」「天津」「蝦夷自慢」 清水酒造、1922(大正11)年設立

<本別>
「家内喜(ヤナギ)」「千代寿」 新津繁松、1915(大正4)年に工場

<幕別>
「北の里」 加藤酒醸店、1904(明治37)年 から酒造り
「千歳鶴」 日本清酒、1966(昭和41)年から1987(昭和62)まで帯広工場で製造

<新得>
「狩勝」「国境正宗」「国華」「花心」「北の泉」 脇清吉、第一次世界大戦後

<芽室>
「長寿」「千代正宗」 山本醸造店(のちの十勝酒蔵)、1910(明治43)年に醸造開始

夜の「名門通」を歩いてみました。10丁目に設置されているオブジェを見つけて携帯でパシャリ! 通りの名前が十勝の酒造りに関係していることが記されています。酒を醸していた当時に思いをはせながら飲み屋を巡るのも趣深いですね


 にたいら酒店代表の仁平義克さん(酒文化を語る会会長)によると、北海道の酒造りは明治期、入植者から伝わりました。米の産地で水がきれいなところに酒蔵ができ、十勝の銘柄が残る地域はいずれもそれに該当していたと言います。帯広は今の中心市街地近くに酒蔵が点在していました。これは付近にきれいな水が手に入る川が流れていたから。流通網が発達していない中、地元の酒は地域の人々の楽しみのひとつでした。

 酒造業への課税強化に加え、第2次世界大戦末期には、米不足や戦地に送る酒を確保するため、醸造アルコールを加えた「三増酒(三倍増醸清酒)」が全国的に造られるようになりました。純米酒を製造する酒蔵は減り、十勝で最後まで残った銘柄が「晃邦」「きよ泉」「長寿」でした。

 帯広には、現在も酒造りの面影が町の中にあります。「そば 小川」(西南6)の建物は当時の酒蔵・酒屋の一部。仁平さんはその「小川銘造」で働いていたことがあり、周囲に生えていたナラの木を製材し、御影石が基礎の建物だと教えてくれました。

 もうひとつが「名門通」です。小川銘造と清水酒造、十勝酒蔵が合併し、これがのちの「名門酒蔵」となります。ここで造っていた清酒「名門」が通りの由来です。名門酒蔵はその後、「北の鶴」と名前が変わり、「北の鶴」という銘柄を世に送り出しています。

取材協力:帯広小売酒販組合、にたいら酒店代表 仁平義克さん

日本酒ことはじめ

 米文化とともに歩みを始めた日本酒は、神事や生活にも欠かせない日本の「国酒」。種類も多彩で一見難しそうですが、知るほどに奥深い魅力があります。今年は帯広畜産大学の敷地内に酒蔵が誕生し、酒造りからも目が離せません。せっかくだから、十勝でおいしい日本酒を楽しみましょう。初心者にも分かりやすい好みの日本酒の見つけ方や、造り手の思いなどを紹介します。

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