勝毎電子版ジャーナル

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不登校のきっかけはけがと冷やかし 同じ境遇の人が心のよりどころ

十勝eスポーツ 教育センター

「不透光」不登校だった子どもたちの心を照らすプロジェクト

不透光(17)

生きていればうまくいかないことはあるし、くじけてしまうこともある。でもその経験は決して悪いことではない。

 第17回は、フィットさんにお話を伺いました。

<フィット>
高校1年生。小学2年と中学1年から不登校を経験。小学校の時は先生と合わず、中学校からは陸上部での挫折をきっかけに不登校になる。高校に入学したことで気持ちが晴れ、安定して登校できるようになった。ゲームが得意。


砕けた瞬間
 -不登校になったのはいつですか?
 最初は小学2年生の時です。ちょうど周囲の環境に敏感になり始めた時で、みんなとの写真撮影とか学校行事に疲れてしまっていました。登校したり休んだりを繰り返して、3年の時に一度転校しました。

 結局すぐに元の学校へ戻ってきたのですが、新しい先生と合わず、3年の1学期からまた不登校になりました。

 -中学校ではどうでしたか?
 中学では1年生の秋ごろに陸上部でけがをしたことで心が折れ、登校できなくなりました。

 陸上の練習中に足を大きくひねったのに、顧問の先生に「大丈夫だ」と言われて、その日は足を引きずりながら走ったんです。

 帰宅後も痛みが引かず、足が腫れてきたので翌日病院で見てもらいました。幸い骨折はしていなかったのですが、普通に歩くことはできず松葉づえを突いて登校しました。そうしたら顧問の先生から、「なんで早く言わなかったんだ?」と言われてしまって。ひねった時にちゃんと「痛い」と申告したのに、先生が「大丈夫だ」と言ったから走ったんじゃないか、と思って不信感が湧きました。

 1年の最後の大会にも出られなかったこともあって、すっかり心が折れてしまい、気持ちを軌道に乗せられず不登校になりました。気分の波が不安定で、登校頻度が定まらない中、1週間ずっと行かない日もありました。

 まだ陸上をやりたい気持ちはあったけれど、この学校ではやりたくないと思って、2年生の時に退部しました。

頑張って走り続けた時のスパイク。けがをしてしまった時にも履いていた。学校の全ての関わりが嫌になり始めた時のトラウマもある。いろんな意味で忘れられない思い出の詰まった靴


見えない圧
 -その時、あなたから周りの世界はどう見えていましたか?
 常にプレッシャーがありました。クラスメートにも「休んだらどうなるの?」とか、直接「お前のことだよ」と言われて、触れられたくない話題に堂々と触れて相手の反応を伺うというか。教室でのそういうノリになじめませんでした。

 他の生徒の親と自分の親が同じ会社に勤務していて、そこで情報共有されるのも嫌だった。

 顧問の先生にもあきれていたけれど、当時は怒りを抑えることができました。先生におかしなことを言われた時も、そこが職員室だったので「ここで怒ったら大変なことになるな……」と思って、怒りたくても深呼吸して落ち着けました。

 でも、そうやって怒りを抑えつけたせいで自分の怒りを周囲に表現できなかったのが、本当は悔しかったのかもしれません。

中学1年生の冬に出合った愛犬。今でもつらい時は癒やしてもらっている


再生期
 -不登校を抜け出せたきっかけはありましたか?
 プレッシャーが嫌だったのを除くと学校自体には行きたかったので、それまでが大変だったという感じです。

 行けない時、お父さんに「なんで行かないんだ」と言われ、体調が悪くてもなかなか分かってもらえないし、「頑張れ」とだけ言ってくれるのですが、それが逆に重圧になるじゃないですか。

 でも母は分かってくれて、友達もずっと仲良くしてくれました。学校に掛け合って、授業を受けているときに「無理だ」と感じたら別教室に行けるようにしてもらえました。おかげで週ごとに3日、4日と徐々に登校できるようになりました。

 中学校を卒業したら、もっと気持ちが楽になりました。入学先の高校には自分と似た境遇の人がたくさんいて、お互いの気持ちが分かるから好きなことができるし、毎日登校じゃないので通いやすい。新しい友達もできて、心のよりどころになりました。

学校に行かなくなった頃から始めた大好きなゲーム。写真のゲームのナンバリングは19だが、初めて手にしたのは17。それから7年間このシリーズが大好きで、ずっとやっている。嫌なことを忘れられた大切なゲーム


 -高校に入ってから新しくやってみたいことは?
 先に入学した姉がこの高校でいろいろな活動をしていたようで、自分もやってみたいなと思っています。具体的には、学校祭で出す体験ブースの運営を考えています。その中では昔から好きだった「ゲーム」に関する内容を扱うつもりです。

 -読者の方に伝えたいことはありますか?
 いま先生や親として頑張っている人に伝えたいことがあります。生徒や自分の子が不登校の時は、何を言ってもプレッシャーになります。なので、執拗(しつよう)に干渉せず軽い感じで対応してくれるといいなって思います。一度声をかけたら数日は様子を見るとか、決めごとをつくって対応するのもありかと。「ほどほどに気にしているよ」というくらいのスタンスがいいと思います。

 そしていま不登校の人には、いろんなものに触れてみてほしいです。その時にやりたいことが見つかれば御の字。逆にやりたいことがすでにある人は、不登校の時間を使ってそれを探究してみてほしい。

小さい頃からミニチュア集めが好きで、不登校の頃も集めていた大切なミニチュア。ずっと集めることが楽しみだったいい思い出


【取材を終えて】
 非常に長い期間不登校だったフィットさん。学校という環境へのプレッシャーがありつつも、家でプレーするゲームや支えてくれる友達の存在があったおかげで、ここまで来られたのだなと感じました。

 聞き手の大橋先生もフィットさんのエピソードを聞いて、「失敗することと立ち直ること、すべて必然だったかもしれない」と語っていました。

 フィットさんいわく、今回話した不登校期間の中では登校できた日も多くて、自分が完全に不登校だったかといわれれば、どうかは分からないとのこと。文部科学省の「不登校の現状に関する認識」に照らすと、厳密には不登校ではないようです。

 しかし、何より生徒が登校するか否かで悩む必要がないほど、気兼ねなく学校に来られる状態が一番理想的ですよね。

 社会不安が多い今だからこそ、学校だけは子どもに寄り添える場であること。月日を重ねてその方向に進んでいけることを切に願っています。

 今回の記事は以上です。全国の不登校問題に悩む人が幸せな日々を送れますように。最後までお読みいただきありがとうございました!

 ◇ ◇ ◇

書き手:ヤモマリオ(22)
中学2年の頃に不登校を経験、特別支援学級コースを経て中学校を卒業。対人恐怖症と解離性健忘症にかかり、卒業後から今日まで自宅療養中。社会復帰の実践的な試みとして、記事の執筆を担当。家ではずっとゲームをしている。ペンネームの由来は、ずっと家にいる「ヤモリ」とゲームから連想される名前の「マリオ」を掛け合わせたもの。

聞き手:けいぴー(18)
中学1年のころに先生との問題があり学校嫌いになった。不登校になる。中学2年からは特別支援学級に入る。中学3年の時にとある通信制高校のオープンスクールへ行き「すごく楽しいこんな世界があるんだ」と感じ、進路を決める。高校生になって友達がたくさんできて、不自由なく幸せで楽しい日々をおくる。

聞き手:株式会社 十勝eスポーツ教育センター代表取締役 大橋紘一郎(34)
教育とeスポーツとまちづくり三本の柱で、子どもたちがやりたいことを実現するための環境づくりに取り組む。この「不透光」の企画が、不登校を経験している/してきた子どもたち、親・先生・親しい方々にとって、光を見つけるきっかけになることを願っています。電子版で大橋紘一郎を検索

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