勝毎電子版ジャーナル

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先生と意見会わず「みんな敵」 味方見つけた卓球とフリースクール

十勝eスポーツ 教育センター

「不透光」不登校だった子どもたちの心を照らすプロジェクト

不透光(12)

人生の中で一番大切な時間は、未来でも過去でもなく、今この瞬間なのかもしれない。

 第12回は、加藤道さん(16)にお話を聞きました。

<加藤道>
高校1年生。小学3年から中学3年まで不登校を経験。周囲の無理解とプレッシャーの中で、過去を悔いず、未来に期待をしすぎず、今を有意義に生きる大切さを学んだ。高校生になり、いろいろなことに挑戦する日々を送る。趣味は卓球、好きな食べ物は生姜と生姜がメインの料理。



プレッシャーと理解
 -不登校になったのはいつですか?
 小学3年の夏休み明けから不登校になり、中学1年まで完全に不登校でした。中学2年からは卓球部の活動にだけ行っていました。

 授業は出ていなかったのですが、中学2年から3年まで体育祭と文化祭には参加しました。

 -不登校になったきっかけは?
 先生と相性が良くなかった。不登校に対する意見が僕と先生で真逆なことが多かったです。相手は大人なので、子供としてかなりプレッシャーを感じていました。

 -不登校から抜け出せたきっかけは?
 卓球かな。小学から中学に進学する前、中学校見学があるじゃないですか。その時に部室を見学させてもらったんです。それから、中学で不登校の間も放課後に卓球部の部屋に行っていて、顧問の先生から誘われたことがきっかけで入部しました。

 あと、父親の知り合いに心理カウンセラーがいて、月1で不登校の集会を開いていたので、何度か参加しました。そこで不登校に理解がある人に出会えたから、救われた部分もあります。

児童会館で行われた、「Smiley」という不登校生徒の交流会の様子。


 -不登校の間はどう過ごしていましたか?
 小3から小5の頃は一人で留守番できる年齢でもないので、一人で家にいるより、祖父母の家に行っていましたね。小6の時にコロナが流行りだして、その頃からは自宅で留守番するようになりました。家にいる間は消しゴムハンコやカードゲームをして、他にはテレビを見て過ごしていました。

 中1からは、その年に音更町でオープンした「ほっと」というフリースクールに通っていました。

不登校だった時の想い
 -当時、あなたから見た世界を教えてください。
 周りが全部敵に見えていました。先生とは相性が悪いし、父は不登校に反対だったし、常にプレッシャーを感じていました。卓球やカウンセラー、フリースクールとか、そういうものに出合うまでは、周りに味方はいないと感じていました。

 小学生以前も、保育園の送り迎えは常に親と一緒でした。ずっと一人の時間がなかったことも、強いプレッシャーだったかもしれない。

 あと暗い世界。あの時は毎日が暗かったと思います。

 -当時、周囲に訴えたかったことはありますか?
 周囲に理解してくれる大人がいると良かったな。父親は学校に行かないことなど許されなかった世代の人なので仕方がない部分はありますが、もう少し理解してほしかったとは思います。

 他には、小学生の頃の先生は悪い人ではないけれど、やっぱり合わないというのが正しいかな。ちょっと高圧的に感じていました。小学生と大人では体格差もあるし、少し強めの態度を取られるだけで威圧感がすごかった。でも、保健室の先生は不登校のことを理解してくれていたと思います。

 子供の気持ちをしっかり把握してほしいと、当時周りにいた大人に伝えたいです。

 -当時の自分にかけてあげたい言葉はありますか?
 世界がどれだけ暗くても、自分の捉え方次第で変わるということ。すごく気分が落ちている時は、上手くいかないかもしれないけれど。

 結局、どれだけ過去を振り返ろうが、未来に願望を乗せようが、人は今、その一瞬しか生きられない。今をどれだけ有意義に、楽しく過ごせるかが大事です。

不登校の最中、放課後の学校に来て工作を行った。

その時に制作したしゃもじ。


 -最後に、読者へ伝えたいことは。
 とにかく今を楽しく、有意義に生きてほしい。人生では後悔しない選択をするべきだけれど、それが難しいこともある。よほどのことがない限りは、自分のペースで色々な経験をして、色んなことに挑戦してみてほしいです。

 もちろん、無理はしないでください。挑戦のしすぎで自分が壊れてしまっては意味がないです。頑張る努力は必要ですが、持続的な活動のために自分のペースを乱さないことも大切です。

【取材を終えて】
 プレッシャーを感じるというのは、ものすごく共感します。実は記事の書き手である私も、ささやかなプレッシャーを感じていたりします。記事が人目に触れてどう思われるのか、きちんと内容が伝わるのか、不安を感じています。

 しかし、これは同時に挑戦でもあります。今を有意義に生きるための挑戦です。私は加藤道さんが理想とする、「不登校を理解してあげられる大人」になりたいと思っています。不登校という共通点を持つさまざまな人に触れるこの企画は、私にとって非常に貴重な経験です。

 加藤道さんは、現在も卓球を続けています。卓球に出合い、それを好きになれたことで、小学から中学へ環境が変化しても、上手く適応できたのかもしれないと語ってくれました。

 プレッシャーに揉まれながらも、自分なりの答えを見つけて日々進歩する加藤道さんの「今」に注目です。


 全国の不登校問題に悩む人が幸せな日々を送れますように。最後までお読みいただきありがとうございました!

 ◇ ◇ ◇

書き手:ヤモマリオ(22)
中学2年の頃に不登校を経験、特別支援学級コースを経て中学校を卒業。対人恐怖症と解離性健忘症にかかり、卒業後から今日まで自宅療養中。社会復帰の実践的な試みとして、記事の執筆を担当。家ではずっとゲームをしている。ペンネームの由来は、ずっと家にいる「ヤモリ」とゲームから連想される名前の「マリオ」を掛け合わせたもの。

聞き手:けいぴー(18)
中学1年のころに先生との問題があり学校嫌いになった。不登校になる。中学2年からは特別支援学級に入る。中学3年の時にとある通信制高校のオープンスクールへ行き「すごく楽しいこんな世界があるんだ」と感じ、進路を決める。高校生になって友達がたくさん出来て、不自由なく幸せで楽しい日々をおくる。

記事企画:株式会社 十勝eスポーツ教育センター代表取締役 大橋紘一郎(34)
教育とeスポーツとまちづくり三本の柱で、子どもたちがやりたいことを実現するための環境づくりに取り組む。この「不透光」の企画が、不登校を経験している/してきた子どもたち、親・先生・親しい方々にとって、光を見つけるきっかけになることを願っています。電子版で大橋紘一郎を検索

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