苦手な先生を受け入れられず だけど「いつか仲間はできる」
不透光(14)
人との関わりは、時に幸せをもたらし、時に不幸をももたらす。
第14回は、パーカーさん(17)にお話を伺いました。
<パーカー>
高校3年生。中学1年から3年までの間に不登校を経験。当時の体育の先生への強い不信感から、学校へ行く理由が分からなくなった。高校1年の9月に星槎高校へ転校。星槎に来てから友達が増えた。
理不尽な思い
-不登校になったのはいつですか?
中学1年から3年まで3か月ずつ、合わせて9か月間不登校になりました。
不登校になった理由は、自分のメンタルが丈夫じゃないのもあるけど、苦手な体育の先生がいたことが大きかったです。
みんなの前で生徒個人を責めたり、授業内容よりも授業態度の方を重視していたり。中でも一番嫌だったのは、体育試験の組み合わせを生徒が自由に決められたことで、強いチームと弱いチームができて、実技の評価が不公平な状態になったのに何も対処してくれなかったことです。
体育の実技試験は本当に嫌で、実技の前後に学校へ行けない日が続き、勉強も遅れていき、更に行きづらくなりました。
1人の先生だけが苦手だった
-当時、あなたから見た世界を教えてください。
当時は学校と家と塾と通っていた弓道場の、4か所での活動ばかりで、まるで自分の周りにそれしかないような視野の狭さを感じていました。弓道は楽しかったけれど、面白みのない日常だった気がします。
-楽しいことはなかったのですか?
先生は苦手だったけれど、体育は好きでした。頑張っても評価されない、なかなか実技で点を取れないというのが嫌だっただけ。バドミントンとか、やっていて楽しかったです。
あと、学校も不登校の生徒に寛容な雰囲気があったので、一時不登校になった後でも学校へ行くことに抵抗は少なかったです。それ以上に体育の先生が苦手で、不登校から完全には抜け出せなかった。
-当時、周囲の人に訴えたかったことはありますか?
体育の先生には、本当に叱る方法を見直してほしいです。少なくとも人前で個人を叱りつけるのはやめてほしい。
-他の先生についてはどうでしたか?
他の先生は優しいし、面白い人の方が多かったです。
特に中学1年時の担任の先生が良かった。話で生徒の興味を引くのが上手いし、大航海時代の話など、すごく面白かった。不登校のことも相談しやすい距離感だったし、本当に良かった。
あと、私の周りにいた生徒はすごかったなと思っています。毎日登校して授業と勉強、部活で帰るのが遅くなっても、家ではテスト対策、受験勉強と大忙し。それを毎日、毎年3年欠かさずにやり続けていました。高校生になった今でもそう思っています。
-親に訴えたいことは。
お金の話はしないでほしいなと思いました。塾に行っていた時も「毎月このくらい払っているんだよ」と、生々しい話を聞くのは苦しかったですね。
でも、親が自分のことを自分以上に心配してくれていることに後々気づいて、今ではお金の問題よりも、そっちの印象の方が大きいです。だから、それ以上強く訴えたいことはないです。
高校を移って気持ちも楽に
-高校ではどうでしたか?
最初に入学した高校の担任はきつかったです。「お前以外にもつらい奴はいる」と言われたことが嫌だった。
それがきっかけで、前の高校を辞めて星槎高校に転校しました。転校の手続きも妙に早く進んでいた気がします。自分みたいな面倒な人は早く出て行ってほしかったのかなと感じました。学校側からすれば、不登校生徒への対応は難しいですからね。
そして、星槎高校に来てからは友達がすごく増えました。勉強の量が減ったことで戸惑いもありましたが、考え過ぎずに「何とかなる」と割り切る思考を身に付けられたので、良い選択だったと思います。
-当時の自分にかけてあげたい言葉は。
自分は新しい環境にとても弱いので、適応するために頑張らないといけない。それを乗り越えるために、自分なりのストレス解消法を見つけてほしい。
そして、何より死ぬことだけは考えないでほしい。中学3年の時、一度風を浴びたくて窓から身を乗り出してみたことがあった。その時は死にたいわけではなかったけど、ふと3階から窓の外を見下ろしたら足がすくんでしまった。自分はきっと、飛ぶ直前になって保身を考えてしまうだろう。
自分は死のうと思っても死ねないと悟ったけど、(記事を読んでいる人も)死にたいと思うことがあるかもしれない。今がつらくて仮に死にたくなっても、簡単に自分を傷つけないでほしいです。後々傷つけた事自体に嫌な気持ちや後悔が生まれてくるから。
【取材を終えて】
考え方の相容れない人と一緒に過ごすのは大変です。新しい環境が苦手というパーカーさんですが、現在は星槎高校に馴染めて、新たな友達とも出会えた様子。
パーカーさんが不登校の時、価値観の合う人や合わない人と交流した経験が、今後の人生にもきっとプラスになると思います。
人間関係で無理をせず、お互いを支えられる環境にいることは本当に大事だと、今回の取材で改めて認識しました。
当記事を読んでくださっている皆さんも、健やかな人間関係の中で、毎日を楽しく過ごせればと、陰ながら願っております。
今回は以上です。全国の不登校問題に悩む人が幸せな日々を送れますように。最後までお読みいただきありがとうございました!
◇ ◇ ◇
書き手:ヤモマリオ(22)
中学2年の頃に不登校を経験、特別支援学級コースを経て中学校を卒業。対人恐怖症と解離性健忘症にかかり、卒業後から今日まで自宅療養中。社会復帰の実践的な試みとして、記事の執筆を担当。家ではずっとゲームをしている。ペンネームの由来は、ずっと家にいる「ヤモリ」とゲームから連想される名前の「マリオ」を掛け合わせたもの。
聞き手:けいぴー(18)
中学1年のころに先生との問題があり学校嫌いになった。不登校になる。中学2年からは特別支援学級に入る。中学3年の時にとある通信制高校のオープンスクールへ行き「すごく楽しいこんな世界があるんだ」と感じ、進路を決める。高校生になって友達がたくさん出来て、不自由なく幸せで楽しい日々をおくる。
聞き手:こうたろう(18)
高校3年生。中学1年の夏休み終わりから卒業するまで不登校を経験。不登校中もオープンスクールや学校部活に通い、同じく不登校の友人と積極的に交流する日々を過ごした。星槎高校ではリーダーシップを発揮し、eSports部門の代表としてグループをけん引する。
記事企画:株式会社 十勝eスポーツ教育センター代表取締役 大橋紘一郎(34)
教育とeスポーツとまちづくり三本の柱で、子どもたちがやりたいことを実現するための環境づくりに取り組む。この「不透光」の企画が、不登校を経験している/してきた子どもたち、親・先生・親しい方々にとって、光を見つけるきっかけになることを願っています。電子版で大橋紘一郎を検索