勝毎電子版ジャーナル

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「生まれてこなければ・・・」を越えて 新しい環境で芽生えた逃げない心

十勝eスポーツ 教育センター

「不透光」不登校だった子どもたちの心を照らすプロジェクト

不透光(13)

大人が怖い
第13回は、ゆうじちゃん(18)に伺いました。

<ゆうじちゃん>
高校3年生。小学2年生から中学校卒業までの間に不登校を経験。家にもフリースクールにも居心地の悪さを感じる。後に通信制の高校に進学し、生徒会選挙やファッションショーなどに挑戦する。



 -不登校にはいつ頃からなりましたか?
 何がきっかけか分からないけれど、幼稚園で最初から行きたくないって気持ちになって、小学校2年生くらいから本格的に不登校になった。

幼稚園児の時、先生が作ってくれた鈴


 -学校に行けなくなったきっかけは?
 友達や先生がきっかけだった。兄ちゃんも不登校だったから、その影響もあったと思う。「兄ちゃんは家に居るのに、なんで私は学校に行かないといけないんだ!」と。

 そういういろいろなきっかけが〝バーン〟とのしかかってきて休むようになった気がする。

お兄さんに取られた犬のぬいぐるみ。小さい頃は取り合いだった


 -不登校だった時、あなたから見た世界はどうなっていましたか?
 本当に〝暗闇〟って感じだった。いつ、このつらいのが終わるんだろう?ずっとこのままかもしれない……みたいな。

 やっぱり大人が怖かった。イライラしてしゃべられたりしたら、もう「NO!」ってなっちゃう。

 親たちのけんかも怖いし、幼稚園や学校で怒られるのも怖いし、そして大人に捕まえられて逃げられない感じも怖いし……色んな怖さを感じていた。

 -小学生時代について教えてください。
 今みたいに明るい子だったと思う。楽しいことが好きだし、外で遊ぶのも大好きだった。

小さい頃よく遊んでいた公園の猫さんとライオンさん

小学生か幼稚園児の時に、クレーンゲームで取ったうさぎのぬいぐるみ


 小2の時、副担任と別室で二人きりで居たときがあり、それがストレスでした。学校の壁を爪で削っていました。

 1人で学校へ行くのもストレスだったから、小3までは親に学校について来てもらって通っていた。

 小3で特別支援学級に入ったけれど、そこの男の先生も自分には合わなかった。それに、ちっちゃい頃からお父さんも嫌いで。男の人が嫌いだったの。

 先生には「学校に来ることに専念した方が良いから、勉強は一回やめて、取り敢えず学校に来よう」みたいなことを言われて。そこから勉強が遅れました。

 小5の時にフリースクールに入り、中3までは学校に行ったり行かなかったりしていた。

トラウマも残るフリースクール

 -フリースクールに通っていた頃のことを教えてください。
 私は小さな頃から、嫌なことがあるとすぐ逃げちゃう子だった。フリースクールの雰囲気が重たくて、苦しくて泣きそうになって、それで逃げたんだけど……先生に追い掛け回されて、捕まって「ダメでしょ!」って怒られて。

 それがトラウマで、しばらくフリースクールには行かなくなった。学校に週2、3回行き始めた。

 -当時、安心できる場所はありましたか?
 無かった。小さな頃から家庭環境も悪かった。それも学校に行けない原因の一つだったと思う。夫婦関係が悪かった。私が幼稚園の頃から両親はけんかをしていて、それで母さんは一回骨折してしまった。そういう家庭環境で、母さんの精神も安定しなくなっちゃった。私は、「私が生まれたからこの家は悪くなったんだ。生まれてこなければよかったな」と思った。

言葉にできないストレスをこのトイレの壁に刻んでいた


 -中学校時代について教えてください。
 中1の途中はまだ学校に通えていた。でも先生が合わなかったし、帰りの会や掃除の時に反省を言う習慣も嫌で、結局行けなくなっちゃった。

 部活だけ参加することも考えたけれど、先生はそれを許してくれなかった。それで「無理だな」って感じて、中1の途中から行けなくなった。

 支援学級の先生から電話が掛かってきたこともあった。イライラした様子で「なんで来ないんですか、どうしたら来られるんですか」みたいなことを色々言われて。それが本当につらくて「死にたい」って感じた。

 -当時、周囲の人たちや世界に訴えたいことはありましたか?
 学校もフリースクールも、もっと行きやすくなればいいのになぁって思っていた。

 -不登校だった時、何をしていましたか?
 フリースクールでは、ダイヤモンドアートや1000ピースパズル、編み物などをしていた。

刺繍もしていた


 マフラーなど飼っている犬のための服も作っていた。愛犬とは小2の時、不登校になった時に出会った。つらかったけれど、ワンコがいる……!癒しだった。

不登校になった年から迎えた愛犬ここあちゃん。キュートな笑顔の今年10歳のわんこ

不登校時代、愛犬のイラストも描いていた


通信制高校が楽しそうに見えた
 -高校生活について教えてください。
 兄が通っていた通信制高校が楽しそうで、私も楽しく過ごしたかったからその通信制高校を選んだ。

 -高校に入学して、暗闇だった世界は晴れましたか?
 晴れていった。めっちゃ楽しかった。友達もできて、ワイワイできた。

 高校でも学校に行きたくなかった時期はあった。友達関係が壊れたり、先生たちも対応してくれなかったりした。

 昔の自分だったら逃げていたと思う。でも今は、「今逃げたら全部終わるな」と感じて、逃げられない。嫌なことが重なって数日休んだこともあったけれど、切り替えられた。

 -不登校の時のあなたにかけてあげたい言葉は?
 「なんだかんだ人生上手くいくよ」みたいな感じかな。

 つらいのは永遠じゃないよ、仲間はいつかできるよ、と伝えたいと思います。

 -この記事を読んでいる読者に伝えたいことは?
 不登校って、いろいろな理由があると思うし、いろいろなきっかけが重なってなるのだと思う。けれど、ちょっとやる気が出た時で良いから、新しいものに踏み出してもらいたい。学校に行かなくても、家で出来る事をしてみたり、フリースクールへ行ってみたり。そうやって新しい趣味とか、違う世界を見つけてみてほしいです。

【取材を終えて】
 「どうすれば学校に来れるの?」という言葉は、不登校当事者からすると、どれほど恐ろしい言葉か計り知れません。

 どうすれば行けるか、いつ行けるようになるか、それは本人にも分からないことかもしれません。ですが、「どうすれば学校に来れるの?」「いつになったら行けるの?」と問われてしまえば、本人は何らかの答えを出さなくてはいけなくなります。

 そして、その答えに沿って学校に通わざるを得なくなった場合、「学校に行かない」という逃げ道が塞がれてしまうので、本人が一層つらくなる可能性があります。

 無理に答えを出さずに一度苦しい環境から離れて心の元気を取り戻す時間も必要なのでは、と思いました。(晴木マモル)

◇ ◇ ◇

書き手:晴木マモル(20)
大学2年生。学校への行きづらさを感じ、中学1年生の夏頃から不登校気味になる。その後通信制高校に入学。作詞・作曲等の創作活動を行いながら、学校へ行くことの楽しさを思い出す。母校で働くことを夢に大学へ進学し、その傍ら記事の執筆に携わる。学校に行けなかった自分を悔いることもあったが、今ではそれも大切な時間だったと感じている。

聞き手:うさぎ(17)
現在高校3年生。中学校在学中に不登校を経験。交友関係、いじめ、希死念慮とした理由から死生観への興味、人の心情について考えだす。不登校時代は自分自身の気持ちを追い求めてスマホ、ネット上の言葉と向き合う生活を送る。当時から変わらないネット名うさぎと、目に見えない心を頼りに今日も対話をする。普段は元気いっぱい高校生だよ!

記事企画:株式会社 十勝eスポーツ教育センター代表取締役 大橋紘一郎(34)
教育とeスポーツとまちづくり3本の柱で、子どもたちがやりたいことを実現するための環境づくりに取り組む。この「不透光」の企画が、不登校を経験している/してきた子どもたち、親・先生・親しい方々にとって、光を見つけるきっかけになることを願っています。電子版で大橋紘一郎を検索

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