体調不良から不登校に 復帰の秘訣は「この日だけは行こう」の積み重ね
不透光(16)
不登校でできた家庭のジレンマから解放されるまで。
第16回は、ミルタンクさんにお話を伺いました。
<ミルタンク>
中学1年から3年まで不登校を経験。流行病に感染して長く休んだことをきっかけに、学校へ行くのが面倒になった。家にいる間はゲームやインターネットを使わせてもらえず、その間はお小遣いで漫画を買い、それを読んで過ごした。今でもゲームが好き。
きっかけは体調不良
-不登校だったのはいつでしたか?
中学1年の後半から中学3年の前半まで。
学校に行くことが面倒くさかった。あと、中学1年の頃、立て続けにノロウイルス、インフルエンザ、コロナと感染して1か月くらい休んだことも大きい。ずっと休んだ後で学校に行きづらくなった。
-不登校の時、世界はどう見えていましたか?
暗い世界で、周りからいびつなものを見るような視線も感じた。だから学校の人と目を合わせたくなかった。
暗い洞窟の中でコウモリに見つめられるような、夜道に猫が目を光らせてこちらを凝視しているような感じ。ただでさえ暗い中で、背後に感じる視線が本当に怖かった。
封じられた日々
-当時、周囲の人に訴えたかったことはありますか?
母は優しかったけれど、父にはちゃんと話を聞いてほしかった。「学校に行け」と言われて、ネットを切られ、スマホもゲームも没収された。独りでいたいのに部屋の扉を外されたこともあった。そんなことされたら、もっと学校に行けなくなる。
-その間は何をして過ごしていたのですか?
漫画を読んでいた。全部で500冊以上ある。転スラ(転生したらスライムだった件)とか、キングダムみたいな、みんなが知っている漫画。お小遣いを使ってブックオフでまとめて買って、それを読んでいた。
漫画を読んでストレスを緩和できていたけれど、それでも一度ストレスが爆発して家の壁に穴を開けたこともあった。
でも、不登校を解決しようと物を与えて気を引いたり、逆に物に制限をかけたりするのはやめてほしいし、「学校サボるのは甘えだ」という親には、子の気持ちをもっと分かってほしい。抑圧された状態で学校に行っても楽しくなくて、死んでしまいそうなほど苦しかった。当時はスマホもゲームも使えない中で頑張っていたと思う。
見えてきた光
-当時の自分にかけてあげたい言葉はありますか?
ストレスを溜めすぎないこと。溜めすぎると体調が悪くなることもあるし、精神的に追い詰められて物へ当たってしまいかねないから。
あとは、先生に相談すること。直接が難しいなら、親を経由して言ってもらってもいいと思う。相談する先生は、心理状況を分かってもらいやすい保健室の先生とか、強引にでも解決したいなら校長先生に直接相談してみてもいいのかも。
-学校に行けるようになったきっかけは?
中学2年の後半から、先生に相談して教室に馴染めない子が集まるクラスに参加させてもらったこと。それからは1日1時間だけの登校を続けていった。卒業する直前には授業6時間全てに出られるようになった。
「この日だけは行こう」とか、「ちょっとだけ学校に顔を出そう」という感じで、好きな教科だけ受けに行くのでもいいと思う。そうやって少しずつ学校に適応できたのが、登校できるようになった大きな理由だと思っている。
【取材を終えて】
不登校の時、家にいてもマナーや決まりごとに縛られるのはつらいと思います。
ミルタンクさんは、中学を卒業してから周りの目が怖くなることはなくなったといいます。当時抑圧されていたゲームをたくさんやるために、高校へも欠かさず通うようになったのだそう。
多感な時期にさまざまな苦痛を乗り越えた経験が、今のミルタンクさんを作っているんだと思いました。ミルタンクさんの今後がより自由に、楽しいものになることを願っています。
今回の取材は以上です。全国の不登校問題に悩む人が幸せな日々を送れますように。最後までお読みいただきありがとうございました!
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書き手:ヤモマリオ(22)
中学2年の頃に不登校を経験、特別支援学級コースを経て中学校を卒業。対人恐怖症と解離性健忘症にかかり、卒業後から今日まで自宅療養中。社会復帰の実践的な試みとして、記事の執筆を担当。家ではずっとゲームをしている。ペンネームの由来は、ずっと家にいる「ヤモリ」とゲームから連想される名前の「マリオ」を掛け合わせたもの。
聞き手:けいぴー(18)
中学1年のころに先生との問題があり学校嫌いになった。不登校になる。中学2年からは特別支援学級に入る。中学3年の時にとある通信制高校のオープンスクールへ行き「すごく楽しいこんな世界があるんだ」と感じ、進路を決める。高校生になって友達がたくさん出来て、不自由なく幸せで楽しい日々をおくる。
記事企画:株式会社 十勝eスポーツ教育センター代表取締役 大橋紘一郎(34)
教育とeスポーツとまちづくり三本の柱で、子どもたちがやりたいことを実現するための環境づくりに取り組む。この「不透光」の企画が、不登校を経験している/してきた子どもたち、親・先生・親しい方々にとって、光を見つけるきっかけになることを願っています。電子版で大橋紘一郎を検索