勝毎電子版ジャーナル

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頑張りすぎると嫌いに 自分と向き合えた不登校の時間

十勝eスポーツ 教育センター

「不透光」不登校だった子どもたちの心を照らすプロジェクト

不透光(10)

 青春時代の悩みと葛藤は、決して人生の無駄にはならないと思う。色んなことを感じ、今後の人生に役立てよう。

 第10回は、せいじさん(17)にお話を伺いました。

<せいじ>
高校2年生。高校1年の時に不登校を経験。その際、頑張りすぎないように過ごす大切さを学んだ。中学生の時は吹奏楽の副部長として、高校生の今はプレゼンテーションの分野で活躍する。好きなゲームのジャンルは音ゲー。ジグソーパズルも好き。


 楽じゃなかった学校生活
 -不登校になったのはいつですか?
 高校1年の時です。ゴールデンウイーク明けから登校できなくなりました。不登校のまま編入時期を逃したので、その年度は留年しました。星槎高校へ編入し、改めて高校生活をスタートしました。

 -不登校になったきっかけは?
 まず、勉強をせずに進学して、授業についていけなくなったこと。中学1年の頃に勉強を頑張りすぎて嫌になったせいで、中学2年くらいから勉強しなくなりました。

 高校受験は突破できたけれど、周りには自分より勉強できる人がたくさんいる。分かりやすい授業をしてくれる数学の先生もいたのですが、自分の成績が上がって別のクラスになったことで、その先生とも離れてしまった。

 そういう事が重なって、登校できなくなったと思います。

 -勉強は苦手だったんですね
 唯一得意だったのは国語です。自分はよく読書をする子だったので、「この時の主人公の気持ちを考えなさい」などの文章問題はすごく楽だった。あまり勉強をしなかった中学2年以降でも、国語だけは学年1位になるくらい得意でした。

 でも漢字は苦手ですね。一つの文字でも読み方がたくさんあるので。英語も苦手だったかな。日本人に馴染みがない文法で、自分の感覚と英語の正しいつづりが全然違う。

 -中学生の頃の学校生活はどんな感じ?
 中学1年まではあまり勉強が苦手ではなかったです。授業内容にもついていけていたので、まだ学校生活が楽しかった。ただ、校内に漂う「義務感」的な雰囲気、校則が最優先であるとか、規律や礼儀を重んじる空気感は嫌でした。

兄と一緒によく行っていたカラオケの跡地。星槎に入ってしばらくした後、もう一度見に行くとなくなっていた。


 -小学生の頃はどうでしたか?
 小学生の頃は学校が苦手でヤンチャでしたね。一度、かばんと靴を置いて校舎から脱走した記憶があります。授業を中断して、自分の捜索が行われたこともあります。

 先生に迷惑をかけて申し訳ないと思う一方、楽しかった思い出でもあります。読書はこの頃から好きだった。ずっと図書室にこもっていました。家にいる時はニンテンドー3DSというゲームにも没頭していましたね。

 -中学校では吹奏楽部に入ったんですね。
 吹奏楽部の副部長も務めました。楽器はトロンボーン。数人から最大30人ほどの小編成で、コンクールで金賞も獲得しました。

 でも、後輩を指導するのは苦手でしたね。どう教えたらいいか分からない。それが原因で、中学3年から部活がちょっと苦手になったこともありました。しかも丁度コロナ時期だったから、密を避けるために部活を自粛する期間もあった。

 今、「響けユーフォニアム」という吹奏楽部のアニメが放送されていますよね。よくみんなからオススメされるのですが、元気ハツラツに吹奏楽と向き合う人の物語を見ると、心苦しくなります。そういう熱烈な世界からは逃げたいと思ってしまう。吹奏楽部特有の悩み、葛藤とかそういう描写がリアルすぎて、当事者の自分としてはつい目を背けたくなりますね。

 とにかく悩んだ
 -不登校の時、あなたから世界はどう見えていましたか?
 ずっと家に居たので、外の世界がどうだったかは覚えていないかな。でも、受験をして高い学費も払っているのに登校していない状態で、このままでいいのだろうかと悩むことはありました。

 少しの間、精神科にも通っていたので、お金のことも考えると親に申し訳ないという気持ちが大きかった。きちんとしていた中学の頃の自分と、不登校の自分を比較してしまうせいで、そう思ったのかもしれないです。

 -他にどんなことを感じていましたか?
 何事も「頑張りすぎは良くない」と感じていました。頑張りすぎたものは嫌になってしまう気質。いつだったか、勉強を頑張ってテストの総合学年順位が4位になったけれど、自分の気持ちや体調を考えずに無理してしまったせいで、勉強が嫌いになりました。

 他に「プロジェクトセカイ」というリズムゲームをよくやっています。普通にプレイする分には楽しいけれど、高難度のモードを何時間も繰り返してプレイすれば、多分そのゲームも嫌いになっちゃうと思います。

 -当時、周囲の人に訴えたかったことはありますか?
 不登校の人は、一度でもそうなったらとても学校に行きづらくなると思う。だからしつこく「学校に来て」とか、そういうことは言わない方が良いと思います。とはいえ自分の場合、担任の先生から執拗に連絡されることはなかったです。学校の先生をされている他の人に対して、今の言葉を伝えたいです。

 あとは……親も厳しくはなかったです。不登校にまったくノータッチだと逆に不安になるけれど。それでも自分の中で気持ちが整理できるまで待ってほしい、とは思っています。

 悩んだ末に
 -今、不登校になっている人に伝えたいことは?
 悩み考えることが大事だと伝えたいです。不登校の時間を使って自分なりの答えを見つけてほしい。自分は何かを頑張りすぎるとそれを嫌いになるから、ほどほどにこなすということを学びました。

 また、言語化も大事です。悩み考えた経験があれば、日常生活で伝えたいことがあった場合、言葉にしやすくなると思います。

 いつか自分が親になり、子供が不登校になった時、自分が不登校だった経験があれば、理解してあげやすくなると思います。

不登校の時間にいっぱい悩み、たくさんの喜怒哀楽を感じてメンタルを強くしていこう!と言いたいです。

パズルに集中すると自分の世界に入れるので、辛いことを忘れられた。今では1000ピースのパズルもやるようになった。写真のパズルは星槎の後輩からもらったもの。


【取材を終えて】
中学では吹奏楽部の副部長をされていたせいじさん、現在は色々なプレゼンテーション活動に取り組んでいるのだそう。尊敬する先輩がその分野を切り開いてくれて、共に歩む仲間もいることが、今の活動につながっていると話してくれました。

頑張りすぎないよう慎重に、それでいて自分に正直に。そうやって楽しく、着実に日々を送る大切さを、私も改めて感じました。

不登校問題に悩む全ての人が、幸せな日々を送れますように。最後までお読みいただきありがとうございました!

 ◇ ◇ ◇

書き手:ヤモマリオ(22)
中学2年の頃に不登校を経験、特別支援学級コースを経て中学校を卒業。対人恐怖症と解離性健忘症にかかり、卒業後から今日まで自宅療養中。社会復帰の実践的な試みとして、記事の執筆を担当。家ではずっとゲームをしている。ペンネームの由来は、ずっと家にいる「ヤモリ」とゲームから連想される名前の「マリオ」を掛け合わせたもの。

聞き手:けいぴー(18)
中学1年のころに先生との問題があり学校嫌いになった。不登校になる。中学2年からは特別支援学級に入る。中学3年の時にとある通信制高校のオープンスクールへ行き「すごく楽しいこんな世界があるんだ」と感じ、進路を決める。高校生になって友達がたくさん出来て、不自由なく幸せで楽しい日々をおくる。

聞き手:こうたろう(18)
高校3年生。中学1年の夏休み終わりから卒業するまで不登校を経験。不登校中もオープンスクールや学校部活に通い、同じく不登校の友人と積極的に交流する日々を過ごした。星槎高校ではリーダーシップを発揮し、eSports部門の代表としてグループをけん引する。

記事企画:株式会社 十勝eスポーツ教育センター代表取締役 大橋紘一郎(34)
教育とeスポーツとまちづくり三本の柱で、子どもたちがやりたいことを実現するための環境づくりに取り組む。この「不透光」の企画が、不登校を経験している/してきた子どもたち、親・先生・親しい方々にとって、光を見つけるきっかけになることを願っています。電子版で大橋紘一郎を検索

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