勝毎電子版ジャーナル

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理解してほしい「登校しない選択」

十勝eスポーツ 教育センター

「不透光」不登校だった子どもたちの心を照らすプロジェクト

不透光(7)

 子供の頃、不登校になってしまったことが今後の人生にどう響くのか。出席日数が足りなかったり、成績にも影響するという悪い側面ばかりが見えてしまうかもしれない。

 でも、不登校の子供が経験する特別な時間に、人生への学びは確かに存在する。その時の体験をひもといていこう。

 第7回は、こうたろうさん(18)にお話を伺います。

<こうたろう>
高校3年。中学1年の夏休み終わりから卒業するまで不登校を経験。不登校中もオープンスクールや学校部活に通い、同じく不登校の友人と積極的に交流する日々を過ごした。星槎高校ではリーダーシップを発揮し、eSports部門の代表としてグループをけん引する。


自分と合わない学校生活
 -不登校だったのはいつ頃ですか?
 中学校の頃に初めて不登校になりました。中学1年の夏休み明けからだんだん行けなくなり、卒業まで不登校が続きました。長期の休み明けで行きたくないという思いが強くなったのかもしれません。

 -不登校になった具体的な理由はありますか?
 まず一つは人混みが苦手だということ。中学校では別のクラスの教室に入れないルールがあったので、仲の良い人同士は廊下で話していました。廊下にはたくさん人がいるから、そこに自分と仲の良い人がいてもなかなか輪に入ることができなかったんです。

 二つ目は、飽き性だということ。登校、授業、給食、下校と、毎日同じことの繰り返しで病んでいきました。

 他にも給食を一皿は完食しないといけないルールがあり、トラウマになりました。さらに家と学校の距離が近すぎる、小学生からの友達と別のクラスになるなど、いろいろな理由が積み重なっていました。

家から学校までの道。学校がとても近くていつもこのT字路で嫌になって家に戻っていた


 -不登校中はどう過ごしていましたか?
 不登校ではあったけれど、卓球部の活動には土日だけ参加していました。顧問の先生が優しくて、土日だけ参加しても怒られないし、部員もみんな優しかったのでそこには行きやすかった。今でも親交のある友達はほとんど元卓球部員です。

 不登校の子でも入れるフリースクールにも通っていました。学校ほど忙しくなく、出席日数が取れてテストも受けられるので、学校に行かない間は通っていました。

暇な時にずっと一人でやっていた大乱闘スマッシュブラザーズというゲーム。一人っ子で不登校だった僕を救ってくれた。小学校の時よりも格段とうまくなった


 -不登校から抜け出せたきっかけは?
 星槎高校に入ったことがきっかけですね。フリースクールに行っている時、そこに通っていた不登校の友達と一緒に進路を決めたのですが、自分が率先してみんなを星槎に連れてきました。通信制の高校は他に池上高校もあったのですが、いろんなことができる星槎が自分たちには合っているんじゃないかと思って。

 仮に、高校に行っていても中学校の時のように毎日同じことの繰り返し、みたいな環境だったらまた行けなくなっていたと思います。

唯一の癒やし、もこ(チワワ)。いつも泣いている僕に寄り添って顔をなめてくれた。かわいい


学校に対する思い
 -不登校の時、あなたから世界はどう見えていましたか?
 学校を爆破したいと考えていました。どうやったら学校を無くせるか、ダイナマイトを仕掛けて卓球部の人にだけ「逃げろ!」と伝えて片を付けようみたいな。

 そんな妄想をするくらい学校が苦手だったかな。とにかく学校に行く動機は卓球だけでした。スポーツが得意で、小学生の頃はスケートリレーの最速2番手だったんです。さらに、サッカー部ではないのにサッカー部の子と練習してサッカーが上達しました。主に取り組んでいたスポーツはテニスでした。ただ、小学生の頃は硬式テニスのクラブに所属していたものの、入学した中学校にはソフトテニス部しかなくて。体験してみたけど何か違うなと思って、中学校からはテニスに似ていると感じた卓球部に入りました。

自分が載っていない卒業アルバム


 -当時、周りの人に訴えたかったことはありますか?
 もう少し不登校を認めてあげてほしいと言いたいです。自分の親や身内の人は不登校の時に「それも人生だよ」と言ってくれました。ただ、仕方がない話ではありますが、学校側はあまりそれに賛成ではなかったようで。生徒が不登校であることを認めつつも、最終的には不登校生徒を学校に戻すように誘導していた感じです。

 今は、登校頻度や登校のスタイルが比較的自由な通信制の高校に入学する生徒が多いです。普通の学校でも不登校の子に対して登校をせかさず、そのままでもよいと共感し、不登校生徒のことを理解してあげることが大事なのではないかと思います。

家族でよく行ったキャンプ。不登校で外に出ていなかったので、キャンプ場に行き、自然の中でおいしい空気を吸ってゆっくりしていた


登校しない選択肢
 -当時の自分に言ってあげたいことはありますか。
 学校には行かなくてもよいと言いたいです。登校しないという選択をすれば、自分の時間が増えて、自分自身を深く知ることができるから。得意なことや苦手なこと、やりたいことが見つかれば、今後の進路や就職にもつながってくると思います。

 自分は中学で登校しない選択をした結果、飽き性な自分が星槎高校でいろいろな活動をさせてもらえているし、星槎では3年間登校し続けました。学校に行かない方が良くなる人生もあると実感しているので、当時の自分には行かないという選択肢もアリだと伝えたいですね。

不登校中に仲良い友達と極めたゲーム、APEX。同じ不登校の友達とお昼から夕方までずっとやり続け1年半かけて目標だったマスターランクに行けた。このゲームをやらない日はなかったほど


 -この記事の読者に伝えたいことはありますか。
 やはり自分自身を見つめ直す時間が大切だということ。プロのスポーツ選手や伝統技術を守る職人でも、自分の考えを見つめ直し、自分を分析する時間があるからこそ次のパフォーマンスにつながると考えています。

 生きるうえで自己分析は欠かせない。社会人になってもそれは変わらないと思います。不登校になっても、それが自分を見つめ直せる時間だと考えればそれでよいと思います。

【取材を終えて】
 「学校へ行けていた方が良い人生を送れる」と、普通ならそう思うかもしれません。しかしよくよく考えてみれば、不登校の中で過ごす時間は、忙しい社会から離れて自分を見つめ直し、自分のことをよく理解する時間にもなる。不登校になって自分の人生のターニングポイントが少し早く訪れるというのは、ある意味では恵まれたことなのかもしれません。

 実はインタビューの際、こうたろうさんが不登校だった理由は、質問中にすぐ思い出すことができなかったそう。インタビュアーであるけいぴーさんと、不登校の体験談を交えながら対話し、徐々に不登校だった時のこと、不登校になった理由を思い出せたようです。不登校の思い出を巡る記録となりました。

 全国の不登校問題に悩む全ての人が、幸せな日々を送れるようになることを願っています。今回も最後までお読みいただきありがとうございました!

笑顔でピースするこうたろうさん(写真左)と、インタビュアーのけいぴーさん(写真右)


 ◇ ◇ ◇

書き手:ヤモマリオ(22)
中学2年の頃に不登校を経験、特別支援学級コースを経て中学校を卒業。対人恐怖症と解離性健忘症にかかり、卒業後から今日まで自宅療養中。社会復帰の実践的な試みとして、記事の執筆を担当。家ではずっとゲームをしている。ペンネームの由来は、ずっと家にいる「ヤモリ」とゲームから連想される名前の「マリオ」を掛け合わせたもの。

聞き手:けいぴー(18)
中学1年のころに先生との問題があり学校嫌いになった。不登校になる。中学2年からは特別支援学級に入る。中学3年の時にとある通信制高校のオープンスクールへ行き「すごく楽しいこんな世界があるんだ」と感じ、進路を決める。高校生になって友達がたくさん出来て、不自由なく幸せで楽しい日々をおくる。

聞き手:株式会社 十勝eスポーツ教育センター代表取締役 大橋紘一郎(34)
教育とeスポーツとまちづくり三本の柱で、子どもたちがやりたいことを実現するための環境づくりに取り組む。この「不透光」の企画が、不登校を経験している/してきた子どもたち、親・先生・親しい方々にとって、光を見つけるきっかけになることを願っています。電子版で大橋紘一郎を検索

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