「引きこもって良かった」 不登校で出合った「絵」
不透光(6)
引きこもっていた時期があったからこそ、今の楽しい人生がある。
第6回は、つきみやさん(19)に、伺いました。
<つきみや>
小学校高学年から学校を休みがちになり、中学1年から卒業までの間不登校に。
高校ではポスターやLive2D用イラストなどを制作。現在は大学でポスターデザインやWebデザインについて学んでいる。特技はイラスト制作。好きな食べ物はポテト。
「年上嫌い」の真相
-不登校の時期はいつ頃でしたか?
初めての不登校は小学4年ごろ。6年の時も一度不登校になって、中学1年で完全に教室へ行かなくなった。小学生の時は何が何でも登校しなくて、1日行ったら何週間も休む生活をしていた。中学校は、先生から「来て」と言われた日や、食べたい給食の日とかだけ登校してた。
-きっかけは?
行かなくなった理由はね、中学も小学も一緒。年上の男の子から言葉の暴力を受けて、それが嫌で行かなくなった。だから私、年上が嫌いだと思っていた。
-不登校だった頃、あなたから見た世界はどうなっていましたか?
「全人類vs私」。「全員敵だろう!?」みたいに思っていた。
親は言葉では「無理して行かなくていいよ」とか言うけど、「学校に行け」と思っているのが見え見えなのよ。先生も先生で「教室行ってみない?」とか言ってきて、私にとってはそれが地獄のように感じた。校長先生自ら説得に来た時は、驚いたし怖かった。だって学校の一番偉い人が「教室行ってみなよ。私も一緒に行くよ」って言ってくるんだよ……やめてくれやめてくれ!怖い!
-それはどんな怖さですか?
命令されているような、プレッシャーを感じる怖さ。家まで説得に来られても困るだけ。
学校のプリントを届けられても、「楽しい学校生活を私に見せつけて何になるの?」としか思わない。「あおっているのかな」と。
-不登校から抜け出したきっかけは何ですか?
高校に入って、周りからめちゃくちゃ褒められたからかな。それで自尊心が救われたし、自己肯定感も上がった。
引きこもっていた時って、自尊心はボロボロで、自己肯定感もボロボロになっているから、何やっても嫌になるんだよ。でも、高校に入ってから絵でめちゃくちゃ褒められて、絵がうまくなっているって実感できたの。
ロゴコンテストで賞を取って、絵をいっぱい描いて、ポスターもめちゃくちゃ描いて、それで「嫌なこと言ってきた人より、私はすごいぞ!」って思えた。
だから高校に入ってから気づいたもん。私は年上が嫌いなんじゃなくて、“ 地元の年上が”嫌いだったんだって。
「引きこもって良かった」と思える今
-全人類が嫌いだったのが、特定の誰かになったということですか?
そう。だって実際に私、高校の先輩とは普通に話せた。それで地元の先輩が嫌いなだけだって思ったんだよね。それから、敵の数は80億人だと感じていたのが、3000人にまで減った。
嫌なこと言ってきた人たちに問題があって、私が気にすることではないって思えた。
-つきみやさんと「絵」について教えてください。
中1の時にタブレットをもらって、その時にお姉ちゃんが絵を描けるソフトを入れてくれたのよね。不登校になってから、そのソフトで絵を描き始めた。
-不登校にならなければ、絵は描かなかったのでしょうか?
多分描いてないと思う。ずっとゲームばっかりしていたと思う。
-では、今のつきみやさんのように「絵で食べていこう」とはならなかったですか?
うん、そうはならなかった。だから、今は100%引きこもって良かったなと思っているよ。「引きこもった方が強い!」って感じ。
<作品紹介>
-当時、周囲の人たちや世界に訴えたいことはありましたか?
「もうほっといてくれ」「そっとしといてください」みたいな感じかな。当時の私にとって全人類が敵だし、なんなら家から動きたくなかったから、放っておいてほしかった。
-不登校の時のあなたにかけてあげたい言葉は?
どうしよう、何を言っても多分反論されるだろうな……。
全人類が敵だから、もちろん未来の私も敵。でも「絵を描いて。楽しいから」って言いたい。
-この記事を読んでいる読者に伝えたいことは?
無理して学校行かなくていいよ。行きたくなかったら行かなきゃいい。引きこもって、やりたいことあるなら、やってみるのがよろしい。
逃げるのは恥じゃないよ、逃げろ、逃げろ! 逃げられるところまで逃げた後に、興味があることやって、進めるようになったタイミングで「もう一回進んでみよう」みたいな感じがいいよ。マイペースで良いんだよ。周りと合わせるな!
【取材を終えて】
「逃げる」という言葉には、どうしてもマイナスなイメージがつきものだと思います。ですが、逃げた先で意外な出会いが待っていることもあります。つきみやさんにとっては「絵」がそれでした。遠回りをしたからこそ手に入るものもあるし、出会える人もいるのなら、逃げることは決して駄目なことではないように思いました。
◇ ◇ ◇
書き手:晴木マモル(19)
大学2年生。学校への行きづらさを感じ、中学1年の夏頃から不登校気味になる。その後通信制高校に入学。作詞・作曲等の創作活動を行ないながら、学校へ行くことの楽しさを思い出す。母校で働くことを夢に大学へ進学し、その傍ら記事の執筆に携わる。
学校に行けなかった自分を悔いることもありましたが、今ではそれも大切な時間だったと感じています。
聞き手:株式会社 十勝eスポーツ教育センター代表取締役 大橋紘一郎(34)
教育とeスポーツとまちづくり三本の柱で、子どもたちがやりたいことを実現するための環境づくりに取り組む。この「不透光」の企画が、不登校を経験している/してきた子どもたち、親・先生・親しい方々にとって、光を見つけるきっかけになることを願っています。電子版で大橋紘一郎を検索