勝毎電子版ジャーナル

勝毎電子版

「助けてくれなかった」担当の先生 学校行けずネットに居場所見出す

十勝eスポーツ 教育センター

「不透光」不登校だった子どもたちの心を照らすプロジェクト

不透光(4)
 学校に行かないから苦しまない?学校へ行かないと成長できない?

 青春のあり方は、決して1つではないと思う。第4回は、カルハさん(16)にお話を伺いました。

<カルハ>
高校2年生。中学1年生の半ばから中学校卒業まで不登校を経験。不登校中に磨き上げた腕で高校内のesports部で活躍中。


「いじめ」で感じた諦めと悔しさ
-不登校を経験したのはいつ頃ですか?
 中学1年生のコロナ明けから、中学卒業まででした。小学生のころから知的支援学級に入り、中学に上がっても支援学級に通っていました。

 小学校の高学年から、給食や一部の科目は通常学級で受けていたけど、その頃から知らない人と関わる機会が増えて、自分の中で怖さを感じるようになっていきました。

-学校に行けなくなったきっかけは?
 中学生になって、自分が広汎性発達障害(注)だということを知ったんです。小学5年頃からいじめは経験していたのですが、中学校からは障害を持つことをネタにされて、より一層ひどい扱いを受けるようになっていきました。

 ユーチューブでゲーム配信をしていたことがあったのですが、そこに他の人たちが入ってきて自分の学校や本名をすべて言ってくることがありました。それが頭にきて、誰がやっているのか暴きたいと思い、犯人を調べたんです。犯人が誰かはわかったのですが、振り回されるのも嫌なので、追及はしませんでした。こんなことがたくさんあって、学校には行かなくなりました。

得意料理のチャーハン。中学生の時、家に一人だったのでお昼によく作っていた


-不登校から抜け出したきっかけは何ですか?
 高校に入学してから周囲の雰囲気が大きく変わりました。最初はどうしたら良いかわからなかったけれど、周りの人たちが積極的に話しかけてくれて。そこから仲の良い友達ができ、一緒のグループになってどこかに遊びに行くこともありました。特に部活に入って一番の親友ができたのは大きかった。自分の発言を相手に伝わるよううまく言語化してくれたり、家族が不登校を認めないことも理解してくれました。

 今の高校には、どんな人も認めてあげること、そして自分もみんなから認められていることを意識しようという趣旨の校訓があります。そういうさまざまな環境の変化が今の自分の在り方に繋がったと考えています。

-不登校の時は、どう過ごしていましたか?
 学校の時間は家にいて、放課後になったら家から出て外の空気を吸っていました。家にいる間は本気でゲームに取り組んでいました。この高校に来る前、私をいじめてきた人の中に「偏差値の低い学校に行っても、お前はどうしようもないし、esportsも弱いし、どうせすぐ停学するだろ」って言ってきた人がいました。esportsのことは真剣に考えていて、夜中まで練習してゲーム内での戦い方を研究して過ごしていたので、悔しい思いはありました。ただ、結果的には私をいじめてきた人が先に停学していました。

アジア大会で298位の成績を収めた時のスクリーンショット


相談しても学校は「助けてくれなかった」
-不登校だった時、あなたから見た世界はどうなっていましたか?
 いじめとかSNSの騒動とか、嫌なことはたくさんありましたが、それでもゲームとか自分の趣味を追っている時間は楽しかったし、ずっとその時間が続くような世界に憧れていました。

 でもそんな幸せが永遠に続くことは現実的に考えてあり得ないから、つらいことも含めて頑張って乗り越えていかないと意味がないなって。それでも精神的に病んでいるときは何もしたくないし、親から学校へ行けと何度怒られても行きたくない。あまり親に心配をかけたくなかったけれど、それでも無理には行けませんでした。

-当時、周囲の人たちや世界に訴えたいことはありましたか?
 学年主任だった先生に「なぜあなたのような人が教師をやっているのか」と感じていました。

 その先生に、いじめを相談したことがあるのですが、そのときは何が言いたいか分からないと突き離されたり、SNSで起きたことを話してもそのアプリケーションを消せば良いと言われたりしました。

 いじめアンケート調査の時も、いじめを未然に防ぐためと説明している割には、私のいじめ問題は解決してくれない、という矛盾に腹が立っていました。

 自分がみんなから嫌われていることに気づいて、もう一度自分自身を見つめ直して改めて人生を歩んで欲しい、と言いたいです。

居場所作りを優先して
-不登校の時のあなたに言ってあげたい言葉は?
 「やれるところまでやってみろ」ということかな。

 自分は勉強が苦手だしコミュニケーション能力も低いけど、それを弱みとは捉えずに得意とする「ゲーム」を突き詰め、それを貫き通すのも良いんじゃない?と。できないことを無理してやるよりは、できることを確実にやっていくことが大切だと言いたいです。

 また、青春は友情とか恋愛だけじゃないと自分の尊敬する人物から言われたことがありました。だからこそ、青春時代にゲームに打ち込むのも良いと考えられるようになりました。

 今の私は、その人のように陰からみんなをサポートしてあげられるような存在になりたいと思っています。

-この記事を読んでいる読者に伝えたいことは?
 もしあなたが不登校に悩んでいるのなら、無理して学校へ行かず、自分の居場所を作ることを優先してください。

 他の誰かに頼っても良いし、趣味に没頭して自分の世界に入るのも良い。ちなみに、当時自分の居場所はインターネットの世界でした。そこには仲の良い友達もいて、その人たちは最初に話した「ユーチューブ事件」のときも一緒に悩んでくれた。今でも交流があって、その友達と今度の夏休みに一緒に旅行する計画も立てています。

 不登校に悩んだときは、自分の居場所を作ることが大事だと言いたいです。

フォートナイトをプレイしている様子 自身で十勝大会を主催した経験も持つ



【取材を終えて】
 カルハさんは現在、星槎高校でesports部のエースとして活躍中。高校生活は昔に比べて楽しくて充実したものであると語ってくれました。

 若い頃の限られた時間の中で苦しい出来事がたくさんあったのは悲しいことです。しかし、それを感じさせないような心と気持ちの整頓力は、紛れもないカルハさんの成長の証だと感じました。

 不登校問題に苦しむ全ての人々が、幸せな日々を送れるようになることを願って。今回も最後までお読みいただきありがとうございました!

(注)広汎性発達障害
コミュニケーション能力や社会性に関連する脳の領域に関係する発達障害の総称。自閉症、アスペルガー症候群のほか、レット症候群、小児期崩壊性障害、特定不能の広汎性発達障害を含む。



 ◇ ◇ ◇

書き手:ヤモマリオ(22)
中学2年生の頃に不登校を経験、特別支援学級コースを経て中学校を卒業。対人恐怖症と解離性健忘症にかかり、卒業後から今日まで自宅療養中。社会復帰の実践的な試みとして、記事の執筆を担当。家ではずっとゲームをしている。ペンネームの由来は、ずっと家にいる「ヤモリ」とゲームから連想される名前の「マリオ」を掛け合わせたもの。

聞き手:けいぴー(18)
中学1年生のころに先生との問題があり学校嫌いになった。不登校になる。中学2年生からは特別支援学級に入る。中学3年生の時にとある通信制高校のオープンスクールへ行き「すごく楽しいこんな世界があるんだ」と感じ、進路を決める。高校生になって友達がたくさん出来て、不自由なく幸せで楽しい日々をおくる。

聞き手:株式会社 十勝eスポーツ教育センター代表取締役 大橋紘一郎(34)
教育とeスポーツとまちづくり三本の柱で、子どもたちがやりたいことを実現するための環境づくりに取り組む。この「不透光」の企画が、不登校を経験している/してきた子どもたち、親・先生・親しい方々にとって、光を見つけるきっかけになることを願っています。電子版で大橋紘一郎を検索

記事のご意見・ご感想
深掘りしてほしい話題はこちらへ

かちまい投稿ポスト