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南極先生、越冬隊員への道が開けた瞬間 南極先生 再び極地へ。(1)

柴田 和宏

南極観測隊員(元小学校教諭)

 「福岡大学の先生が越冬隊員を探してます。興味があれば紹介します!」

 2019年9月20日23時。私に届いた一通のメール。元越冬隊員からのものでした。「行きたいです!」私は即答しました。5年間焦がれ続けた越冬隊員への道が開けた瞬間でした。

 越冬隊員を目指し始めたのは5年前。私は57次南極観測隊夏隊の同行者として南極に約4か月間滞在していました。教員派遣プログラムの派遣者の一人として、南極から日本の子どもたちに授業をすることが私の任務でした。

南極の昭和基地での建設作業


 南極での生活はさまざまな刺激に満ちていました。教員をしていたら決して経験をすることがない建設作業。美しい景色。さまざまな職種や年代の隊員たちとの生活。もうすぐ南極を出発するという頃には、「もう二度とこの景色を見ることはできないかもしれない」と、大変名残惜しい心境になりました。

 帰国後は、南極の美しい景色や基地での暮らし、観測隊の任務についてさまざまな場所で講演を行いました。小さなお子さんからご高齢の方まで、5年間で5000人以上の方にお話をしました。ありがたいことに「もっとお話を聞きたい」という感想をたくさんいただきました。

日本帰国後の講演活動


 その声を聴くたび「もっといろいろな話をしたい。自分自身がもっといろいろな経験をしたい」と思いました。やがてその思いは「越冬隊員として再び南極へ行きたい」という強い願いに変わっていきました。

 南極観測隊には、南極へ4か月間派遣される夏隊と1年4か月間派遣される越冬隊の2つの隊があります。夏隊は比較的気候が穏やかな時期に南極に滞在します。白夜と言われる時期に行くため、夜がありません。美しい星空もオーロラも見られません。それに対し、越冬隊は極夜、美しい夜空、ブリザード、オーロラなど、南極で起こる多くの自然現象を経験することができます。

 妻に「越冬隊員になってもう一度南極へ行きたい」と話すと、妻は笑いながら「言うと思った」と答えてくれました。私の覚悟は決まりました。もう一度南極へ行くために、何が必要かを考えました。南極へ行く方法は誰も教えてくれません。なので、やった方がいいと思ったことは何でもしました。重機を操縦する資格を取ったり、無線技士の資格を取ったり、体力づくりもほぼ毎日欠かさずやりました。重機の資格を取得する講習センターの教官からは「学校の先生って、重機も運転できるようにならないとだめなんですか?」と不思議がられました。「いえ。南極観測隊になるために資格を取っているんです」と答えると、驚きながらも「頑張ってくださいね」と応援してくださいました。

南極の美しい景色


 私はことあるごとにいろいろな人に「南極に行きたいです」と言いふらしました。言いふらすのは、自分の願いを再確認し、思いを新たにするためにとても大切な作業でした。ところが、この作業が思わぬ便りをもたらしてくれたのです。それが冒頭の「越冬隊員を探しています」メールです。

 私にメールを送ってくれた方は、私が5年前に南極に行った際にご一緒した越冬隊員の方です。福岡大学の教授が「誰かいませんか?」とその方に問い合わせのメールをしたところ、「そういえば、柴田さんが越冬隊員になりたいって言っていたなぁ」と思い出し、私に連絡をくださったのです。

 「行きたいです!」と即答すると、すぐに教授から連絡が来ました。「一度お会いしたいので、福岡へ来ていただけますか」と。

 それがちょうど1年前。9月20日のことです。ここから私の人生が大きく変わるような日々が始まったのです。

◇プロフィール
柴田和宏

1974年千葉県生まれ。生まれてすぐに北海道へ来たので自称道産子。
北海道教育大学函館校卒業。元小学校教諭。
57次南極観測隊教員派遣同行者として2017年に南極へ行く。
帰国後は各地で講演を開催してきた。
2020年11月に出発する62次南極観測隊越冬隊員として再び南極へ行くことが決定している。

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