勝毎電子版ジャーナル

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1日の歩数を示す活動量計

1日でたったの257歩 体重は「増量キャンペーン」に突入 南極先生 再び極地へ。(9)

柴田 和宏

南極観測隊員(元小学校教諭)

 出発地である横須賀市に到着し、隔離施設での生活が始まりました。部屋の広さはビジネスホテルのシングルルームの約2倍。備え付けのドラム式洗濯機、一般家庭用サイズの冷蔵庫、キッチン、ユニットバスなどがあり、2週間過ごすには十分快適な環境でした。毎日決まった時間にお弁当が届き、不足した日用品があればネットで注文。荷物は部屋の前まで届けてもらえます。唯一の問題は運動です。健康管理のため、希望する越冬隊員に配られた活動量計。その日歩いた歩数を確かめることができるのですが、最も少ない日は257歩。体重増量キャンペーン絶賛実施中です。

隔離施設の部屋

 隔離期間中は、ほぼ毎日Zoomを使っての講義がありました。内容は南極での自分のミッション紹介や南極の気候、そして南極での活動で留意すべきことに関する研修など。特に興味深かったのは過去に起こった事故の状況とその原因、そして予防策などについて、写真など具体的な資料を見ながら学ぶ講義でした。観測隊を何度も経験した隊員が自らの失敗談を話してくれる場面もありました。どれも印象に残るもので学びになることがたくさんありました。

 どうやら私は、成功談よりも失敗談の方が集中して聞けるようです。わくわくするような成功談を聞くことも好きです。でも、「すごいけど、自分にはできないな」とついつい他人事になってしまいます。その点、失敗談は自分が未経験のことでも「自分もやっちゃいそう」と共感することが多いのです。失敗することは自分を成長させる貴重な経験になります。でも、痛みを伴うので、できれば失敗したくありません。その点、他人の失敗は痛みを伴わずに学ぶことができる。だから興味を持って聞けるのかもしれません。単純にやじ馬心をかき立てられているだけかもしれませんが。学生だった頃のことを思い出すと、先生に怒られている友達を見て、「やばい。自分も同じことやってた。やめておこう」とよく学んだものです。

 観測隊の話に戻します。約60年前から続けられた観測隊の歴史の中で、不幸にも命を落とされた方は1名。厳しい環境と言われる南極で、多くの人が任務を全うして帰国できているのは、先人たちの失敗談という最良の教材を脈々と受け継いできたことも要因の一つだと思います。

 隔離期間中の課題である運動不足の解消法は、いろいろな隊員がそれぞれに模索していたようです。ビリーズブートキャンプに励んでいる人もいれば、トレーニンググッズをたくさん部屋に持ち込んだり、もも上げをしたりしてランニングの代わりにした人も。私は縄跳びとゴムバンドとNHKの筋肉体操で体を動かしました。中でも、5分ほどで終わる筋肉体操は短時間で筋肉痛になるほど負荷が高く、しかも狭いスペースでも可能なので、すぐさま定番の運動となりました。「筋肉は裏切らない」の言葉通り、多少は引き締まった気になりました。3食欠かさず食べ、講義を受け、適度に運動をし、夜は家族とLINE電話。一定の生活リズムを作りながらあっという間に隔離期間は過ぎていきました。

しらせへ向かう作業艇

 出発当日の朝は5時半に隔離施設を出発。バスに乗って桟橋へと移動。しらせは乗員の隔離のために、私たちの隔離開始とほぼ同じ2週間前から沖に停泊。外部からの接触を完全に断つために、沖で私たちを待っていました。私たちを迎えに来たのはしらせに搭載されている小型の作業艇。湖に浮かぶ手漕ぎボートよりは大きく漁船よりは小さいサイズ。大人が25人ほど乗ったらぎゅうぎゅうです。決して大きくはない作業艇に乗り込み桟橋を出発。近くの公園から見送る隊員たちの家族に手を振りながら、日本に別れを告げました。波しぶきをあげながら走り続ける作業艇の先に、ひときわ目立つオレンジの船体が見えてきました。しらせです。「しらせ見えた!」「ほんと!?」「ほんとだ!」と大興奮。私を含め、しらせに乗って南極へ行くことを夢見てきた隊員はたくさんいます。私が以前勤めていた職場では「しらせに乗って南極に行きたい!」と本気で考えている人は私1人で、「南極に行ってみたいけど、1週間くらいの旅行で十分。1年以上いるなんて大変でしょう」と言われることがほとんどでした。ところが作業艇に乗り込んでいる隊員たちの大半が「しらせに乗って南極に行きたい!」と本気で考えてきた人ばかり。同じ思いを共有できる人がこんなにもたくさんいるのかと思うと、うれしくなりました。

 作業艇からしらせへ乗り移るのはなかなか大変でした。波が高く、うねりをともなっていたためです。波しぶきを浴びながら乗艦用のはしごに接近。あと50センチで届くかと思った瞬間に作業艇が流され、体勢を整えるために1度しらせから離れることに。しらせから100メートルほど離れた位置で機をうかがい、再度しらせへ接近。乗艦前の打ち合わせでは、初めに観測隊長が乗船する予定でしたが、「近くの人から乗り込んでください!」と乗員からの鬼気迫る声で指示を受け、乗艦用はしご近くの隊員から乗り込んでいきました。大きく揺れる小型の作業艇とは対照的に、しらせは揺れる波の上に悠然と浮かんでいました。

しらせ内の私室

 しらせ船内の居室に荷物を置いた私は、事前に積み込んでいた私物を確認。ここでちょっとショックな出来事が。コンタクトレンズの保存液と口腔ケア用の糸ようじが入っていなかったのです。「越冬用の箱にいれちゃったかぁ」と思っても後の祭り。おろしたての2週間装用コンタクトレンズは、たった1日で捨てることになりました。前回南極に行った際の船旅の反省を経て、今回は居室にじゅうたんを敷きました。靴を脱いで床に座れるスペースがあることはとても大切です。約1か月過ごす部屋の準備完了。隔離期間中の体重等の変化を測るため、観測隊員が集まる観測隊公室へ。そこで体重計に乗ると衝撃の数値が。隔離期間中に3キロの増量。自宅で2週間過ごした際、好きなものを好きなだけ食べるぞ!と過ごしていたので、その時の増量分と合わせて通常より5㎏増。増量キャンペーンに思い切り乗ってしまいました。

 しらせの航海の始まりとともに、食事制限と運動の日々が始まったのは言うまでもありません。

◇プロフィール
柴田和宏

62次南極観測隊越冬隊員
1974年千葉県生まれ。生まれてすぐに北海道へ来たので自称道産子。
北海道教育大学函館校卒業。元小学校教諭。
57次南極観測隊教員派遣同行者として2017年に南極へ行く。
帰国後は各地で講演を開催してきた。


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