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小学校教諭を辞め南極へ 苫小牧の柴田さんインタビュー

柴田 和宏

南極観測隊員(元小学校教諭)

 11月に日本を出発し、南極の昭和基地などで研究観測する「第62次日本南極地域観測隊」。隊員の一人に苫小牧市在住で元小学校教諭の柴田和宏さん(福岡大理学部所属)が派遣される。

 柴田さんは第57次夏隊(2015年12月~翌年3月)の教員派遣プログラムの一環で南極へ派遣された経歴を持つ。帰国後も南極で約1年3カ月滞在する越冬隊の夢を持ち続け、6月に小学校教諭を退職し越冬隊員になった。

 電子版ジャーナルでは9月から、「南極先生 再び極地へ。」と題し、柴田さんの“南極記”を掲載。隊員の選考過程や準備の様子を紹介している。柴田さんに南極への思いや越冬隊選考までの経緯を聞いた。(デジタル編集部=塩原真)

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◆南極にひかれた理由は
 北海道教育大函館校3年生のころ、函館港に入港した南極観測船「しらせ」を見に行きました。とても大きな船でしらせに乗って南極に行ってみたいと思いました。幼稚園で行った教育実習の課題で、「しらせ」を段ボールで作って発表しました。そのころから南極への憧れがありましたが、まさか行くことになるとは思っていませんでした。

◆南極派遣の応募のきっかけは
 10年ほど前に、当時勤めていた小学校(苫小牧市立拓勇小)の朝の打ち合わせで南極の教員派遣応募を知りました。校長に「南極へ行きたい」と伝えると「ダメ」という返事でした。翌年、校長が変わり再度、南極への希望を出しても「ダメ」という返事でした。当時の拓勇小はマンモス校で、学校分割を控えて忙しかったのが理由です。

 希望を伝えて3年目、新設された拓進小に移りました。新しい校長からは「3年後にチャレンジして良いよ」言われ、夢をかなえるために準備に取り掛かりました。

南極の昭和基地で行った南極授業(2016年2月)


◆教員派遣とは
 南極の教員派遣プログラムとは、第51次隊から全国の小中高校の教員が南極地域観測隊に同行し、昭和基地から衛星回線を使った南極授業や帰国後の講演をするものです。もちろん、派遣教員になるためには国立極地研究所(極地研)の選考があり、希望したからといってなれるとは限りません。

 私は3年待ってほしいという間に実施計画を提出しました。応募したした時は満を持してといった気持ちでした。作成したテキストがユニークだったことが選考の決め手だったと聞きました。

◆南極授業の取り組みは
 第57次夏隊(2015年~16年)に同行した私は、昭和基地で設営作業を手伝ったり、南極大陸など基地の外に出る野外調査に同行したりしました。南極にいる期間中に2度、自分の勤めている拓進小と多摩六都科学館(東京)で南極授業を行いました。「つなぐ」というテーマで、南極観測や隊員の活動を伝えました。それぞれの隊員がどのような思いや願いをもって任務に当たっているのかをインタビューし、授業を構成しました。例えば、フィールドアシスタントという、隊員が南極の野外で観測活動をする際にサポートをする隊員は「隊員を無事に日本に帰国させる。つまり、命をつなぐことを第一に考えている」ということ。また、南極の岩石を調査する隊員は「地球の過去を知ることで、これからの未来の気候を予測できるようにする。つまり、地球の過去と未来をつなぐことを研究のモチベーションにしている」ということを子どもたちに伝えました。

南極の昭和基地で行った南極授業(2017年2月)


◆帰国してからの活動は
 日本に帰国後は南極の講演活動を頑張りました。道内を中心に10カ所を回りました。講演の回数は50回以上。今までに4500人以上の方にお話をしてきました。次なる夢の越冬隊になるため、南極で必要と思われる大型特殊免許、玉掛け作業者資格、車両系建設機械運転技能講習、小型移動式クレーン作業資格も取得しました。

◆越冬隊に選ばれた経緯は
 周りの南極関係者に「再び南極に行きたい」と話続けていました。18年10月、地圏モニタリングという観測隊員に応募しましたが、1次選考で落ちました。ダメという理由はいろいろあります。「観測の知識がないのは厳しいよな」とも思いました。半面、一発で選ばれなくても5年かけ何度も応募し続ければ受かるのではと思っていました。

 19年9月、一緒に南極に行った友人から福岡大の先生が隊員を探していることを知りました。

◆意気込みは?
 前回と異なり、今回は観測者として南極に赴きます。今までに経験したことのない仕事や作業ばかりですが、しっかりと責任を果たせるように頑張ってきます。また、多くの方に応援や支援をいただいた上でのチャレンジなので、私自身が楽しむこと。そして、帰国した際には、皆さんに私の経験を還元できるようにたくさんの知見や経験を積んできたいです。

◆読者へのメッセージ
 私は小学校2年生の時に半年間、帯広に住んでいました。短い期間でしたが、休み時間に外で遊んだこと、発表会で楽器を演奏したこと、冬はとても寒く、家の床が冷え切って歩くのもつらかったことなど、いろいろと思い入れのある地です。前回南極に行った際には、講演に呼んでいただき、帯広市内の小学校の子どもたちとかかわる機会をいただけるなど、浅からぬ縁を感じています。そんな帯広の皆さんに、これから赴く南極での生活や私が感じたことなどをお伝えし、一緒に楽しんでいただければとてもうれしいです。

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