勝毎電子版ジャーナル

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大分県のグライダー滑走場

サッポロ「クラシック」は九州にもあった 楽しい合宿と最終日の悲劇 南極先生 再び極地へ。(5)

柴田 和宏

南極観測隊員(元小学校教諭)

 カイトプレーンでの観測は、機体の組み立てや観測装置の搭載、観測中のデータのチェックなど、様々な作業が同時進行で行われます。私一人でそれを行うのは困難です。そこで、2人の隊員をメンバーに加え、カイトプレーンチームを立ち上げました。ひとりは、南極で大型アンテナを操作したりメンテナンスをしたりするエンジニアの隊員。もうひとりは私と同じく空気中の微粒子や成分を観測する科学者の隊員。ちなみに北海道出身。エンジニアと科学者と(元)教師という異業種の3人が1つのミッションに挑むのは観測隊ならではです。

フライトチームのメンバー


 3人が初めて顔を合わせたのは8月中旬。大分県にあるグライダー滑空場で5日間にわたって合同訓練を行いました。北海道出身の科学者の隊員は、新千歳空港で買った北海道クラシック24本1ケースを手土産に持ってきてくれました。訓練にはカイトプレーン操縦のコーチと機体整備の名人も熊本からやってきていました。お酒大好きなコーチは、北海道クラシックを見るなり「おっ!もう飲む?」と早速ビールに反応。「いえいえ、これは夜のお楽しみにしましょう!」とビールをしまってコーチを促し、訓練を始めました。私がコントローラーでカイトプレーンを離陸させ、一定の高度まで上昇して飛行機が安定したら自動操縦に切り替えます。自動操縦で目標のルートを飛行し、目的が達成されたら降下。ある程度の高度まで下がってきたら、再び私がコントローラーで操縦して着陸という流れを練習しました。

 カイトプレーンを飛ばすことは楽しいのですが、墜落や事故のリスクが常に付きまとうので、着陸までは常に緊張感が付きまといます。だから同じ時間を共有できる仲間がいるのはとても心強いものでした。私が離陸させると、エンジニアの隊員から「現在高度900m、910m、920m・・・・目標高度に到達です。」とリアルタイムで情報が入ります。機体を双眼鏡で監視してくれる科学者の隊員からは、「機体は北を向いています。少し左に流されているみたい。上空は風が強いかな。」など、詳細な機体の状態や風の状況を教えてくれます。それを聞いて私は「了解。じゃあそろそろ自動操縦に切り替えます。パソコン上でのチェックお願いします。」などとやり取りをしながらフライト。その訓練を何度も行いました。回を重ねるごとに手際が良くなり、私たち3人は確かな手ごたえを感じていました。

 合同訓練の5日間は、滑空場のそばの施設に宿泊しました。合宿と言えばお酒。訓練後は夕食を済ませたら酒宴開始。「九州で北海道クラシックを飲めるとは思わなかった!さすが、気が利くなぁ」と私を含めみんなで大喜び。結局北海道クラシック(北海道限定)24本1ケースを2日で飲み干しました。ビールが底をついてしまった3日目の夜。このままでは口寂しいと買い出しに行くことに。グライダー滑空場は山の上にあるので、最寄りのコンビニまで山道で約15㎞。「15㎞くらいなら、20分もあれば大丈夫でしょ!」と3人で車に乗り込み、街灯のない真っ暗な山道をコンビニ目指して走り始めました。「全然着かないね!

 山道の15㎞をなめてた!」と車内で話しながら走り続けること40分。やっとコンビニに到着。「何飲む?」「やっぱりビールは外せないね」と言いながら3人はコンビニの最奥のお酒の棚へ。「九州だから、沖縄のオリオンビールないかなぁ」なんて言いながら物色。3人のの目に飛び込んできたのは北海道クラシック。缶に刻まれているのは「北海道限定」の5文字。「北海道クラシックあるじゃん!」「北海道限定じゃないじゃん!」「俺、空港からすごい重い思いをして持ってきたのに、ここに売ってるなんて・・・」新千歳空港からはるばる九州まで手荷物で運んできた彼のことを思うと、フォローの言葉が見つかりませんでした。
 
しばしの沈黙の後、エンジニアの隊員が「北海道クラシック・・・買ってくか。」とつぶやきました。「そうだね。おいしいもんね」と、私たち3人は北海道クラシックを手に取りました。宿舎に戻ると、コーチが私たちの到着を待っていました。ビニール袋から往復80分の戦利品をテーブルに並べていきます。それを見たコーチ「あれ?クラシックまだあったの?」「いや、コンビニに売ってました」と、苦笑いをしながら私たちは答えました。その夜の宴は、それぞれのご当地限定の食品などの話題を酒の肴に、大いに盛り上がりました。

南極で使用する機体

 訓練最終日。実際に南極に持っていく機体を用いての訓練が行われました。名人が試行錯誤して補修を終え、新しいエンジンに載せ替えた機体は、まるで新品のようになっていました。「いやぁ。こんなにきれいになるなんて思わなかった!さすがですね!」とこれまでの経緯を知っている私が感嘆の声を上げていると、「いやぁ。大変でした。間に合わないかと思ったもん!」と嬉しそうにそれまでの苦労を話してくれました。

 「柴田さん、離陸から着陸まで全部任せるから、飛ばしていいよ。」とコーチから声がかかり、私はドキドキしながらもコントローラーを握りました。エンジンを始動させ、機体を離陸位置へセット完了。「じゃあ行きます」エンジンのスロットルレバーを押し上げるとともにエンジンの音が高くなり、プロペラの回転速度が上がっていきます。甲高い音を響かせながら滑走路を前進する機体。「無事に離陸しますように」と思いながら、しばらく機体を滑走させるとタイヤが滑走路を離れ、徐々に上昇していきました。「よし。いつも通り」と思った次の瞬間、機体は大きく左に旋回し始めました。上空で発生していた乱気流によって機体が体勢を崩したのです。高度は30mほど。低い高度での旋回は失速による墜落の危険を伴います。私は旋回を止めるためにコントローラーのスティックを右に倒しました。機体の傾きは水平を取り戻したものの、高度は低いまま。「高度が上がらない。おかしい」と私が感じた瞬間、機体は再び左に傾き、大きく旋回しながら失速。再びスティックを右に倒しても機体は旋回をやめることなく失速し、草むらへと落ちていきました。

 操縦する私の後ろから誰かが「あー!」と叫ぶ声が聞こえました。コントローラーを片手に持ちながら、私は墜落地点へと行きました。私がいた位置からの距離は100mほど。墜落地点に向かいながら、私は機体が大きく損傷していないことを祈りました。けれど、その祈りは通じませんでした。胴体は大きく3つにわかれ、地上に直接ぶつかったと思われる前部はつぶれ、燃料がしたたり落ち、数分前まで力強く回っていたプロペラは刃こぼれした刃物のようにボロボロになっていました。

墜落後の機体

 いくつかの部品に分かれた機体を回収し、名人の元へと戻りました。 「すみません」という言葉しか出ませんでした。墜落させたショックもありましたが、苦労して整備してくれた機体を壊してしまったことへの申し訳なさでいっぱいでした。バラバラになった機体を見ながら名人は「形あるものはいつか壊れる。気にせんでいいです。直すから。大丈夫。なんとかします。」と私に声をかけてくれました。コーチは「地球の重力に逆らって飛ぶんだから。地球と戦うんだから。そりゃあ、負けることもあるよ。俺なんて、何回も墜落させてるよ。誰もが1回は経験すること。日本で経験できてよかったね。今なら直せるから。大丈夫」と励ましてくれました。そして「よし。もう1機飛ばそう。今やめたら飛ばせなくなる。柴田さんの操縦が悪かったわけじゃない。乱流に巻き込まれたんだから仕方ない。いったん休憩してまたやろう」と再び私に操縦するよう促しました。

 数分後、もう1機の機体を使って訓練を再開。機体は無事に離陸「ほら、大丈夫でしょ。ふつうはちゃんと飛ぶんだから。大丈夫」とコーチは励ましてくれたものの、私の脳裏には墜落していく様子とバラバラになった機体の映像が何度も繰り返され、あれほど楽しかった飛行機の操縦が不安と緊張ばかりのつらいものになってしまいました。墜落してバラバラになった機体とともに、私の自信も粉々に砕け散りました。それ以来、コントローラーを握る手は汗でびっしょりになり、フライト中は足ががくがくと震えるようになりました。

◇プロフィール
柴田和宏

1974年千葉県生まれ。生まれてすぐに北海道へ来たので自称道産子。
北海道教育大学函館校卒業。元小学校教諭。
57次南極観測隊教員派遣同行者として2017年に南極へ行く。
帰国後は各地で講演を開催してきた。
2020年11月に出発する62次南極観測隊越冬隊員として再び南極へ行くことが決定している。

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