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「翻訳こんにゃくがほしい」悪戦苦闘する研修の日々 南極先生 再び極地へ。(3)

柴田 和宏

南極観測隊員(元小学校教諭)

 2020年5月18日。室蘭ナンバーを取り付けた私の車は、3日間の船旅を経て福井県敦賀市の港に降り立ちました。コロナ禍が全国を覆い、県をまたいだ不要不急の移動自粛が求められていた期間です。

 移動自粛の影響はフェリーの中で強く感じました。3日間の船旅の中で、ほかの乗船客に会ったのはたった2人だけだったのです。いつもなら家族連れでにぎやかな船内は静まり返っていました。

 敦賀からは岐阜、滋賀、京都、大阪、兵庫、岡山、広島、山口県を通って福岡へのドライブ。予定所要時間は12時間ほど。せっかくだから途中で観光地にでも寄って行きたいところですが、高速道路に乗ってひたすら福岡を目指しました。県外ナンバーの車がいたずらをされたり、心無い言葉を浴びせられたりするニュースが連日のように流れていたので、ドキドキしながら運転し続けました。途中、休憩のためにサービスエリアに寄り、トイレや水分補給をしながら、各地の銘菓を1人分だけ買いました。家族が楽しめるようにと、各地の名菓を食リポする動画を2時間おきに発信しました。

いよいよ九州へ関門橋


 福岡へ到着するとすぐに2週間の隔離生活に入りました。福岡大学側から、県をまたいで移動してきた場合は隔離期間を設けたいとの要請があったためです。私が宿泊する施設にはいくつかの観測機器がすでに届いていました。どれも見たことも触れたこともない機器ばかり。zoom(ネットを利用したテレビ電話)による説明を受けながら観測機器についての勉強をしながら2週間を過ごしました。

 隔離期間が明けていよいよ大学に出勤。案内されたのは、南極観測の機材がぎっしりと収められた倉庫のような一室でした。そこで待っていたのは、前年度に南極から戻ってきた物資の整理でした。十数個に及ぶ段ボール箱を開けては、中身の写真を撮り、リストを作成する日々が続きました。見たことのないような機械や部品、ケーブルばかり。作業をするのは私1人なので「これは何ですか?」と誰かに聞くこともできず、作業はなかなかはかどりませんでした。勤務を終えたら宿舎に戻り、20時からzoomによるミーティング。それが私の毎日のルーチンとなりました。夜のミーティングでは、その日に撮影した写真を見せて「これは何ですか?」「何に使うものですか?」と尋ね、リストを埋めていく作業をしました。そんな日々が続くにつれて、不安と焦りが私の中に蓄積されていきました。

大学の仕事部屋


 私が抱いていた訓練のイメージは、学校の時間割のように日程や内容が詳細に決められていて、1対1で指導を受けるものでした。ところが、教わらなければならないことが山ほどあるのに、毎日1人で荷物の整理。「これで大丈夫なのか?」「いつになったら飛行機を飛ばす訓練が始まるのだろう?」「間に合うのだろうか?」と、今後の見通しが持てない状態に強いストレスを感じました。

 福岡大学での勤務が始まって10日ほど経った頃、私は教授に「訓練の見通しを持たせてもらいたい」と伝えました。教授からは「もう少し待ってほしい」との回答が返ってきました。実は教授も困っていたのです。それは、コロナ禍による人との接触の制限が原因でした。飛行機の飛ばし方を教えてくれるトレーナーは熊本在住。しかも70代の方。訓練がきっかけでウイルスに感染したら大変なことになりかねません。だから飛行訓練を始められずにいるとのことでした。観測機器の取り扱いは知識を身に着ければ何とかなります。でも飛行機を飛ばすのは技術です。技術は何度も繰り返し練習をしなければ習得できません。一日でも早く始めた方がいいけれど、それができない。コロナ禍の影響が訓練にも及ぶとは思ってもいませんでした。やむを得ず、観測や観測機器に関する知識を身に着けることが優先されました。

 観測について学ぶことも一筋縄ではいきませんでした。観測について理解しようとする私の前に、難解な数式が壁となって立ちはだかりました。「微分って何か分かりますか?積分は?」「この数式は習ったことがありますか?」と教授に尋ねられる度、「いや、分かりません。」「はるか昔、高校時代に見たことがある気がします。」と答え続けました。小学校の教師をしていたころ、教え子たちの前では何でもできる。何でも知っている先生として振舞ってきました。ところが福岡に来てからというもの、何も知らない、何も分からない自分の姿に直面させられました。私はすっかり自信を失っていきました。

 さらに、観測機器の取り扱い訓練は、説明書との戦いでした。説明書が全文英語だったためです。学校で習う程度の英語はある程度読めます。けれど、観測機器の説明書に書かれている単語は専門用語ばかり。読み方も分からない単語の前に「これ、読めませんね。」と私がつぶやくと、教授は「科学者になるには英語が読めないと。頑張ってください」と言いながら密を避けるために部屋から去っていきました。「え~!行っちゃうの!」とすがりつきたくなる気持ちを抑え、何とか解読する方法を模索しました。

 「ドラえもんの翻訳こんにゃくがほしい!」心からそう思いました。そんなことを考えていたら、スマホには翻訳アプリがあることを思い出しました。カメラをかざすと、英語を日本語に翻訳してくれるのです。早速ダウンロードし、カメラをかざしてみると、英文があっという間に和文に変わりました。少々おかしな日本語ではあるものの、手も足も出なかった私にとってはまさに蜘蛛の糸。一条の光でした。現代の翻訳こんにゃくを頼りに説明書を読み進め、観測機器の取扱いを学んでいきました。けれど、南極で実際に使用するのは約9カ月後。使う頃にはすっかり忘れてしまっています。再び英文との戦いにならないよう、私は自分で説明書を作成することにしました。

 観測や観測機器に関する訓練は、梅雨明けの8月頃まで続きました。徐々にできることやわかることが増えるにつれて、知識や技術を身に着ける喜びを感じるようになっていきました。自分の好きなことだけに集中し、新たな経験を積み重ねる日々はとても刺激的で充実感がありました。自分がとても恵まれていること、離れて暮らす家族が元気でいることを、宿舎近くの神社で日々感謝しながら訓練を重ねていきました。

宿舎近くの神社


◇プロフィール
柴田和宏

1974年千葉県生まれ。生まれてすぐに北海道へ来たので自称道産子。
北海道教育大学函館校卒業。元小学校教諭。
57次南極観測隊教員派遣同行者として2017年に南極へ行く。
帰国後は各地で講演を開催してきた。
2020年11月に出発する62次南極観測隊越冬隊員として再び南極へ行くことが決定している。

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