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福岡行きの機内

意外な落とし穴 南極に行くために教師を辞める 南極先生 再び極地へ。(2)

柴田 和宏

南極観測隊員(元小学校教諭)

 「一度、福岡へ来ていただけますか?」

 2019年11月20日。私は人生で初めて福岡の地に降り立ちました。

 福岡では、教授から南極で行う観測の内容について伺いました。カイトプレーンというラジコン飛行機を飛ばし、南極上空に浮遊している小さな物質の数を測定したり、採集したりするのだということを聞きました。「自分が操縦する飛行機が南極の空を飛ぶなんて面白そう!」私はすっかり乗り気になりました。けれど、ラジコン飛行機なんて、ほとんど飛ばしたことがありません。子どものころ、父親に買ってもらったラジコン飛行機を初フライトで墜落させ、大破させた苦い経験しかありません。けれど、その時の私はそれを忘れてしまうほどに、南極へ行ける喜びと面白そうな観測内容に心を奪われていました。

福岡行きの機内


 福岡から戻った私は、すぐに勤務校の校長先生に話をしました。校長先生も一緒に喜んでくれ、さっそく教育委員会との調整を始めてくれました。当初の計画では、2年間休職をして南極へ行くつもりでした。公務員には「自己啓発休業」という制度があります。教職の専門性を高めるために大学院へ行ったり、国際貢献活動に参加したりする際に2年間休職できるという制度です。南極観測隊は、国際貢献活動に該当するので問題ないと思っていました。

 ところが意外なところに落とし穴が潜んでいました。社会保障制度の問題です。私が南極観測隊員になるには、福岡大学の職員になる必要があります。職員になるためには、福岡大学の私学共済に加入しなければなりません。公立学校の職員である私は公立学校共済に加入しています。2つの共済に重複して加入することは不可能です。そこで公立学校共済から脱会する方法について問い合わせました。公立学校共済から脱会するには、退職するしかないとの回答が返ってきました。

 私の中には迷いがなかったものの、妻に相談せずに決めるわけにはいきません。私には3人の子どもがいます。これから先、子どもたちを進学させ、自立するまでにはお金も必要です。観測隊員になったからといって収入が増えるわけではありません。むしろ収入は半分以下に減ります。自分の中の答えは決まっているものの、それを妻にどうやって伝えようか迷いました。「仕事を辞めなくちゃいけなくなりそうなんだけど・・・」意を決して妻に伝えました。すると妻は「いいんじゃない?退職金出るんでしょ。私も働いているんだから2年間くらい大丈夫」と拍子抜けするほどあっけらかんと答えました。そして「あなたを含め、家族の夢を叶えることを支えるのが私の生きがい」と言葉をつづけました。

 翌日私は校長先生に辞職することを伝えました。校長先生は「自分があなたでも同じ決断をすると思う」と背中を押してくれました。新型コロナウイルス禍が徐々に日本に広まりつつある2020年2月初旬のことでした。

 新年度になり、前年度に担任していた子たちを引き続き担任することになりました。4月いっぱいで職場を去ることが決まっていたので、残り1か月間しっかりと勤め上げようと思っていたのですが、学校は新型コロナウイルス感染拡大防止のために臨時休校が続いていました。

同僚からの送別


 やむを得ず退職のあいさつは文面で行い、私は23年間勤め続けた小学校教諭の職を離れました。3密を避けるために送別会等ができない状況でしたが、職場の同僚たちは子どもたちのいない静かな体育館で、私の卒業式を行ってくれました。

 訓練や準備のために福岡へ旅立つ日が来ました。当時、県をまたいでの移動が制限されている状況であったため、北海道へはいつ戻れるかわかりません。「もしかしたら次に会うのは南極から戻る2年後かもしれない」。そう思うと、家族と離れるさみしさは非常につらいものでした。妻が「最後の食事は、みんなで焼き肉を食べよう」と、家族全員で近所の焼き肉屋に行きました。家族と一緒に食べる焼き肉はとてもおいしいのに、それを失うことのつらさで、涙がとめどなく流れ続けました。

 2020年5月16日。私は北海道に家族を残して、福岡へと旅立ちました。

福岡行きのフェリー



◇プロフィール
柴田和宏

1974年千葉県生まれ。生まれてすぐに北海道へ来たので自称道産子。
北海道教育大学函館校卒業。元小学校教諭。
57次南極観測隊教員派遣同行者として2017年に南極へ行く。
帰国後は各地で講演を開催してきた。
2020年11月に出発する62次南極観測隊越冬隊員として再び南極へ行くことが決定している。

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