2016年12月7日午前4時。
辺りはまだ暗く凍てつく寒さの中、帯広から足寄へ向けて出発した。今回の冬山登山の目的は十勝毎日新聞2017年元旦号の取材で
ある。
前日の降雪で道が凍結して悪路となっていたが、空はすっかり晴れ、空気の澄んだ冬の夜空には満点の星が輝いていた。この時期は星がキレイに見えるほど、つまり晴れているほど、放射冷却現象によって気温がグンと下がる。山の頂上はどのくらい寒いのかと不安になっていた。
登山口のある野中温泉に着く頃には、辺りはすっかり明るくなり、雌阿寒岳の外輪山が地上からくっきり見えた。空気はとても冷たく吐息の白さが際立っていたが、天気は上々だ。夏期シーズンの雌阿寒岳には幾度か登ったことがあったが、冬は未経験だ。帽子に手袋、厚手のインナーにフリース、スノーブーツなど防寒具を装備し、さらに万一雪崩にあった時のためのビーコンのスイッチを入れ、お腹に巻き付けた。そして午前7時登頂を開始した。
雌阿寒岳の標高は1,499mで、現在活動中の活火山である。夏場なら頂上までおよそ3時間程度で登ることができ、比較的初心者でも登りやすい道のりの山である。日本百名山の一つに数えられ、晴れていれば麓のオンネトーや火口、隣にそびえる阿寒富士、また遠方に阿寒湖や雄阿寒岳も眺望でき格別の景色である。植生は1合目から3合目付近まで針葉樹と広葉樹、4合目近くから低木帯に入り視界が開け、5合目から6合目付近までは岩場になり高山植物に出会える。それ以降は植生はだんだん少なくなり、9合目から頂上付近はほぼ岩石が散らばるのみだ。登るにつれて周りの景色が次々に変わっていくので、登っていて飽きないとても魅力的な山である、夏は。
冬はまず雪の積もった針葉樹の間を抜けていく。動物たちの活動は無く、夏とは違う静寂な雰囲気に足を止める。耳を澄ますと、先を行くパーティが雪の上をサクッサクッと歩く音がかすかに聞こえる。
スノーブーツにスノーシューの装備は夏のトレッキングシューズの重さの比ではなかった。冬山玄人で南極まで行った経験がある塩原カメラマンは颯爽と先を行く。それについで映像カメラ担当の村瀬が続く。私は最後方より追いかける。
登り始めはいつもきつい。周辺はマイナス10℃以下だったと思うが、厚着しているせいもあり、暑くて仕方なくなる。森の中はほとんど無風で、動いている限り寒いと感じることはない。
木々が低くなり、森を抜けると、見渡す限り真っ白な雪をかぶった樹海の景色に息を呑む。夏には見られない圧巻の光景だ。
上を見上げれば、まだ道のりは長い。夏場は木の根っこの間を小刻みに跨いでいかないといけないが、冬は雪が積もっているおかげで、夏より平坦かもしれない。しかし、植生がなくなり、岩場に入ると、滑落しそうで注意が必要になる。
夏場なら青く見えるオンネトーもすっかり雪景色になっていた。
頂上への道のりはまだ半ば。太陽が少し陰りはじめ、風が吹き、雲行きが怪しくなってくる。
風が強くなると、あっという間に視界が悪くなった。寒さも尋常ではない。冬山の怖さを知ることになる。
風が止めば、寒さを感じないが、吹くと恐ろしいほど寒い。風の強さによって体感温度が下がるせいだろうか。
夏に何度か登った経験から、今どこで、後どのくらいかがおおよそ検討が付く。距離的にあとこれくらいあるとわかる反面、この気象条件を考えると先がとても遠くに感じ、心が折れそうになる。
一瞬地上が見えたり、見えなくなったり、風が舞い、視界不良になる。
8合目付近からは斜面が急になっており、さらに地面が凍結していて、スノーシューないしアイゼンがなければ滑落は免れないだろう。履いているスノーシューの刃がきちんと斜面を覆う氷に刺ささるのを確認しながら、一歩一歩慎重に登る。
地吹雪いて顔に付いた雪が融け、そこに冷たい風が吹き寄せる。顔が凍りつきそうなくらい寒いので、すかさず防寒具で顔の露出部分を覆うが、今度は呼吸しづらくなりすぐに息苦しくなる。酸素不足で足が止まり、登るのが遅くなる。呼吸するために、口の覆いを外す。そうして同じ状況が繰り返され、体力が奪われていく。
極寒と強風吹き荒れる気象条件において形成された岩の模様がとても幻想的だった。冬山でしか出会えない景観だろう。
一瞬の晴れ間が見えたと思ったら束の間で、また曇る。9合目付近まで来ると強風が絶え間なく吹き、動いていても寒く感じた。
雲間に太陽が見え隠れし、太陽の陽射しがとても恋しくなる。
遠くに雄阿寒岳と思われる山が一瞬見える。塩原カメラマンのテンションが一気にあがる。周りは南極並みの気象条件だと思うが、さすがに経験者のタフさは違うと感心する。彼はカメラの他、ドローンを背負っており、かなりの重量になっているはずだが、余裕だった。
塩原カメラマンのハイテンションに引き連れられ、雌阿寒岳火口の外輪山に到達する。
頂上まであと少し。しかしほとんど周りは見えない。
そしてついに頂上に到達。時刻は11時35分。途中撮影に時間を要したため、4時間以上かかってしまったが、おおよそ予定通りに登れた。気温はマイナス20℃くらいだろうか。白い息が一瞬で流れてしまうくらいの強風が吹き荒れており、体感温度ではさらにマイナス10℃以上は軽く下がるのではないかと思った。過去最高に寒い。
急いで予備のダウンジャケットを取り出し、着込む。長居はできないと、みんなの意見は一致する。
限られた時間であったが晴れるのを待った。
一瞬薄らと見えたもう一つの火口。
30分ほど頂上にいたが過酷だった。これ以上は生命に危険を生じると思ったので、下山を決断。足早に撤収した。頂上からの絶景は残念ながら拝めなかった。
夏期シーズンなら観られる写真を貼っておく。
早朝は頂上も晴れていて、期待していたが、やはり太陽が昇り気温が少し上がってくると、雲が発生してしまうのだろうか。
下り始めると、一時陽射しの暖かさを感じた。上りの時に曇っていた道がくっきり見えた。何とも気まぐれな天候だろうか。しかし度々強い風が吹き地吹雪になる。体は頂上で冷え切っており、顔が本当に凍りつきそうなくらい一段と寒かった。目指し帽やネックウォーマ、ゴーグルなどをフル活用する。
下りは足の重い装備を持ち上げる力が必要ないので、上りよりかなり速い。寒過ぎる危機感から、早く下りたいという思いが足をさらに速くし、おそらく時間的には上りの2~3倍のスピードだろう。
あっという間に半分くらい下り、オンネトーが見えた。ここまでくれば安全圏だと思い一安心する。
いくらか寒かったが、頂上ほどではない。風もほとんどなく条件は整ったと思い、ドローンの飛行を開始した。
上空からオンネトーや、歩いてきた道が見えた。頂上付近はまだ曇っていた。
一通りのミッションを達成し、最初の森に帰ってきた。眩しい日の光が暖かく感じた。
日も傾き下りて、森の中は薄暗くなり始めていた。
厳しい冬の環境が作る自然の様は、また夏とは違う別次元の美しさがあった。
苛酷な道のりであったが、無事下山できたことにみんな安堵し、ビーコンのスイッチを切った。
(文:青山文弥・写真:青山文弥、塩原真)
※『NUPURI 北海道の山で逢えたら』より転載。